第5話-② 悪役令嬢は異世界で煮込みを食べる



■王立魔法学園 パチカ市場最深部 学生の味方!居酒屋どんちゃか オクディオ大月(10月)15日 17:00



 イリーナは通い慣れているのか、私には微妙に開けづらいその扉を気軽に開けた。

 その先は思ったよりは広い店だった。テーブルは4つぐらいにカウンターが8席ぐらいある、王都でも見かけるような何かでごちゃごちゃとした古い木造りの居酒屋に見えた。

 時間が早いせいか、私達以外に客はいない。

 込み入った話をしたかった私達には少し嬉しい。


 お店の奥から布で頭を巻いた店員のお姉さんが顔を出した。


 「いらっしゃい。あ、今日はお友達連れですか?」

 「はい、アレを食べさせてあげたくて。ありますか?」

 「もちろん。アレ、お好きですものね。こちらの席へどうぞ。いまお持ちしますね」


 ……アレって何?

 そして、ここ、やっぱりイリーナは何度も来ている。話しぶりから推理するに、ひとりで訪れているのだろう。こんな中年男性や男子学生が「こういうのでいいんだよ、こういうので」と叫びそうな店なのに。


 分厚い板でできたテーブルの、竹網細工の背もたれが付いた四角い椅子に座る。

 目の前でにこにことしているイリーナに、なんとなくつぶやく。


 「んー、なるほど。なかなか。これがギャップ萌えという奴ですか」

 「ギャップ?」

 「あ、いえ。大富豪のお貴族様がなぜこんなところに、と思って」

 「それはですね。ここのニッコミーという料理がおいしいからなんです」

 「……ニッコミー?」


 ふいに顔をあげると、入口から生徒会長がにこやかに手を振っていた。


 「やあ、待たせた」


 イリーナの隣の席に静かに座る生徒会長。その少し曇ったメガネを外すと、ジャケットの袖で拭きながら私達に聞いた。


 「注文はしたのかい?」

 「はい、ニッコミーとやらを」

 「そうか。ここのはおいしいからな」


 みんな知ってるお店なのか……。

 つい微妙な仲間外れ感を感じてしまう。


 この1年ほどは魔法学園には来ていなかったし……。うーん。うーん。

 いや、もしかして生徒会長も同じなはず……。


 「わかりづらいところでしたが、迷いませんでしたか、生徒会長? もしや何度も?」

 「まあ、そうは来なかったけれど、場所はよく知っているからね」

 「こんなところを?」

 「公称で284。モグリも含めれば実に3000以上も飲食店がこの迷宮のような魔法学園にある。僕はそれを生徒会の人間と手分けして全部調査したことがあるんだ。だからここも知っていた」

 「ああ、暇でしたか」

 「違う違う。いろいろたいへんなんだ。食中毒を出したりとか。だから安全な飲食店をリストにまとめて、新入生に渡している」

 「さすが生徒会長。行き届いていらっしゃる」

 「ふふ。君なら、そんなことが起きても、そのまま放置していそうだね」

 「んー、そうですね。たぶん、とても貴重な事件として扱わせていただき、双方見せしめになってもらいます」

 「店はともかく学生も?」

 「ええ、そんなものを食べてしまうぐらい注意力散漫な人は、北方やダンジョンはおろか、王都ですら生きていけないでしょうから」

 「一理はあるが……」

 「何事も学生のうちに勉強ですよ」


 そう、学生なら。

 私がこの魔法学園の生徒のままでいたら……。

 イリーナと笑い合い、先生方に興味深い話を聞き、たまに起きる学園の事件を解決して……。

 それは私にとって面白いことなのか、それとも……。


 そこにユーリスがいなければ意味がない。


 ぼんやりとテーブルの向こうにある木彫りのドラゴンを見つめる。

 会話が途切れた私達に、イリーナがフォークを握りしめながら満面の笑みで言う。


 「地道な活動は面白そうです」

 「イリーナ、地道なのはそんなに面白くないと思いますよ」

 「ファルラちゃんと、いろいろなところを食べて回れるじゃないですか」

 「まあ、それはそうでしょうが」


 生徒会長はふっとため息をつく。


 「残念ながら、そんな活動も休業中だけどね」

 「あの場では、ああ話すしかありませんでした。生徒会長」

 「わかっている。僕は感謝しているんだ」

 「私のせいでこんな軟禁生活を過ごしているのに?」


 さっきから気づいていた。店先にやたら体が大きい男が立っていたことを。おそらく見張りか、生徒会長への嫌がらせ的なものだろう。


 「ああ。君は私の心を守ってくれた。それで十分だ。だから、こうして君の役に立とうとしている」

 「それはうれしいですが……。ひとつ教えてください」

 「ああ、いいよ」

 「なぜ、この魔法学園にかくまわれているのです?」

 「事件を魔法学園の管轄にしてしまえば、こうできると進言したのはジョシュアだ。恐らく君の今の状態もイリーナさんの進言を元に、王家が学園へ働き掛けている」

 「ああ、そんな抜け穴が。それはたいへんですね」

 「どうしてだい?」

 「そのうちわかりますよ」


 先ほどの店員がお盆に湯気が立ち上る深皿を3つ持ってきた。


 「お待たせしました。ニッコミーです」


 ぽいと置かれたそれを見つめる。


 これは……。

 日本の懐かしい「煮込み」。味噌味の東京だと浅草で食べているような……。

 思わず口がじゅんとする。


 でも、なぜでしょう。

 この世界には味噌はないはず。どうやって……。


 思わず運んできた店員を見つめると、少し困った顔をして、人差し指を口に当てた。

 ああ、なるほど。転生者でしたか。しかも日本からの。


 言わないだけで転生者が多くいることはわかっていた。転生者だとバレれば、容赦なく勇者と認定され、魔族討伐をさせられる。だから、ある日気づいてもみんな黙っているようだった。

 私もそれを理解してからは、できるだけ人に悟られないようにしてきた。


 それがわかったように少しうなずくと、店員は微笑み返してくれた。

 ものすごく醤油はあるのかと聞きたかったけれど、そこはぐっとがまんした。


 目の前を見ると、幸せそうにイリーナがニッコミーを口に運んでいた。その後ろには花が散っているように見えた。


 「んんーっ、良いです! このあっさりとしているのにコクがあるスープ。上にかかったネギのはっとする香り。さまざまな食感が楽しめる楽しいお肉。崩れかけたおイモのとろけ具合。最高においしいです」


 その光景に思わず私はつぶやいてしまった。


 「煮込みを美味しそうに食べる侯爵令嬢ですか……」

 「あら、ファルラちゃんだって元は侯爵令嬢ですよ?」

 「ああ、そうでしたね。すっかり忘れていました。まあ、今も昔もそんな気はありませんでしたが」

 「うらやましいのです。この学校を卒業したら、私はここには来られなくなりますし……」

 「貴族というのはそういうもの。子を成して次を育てる。それが義務、でしたね。父からよく言われました」

 「それは寂しいのです。だから今はニッコミ―をいっぱい食べたいんです。それが私の思う面白いことですから」

 「なるほど。イリーナはいつもそうですね」


 イリーナが「はい」と言って、花が散るように笑う。

 みんなには時間に限りがある。イリーナにも。ユーリスにも。恐らく生徒会長も。そして、この私にも。


 「なんだ、ファルラじゃん。ちょいす」

 「グリフィン先輩!」




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作者が立石の宇ち多゛で飲みながら、かーっと言って喜びます。



次話は2022年10月14日19:00に公開!

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