第3話-② 悪役令嬢は王国劇場をお忍び観劇する



 「……さあ、どうでしょうか?」

 「衛士に連行されたコーデリア先生は『まもなく自分は死ぬ。それは魔族の血のせい』だと言っていた」

 「そうですか。それはたいへんですね」

 「アーシェリも……。いや、いい……」


 殿下が手を離す。表情がわからなくなるくらいフードをかぶり、私から顔をそむけた。


 「待ってるぞ。逃げるなよ、ファルラ」

 「はいはい」


 殿下が部屋の扉を開けて、またせわしない足音を立てて去っていく。

 お茶の最後の一口を飲み干すと、カップを置いてユーリスに言う。


 「支度をしましょうか」

 「いまドレスをお持ちします」

 「首飾りもちょうだい。フェダナイトのはまだ残していたでしょう?」

 「はい、お似合いだと思います」


 まったく……。

 私はユーリスの腕を引っ張って体を引き寄せると、つるりとしたおでこをぺしぺしと叩く。


 「ファルラ、痛いって。ちょ、ちょっと! うにゃー!」

 「あれがいなくなったのだから、そのメイド口調は止めなさい」

 「だって……」

 「あなたはメイドじゃなくて、私の恋人なんですよ?」


 顔を少し赤くしたユ―リスの腰をつかむと、くるりと後ろを向かせる。


 「ほら、私の服を取ってきて」

 「わかりました、大好きな恋人様」


 いたずらっ子のように、にししと笑って奥の部屋に行くユーリス。それを見届けてから、私はベッドの横にある小さな袖机に向かう。引き出しを開けて白い便箋とペンとインクを取り出すと、それを明るい窓際に並べた。秋の穏やかな陽射しの中、便箋に言付けを短く書いていく。

 いろいろな箱をたくさん抱えて戻ってきたユーリスが、そんな私を見て言う。


 「手紙ですか?」

 「ちょっとね。私達が生き残るための保険かな」


 書き終えた便箋をひらひらとさせてインクを乾かすと、翼を広げた鳥の形へ丁寧に折り上げる。それに息を吹き込み、窓から外へ放り投げた。それはすぐに白い小鳥になってはばたき、青空に高く飛んでいった。

 それを見届けると、ユーリスが部屋に広げているドレスや飾りの真ん中にやってきて、私は着ている服をするりと脱いだ。


 「あれ、ユーリス? 私が風邪引く前にドレスを着させて欲しいのですが。あ、こら、違うでしょ、ユーリス!」


 下着姿のままの私をユーリスが抱きしめた。壊れそうなものをやさしく包み込むように。


 「私が守る。ファルラのことはこれからも。その日が来るまでは、ずっと、絶対……」

 「思い詰めても何も変わらないんです。なら、今を楽しく生きましょう。ね、ユーリス」

 「うん……」


 泣きそうな顔をしているユーリスの頬に手を添えると、慰めるようにやさしくそっと唇を重ねた。




■王都アヴローラ 王国劇場 3階 ケルム大月(9月)21日 17:00



 港、ホテル、劇場、王宮……。

 だいたい外の国からの人を出迎える施設というのは、国の威信をかけている。

 ようは見栄っ張りなのだ。うちの国ってすごいでしょ、って言われたいのだ。


 この王国劇場もそのひとつだった。王国屈指の劇団を抱え、連合王国の重鎮や他国の来賓をよく迎えていた。

 王都の中心部にあるこの巨大な建築物は、磨き上げられた乳白色の石板を複雑に組み合わせ、凝った意匠の飾りや魔物除けの彫像がちりばめられて、壮麗で豪華で見る者を圧倒していた。

 そして、そんな器には必ずしも澄んだものは入らない。


 私たち3人は3階のボックス席へ向かう通路を歩いていた。この席は特別なところで、舞台から見たら左右2箇所にしかなく、そこへ続く通路からは下に立ち並ぶ座席とうごめく人々が豪奢な手すり越しに見えた。うーん。私はつい吐き出すようにそれをつぶやいてしまった。


 「泥のようですね。腐ったドブの匂いがします」

 「おい、ファルラ。そんな滅多なことを言うな」

 「ジョシュア殿下、私が知らないとでも? こんなとこに来る貴族や商人達はだいたい腐ってます。賄賂、犯罪、恐喝。なんでもありです。北方では若者が命を散らしているというのに」

 「……私が王になったら一掃する」

 「それはそれは」


 殿下が木の光沢がつややかな扉を2度ノックすると、部屋の中にいた男が扉を開けてくれた。その男は執事の格好をしているが、その体のよく鍛練された鋭さは隠しきれていない。ブルドッグとか獰猛なイタチとか、そんなふうに見えた。

 中に入ると、羽飾りが目立つ黒い帽子をかぶった白髪の男が座っていた。後ろからでも、私はその人がわかった。

 さきほど扉を開けた執事の男が、その隣の濃い緑色をした椅子を引いた。ここに座れ、ということなのだろう。私はその通りにした。


 金糸が入った深緑のウエストコートで男装させたユーリスが私の後ろに控えた。なかなかカッコかわいい。いたずら好きな貴族の少年のように見える。もちろん服はいつのまにかイリーナが用意していた。

 正装がいる場だったので、マナーの通りだとしたら男女のカップルに偽装するほかなかった。女同士でそろって観劇というのは、この世界では許されないこととされていたから。


 横に座っているその人が、私を見ることなく静かに声を出した。


 「演劇というのは実に良い。様々な人間の気持ちを数時間で体験できる。現実ではこうはいかない。そうは思わんかね。人が秘めた想いを容赦なく暴く探偵よ」


 まあ、ありていに言えば怒っているのだろう。

 私の肩にユーリスがそっと手を置く。指先から不安が伝わる。私はあえて楽しそうに声をあげた。


 「こんなところには始めて来ました。本当にたいへん楽しみです。お招きいただき、ありがとうございます。あなたは、ええと……、何とお呼びしたらよろしいですか?」

 「何とでも」

 「では、お義父様」


 とたんに、その人は愉快そうに大きな口を開けて笑い出した。


 「お前はどうにもひどいな」

 「それはお褒めいただいたと受け取ります」


 王宮で何度もお会いしたその人。

 ジョシュア殿下たちのお父さん。

 月の恩寵下にある我君、9つの国を束ねたアシュワード連合王国を統べる国王。

 ロマード・ルーン・アシュワード。

 その人が私のすぐ横にいる。


 「それで、この茶番劇は、どのような演目で?」


 私の問いかけにお忍びの国王陛下は、深々とため息をついた。


 「正式な場でお前を裁くことができない。王宮で謁見するなんてもってのほかだ。わかるな?」

 「いいえ」

 「お前は……。まあ、良い。この場で裁定を伝える」


 ユーリスの手がピクリと動く。私は何があっても良いように瞬時に身構える。緊迫感を高めた私達に、陛下はそっけなく言う。


 「何もなし」


 はい?

 思わずユーリスと見つめ合う。

 続けて陛下は短く言う。


 「そして、金は払わない」

 

 今度はユーリスと一緒に陛下を見た。


 「王家からは払わない。ユスフの奴らに払わせる」

 「待ってください、お義父さま。それは、まるで何かの八つ当たりみたいですよ」

 「町娘二人が問題なく過ごせる程度の金額だ。ユスフには蚊に刺されたほどのこともないだろう」

 「それはそうでしょうが……」

 「そこの娘とお前は仲が良いそうではないか。そやつの嘆願もあったのだ。しっかり世話になればいい」


 イリーナ……。嬉しいけれど、それは一歩間違えれば自分の首が飛んでただろうに。まったく。


 「寛大な裁定、心より感謝いたします」

 「寛大? それは違うぞ。ジョシュアの婚礼は半年後に行う。お前が座れなかったその椅子、最前列の特等席で見せてやろう」


 まあ、そんなことぐらいなら。私はそこには座りたくはなかったし。

 してやられたような声で私は嘘をつく。


 「そのような仕打ちをされるだなんて、お義父様はお人が悪い」

 「ファルラよ。それはお前のことだ」

 「この私のどこがです?」

 「王子の一人は魔族の策で殺され、魔族の血が混ざったものと王子が結婚する。魔族との戦いで尖峰を誇る我が王家には、最大の恥辱だ」

 「それが真実だとしても?」

 「真実など誰も求めておらん。耳障りの良い甘言があれば良いのだ。我が王家にとって、お前ほどの悪人はおらんよ。この時勢でなければ、北方で魔物の餌にしていただろう」

 「時勢ですか」

 「庶民派は議会設置の要求を王家に突きつけ、貴族どもは離反の準備を整えている。王子の婚礼で庶民たちを良い雰囲気へと変えさせ、貴族たちの統率を図り、来年の魔族統治域への大規模侵攻を果たさねばならない」

 「古都ネフィリアの奪還」

 「そういうことだ。我が王家の宿願でもある」


 王家の先祖はネフィリアで生まれ育ったそうだ。まあ、悪人に奪われた実家を取り戻したい、というところなのだろう。

 いまのアーシェリから見たら、私もそうだろうけど。


 「ゆえにお前のことはうやむやにする。処刑してしまえば事が公になり、庶民どもが黙っていないだろう。かといってお前に何かしら王家が施しをしたら、あの場にいた貴族たちの良からぬ考えを増長させるだけだ。不祥事には金を払って済ませようとする薄情な王家だ、とかな」

 「ですが……」


 高い笛の音が劇場に響き出した。少しずつ明かりが落ちていく。


 「話はここまでだ。今日の役者はとても良い声を出す。お前も楽しむと良い」


 私はいいかけた言葉を飲み込んだ。


 ――ですが、私を生かしておくほどの理由はないのでは?


 もう陛下は話さない。私はあきらめていっしょに演劇を見ることにした。


 幕が上がり、舞台が光の精霊で照らされると、舞台手前にいる楽団が悲壮で荘厳な演奏を始めた。

 光を浴びた何人もの役者によって、物語が進められていく。


 魔族に魅了された女。その女によって恋人だった男が殺される。その男が死ぬ間際、横で女が歌うのは、どこか悲しげな歓喜の歌。それに寄り添い一緒に歌う魔族。その声も女だった。


 最高の役者、最高の舞台、最高の物語、それに見惚れる観客。

 うん、最悪の劇だ。私とユーリスにとっては。

 本当に陛下は人が悪い。

 どこまで私とユーリスの関係を把握しているのか……。


 実際のところ、私はジョシュア殿下より、この陛下のほうが人としては好きだった。まっすぐで実直な殿下よりも、なんとも食えないところが私と似ているから。


 舞台では、想いを遂げた女が、一歩前に出て天をしっかりと指さしていた。


 「ここは名場面のひとつだ。あの指先は、神々への反抗を意味している」


 嬉しそうに陛下は劇の解説をしてくれる。

 劇は進む。腕を降ろして観客にも指を向けた。私達にも。それから、ゆっくりと暗がりに下がっていく。


 「このあとが見どころだ。縄が役者に付けられて、空へと舞い上がる。地上にいる我々を侮蔑するのだ」


 陛下がまたこっそりつぶやく。

 この世界にしては、ずいぶん凝った演出だと思った。転生前の記憶をたどれば、それはワイヤーアクションとか呼ばれていたものに近い。


 それにしても……。


 何回見ているんだ、このお忍び遊び人陛下は。

 こんな解説するには、少なくても一度や二度の観劇では足りないだろう。

 まあ確かに、王宮に行ったとき、この人はやたら演劇や音楽の話をしていたけれど……。


 そのときだった。

 甲高い観客の悲鳴が劇場に響いた。すぐにざわついた空気に辺りが変わる。

 なぜなら舞台の真上から人が吊り下がっていたから。





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