第18話 追跡  

 酷く冷える朝だった。空には黒色の雲が掛り、夜明けから夜のような暗さだった。

昼には、山に降り始めた雪が里に降りて風花となって飛び始め、夕刻には里にも雪が降り始めた。

 世間では「クリスマスイブ」と呼ばれる日であった。しかしこの里では「クリスマス」という単語は存在しても、行事は存在しなかった。家庭でケーキを食べる事も、プレゼントの交換も、サンタクロースも存在しない。

ごくごく日常的な冬の一日でしかない。

世間の流れとは関係無く、この地にはそういった習慣が根づかなかったのだ。

古い家柄、古くからの信仰、古くからの伝統を重んじる土地はそういうものなのだ。

雪は降り始めてから、時間毎にその量を増し、里一面を雪に沈めていた。

降り続く雪の中、武殿には川上以下門下生が集まり、いつものように稽古していた。

その寒気の中、道場だけはいつものように熱気を放っていた。

剣介は鉄心と対峙していた。二人とも真剣である。構えを取ったまま二人ともぴくりとも動かない。

しかし、二人の間には、見えるものにしか見えない光がぶつかり合っていた。

気と気の戦いである。

数分後、二人は同時に剣を降ろした。

「さすがだな、剣介君。気の量、質共にとても君には敵わない。君に対抗できるのは、川上先生と、うちの鉄丸くらいだな」

額からだらだらと流れ落ちる汗を拭い、あがる息を押さえながら言った。

「鉄丸は受験勉強しながら、こっそり気を練り込む稽古をしてるよ。全く根性座らなくて困ったものだ。ははっ」

「そうですか、鉄丸もとぼけて稽古してましたか?」

剣介も刀を鞘に戻し、汗を拭った。

「大学に受かれば、また一緒に稽古できるでしょ。その日まで僕が生きていれば、の話ですが」

「剣介君、若い者がそんなことを言っちゃいけない。確かに彼らとの戦いは命のやり取りだ。だが、君たち若者の前に我々大人がいる。

死ぬのは我々からだよ。決して死に急いじゃいけない」

真剣な面持ちだった。

その時の事である。

熱気が充満した道場の中に冷たい風が吹いた。

「そりゃあ、こっちの都合だな。奴等にはそんな事関係無いわな。布教の邪魔するものは男も女も爺もがきも関係無い。それは歴史上の宗教戦争が証明してくれておるわな。

ところでな、奴等上陸したぞ」

時遠であった。

「近衛の部隊が追跡しておるが、今のままで行くと奴等は真っ直ぐこちらに向かってくるようだ」

川上の目が光った。

「ついに動き出しましたか?それにしても良くこの地がつかめたものです。」

「かつてキリスト教は列強の侵略の尖兵になってきた歴史があるからなあ、情報収集はお手の物だろうよ」

一般の道場生には何の会話がされているのか理解できないでいた。鉄心と剣介は顔を見合わせ、来るべき時が来たのを確認した。

二人とも無意識に剣を握る手に力が入っている事に気付かなかった。

熱気が冷め、急速に冷え始めた道場内。

川上が鬼気迫る顔で一同に告げた。

「全員聞いてもらいたい。今からこの地は焦土となる可能性がある。いや、おそらく間違いなく戦場となることは間違い無い。

諸君らは家族隣人を守りつつ、安全な所へ脱出してもらいたい」

道場内が一気に騒がしくなった。

「どういう事ですか!」

「先生、一体何が起きているのですか?」

動揺する道場生の声に古参の門下生が川上に変わって答えた。

「みんな、何も言わず川上先生の言葉に素直に従おうじゃないか。それなりの理由があるに違いない。理由は後で聞けばよい」

「かかっ、川上よ、良い弟子を持ったな」

時遠はにこりと笑った。

「御坊、取りあえずの避難先はその先の丘の上の社でよろしいか?」

「うむ、良いだろうよ。あそこには、長年の祈念による自然の結界が張られておる。

奴等、邪教の者は入り込めん。

おい、小僧ども急いで逃げろよ!」

雪の中、道場生たちは三々五々散っていった。川上が素早く手配し、村の防災無線から、村人全員へ避難勧告が流れた。

道場へ残ったのは、川上、鉄心、鉄丸、時遠のみである。

「川上よ、わしは息子どもと社に向かおう。

社の結界をワシラで強化する。村人は責任持って守る。心置きなく戦えや」

「お礼申し上げます。事が終わったら一杯奢らせて下さい」

「かかっ。坊主に酒を勧めるか。ワシを破戒僧にする気かよ?まあ、よかろうさ。楽しませてもらおう」

ぐいっと酒をあおる仕草を見せて時遠は雪の中へ消えていった。

雪はしんしんと降り続いていた。

二台の車に分乗した神父たちを追跡する近衛は歯がゆい思いをしていた。

手を出したくても法律上自衛隊は一切手を出す事は許されない。また仮に手をだしたとしても、どれくらいの犠牲が出るものか予想もつかない上に、確実に葬せる可能性も無い。警察も同様である。検問や道交法で車を停めてもその後何がおこるか予想できない。

何もせず、ただ追跡するのみ。

歯がゆさに耐えるのは非常に苦痛でもあった。

その近衛の思いを知ってか知らずか、神父たちの乗った車は制限速度内で走っている。

「雪で滑って事故りやがれ!」

近衛は追跡する車内で叫んでいた。

神父たちの無線での会話が自衛隊の無線で傍受できた。

「マルコ神父、本当にあのサムライたちと決着をおつけになるのですか?」

「ペテロ神父、いずれぶつかる相手なのですよ。それが早いか遅いか、それだけの事です。

敵はなるべく早く叩いておくに越した事はないのです」

「無線変わりました。ヨハン神父です。

マルコ神父、それはあなたの復讐心なのではないですか?」

「…復讐…そうかもしれません。主イエスは「汝の隣人を愛するがごとく、汝の敵を愛せよ」と言葉を残しておりますね。

しかし、私はまだまだ人の域を越えていないようです。最強を自負した私のプライド、体を傷つけた彼らを殺したくて殺したくて仕方ありません」

「ほほっ、良いでしょう、良いでしょう。お好きなだけ、お殺りなさい。」

無線はそこで途絶えた。傍受していた近衛は同乗している自衛官に命じた。

「一尉、川上先生に連絡だ。時遠様に張り付いている隊員を呼び出せ」

続けて近衛は部隊の展開を指示した。

「敵の目的地が川上先生の所ならば、我々自衛隊にも打つ手はある。」

一方マルコ神父の乗った車内では、マルコと女が話し込んでいた。

「君は、ロシアの港で船乗りどもに襲われていたあの女性かな?」

マルコは柔和な顔をしていた。

「はい、その通りです。今運転をしている方に襲われたのです。今となってはどうでもいい事ですが。

私はあの時、ヨハン神父に救われ信仰を奨められました。その時は恐怖から逃れる為、入信したふりをしましたが、今は違います。

マルコ様が治療中の一月ほどの間に、たくさんの事を学び、しっかりと私の心に根づいています。本当の信仰の事、教義の事、道徳感の事、世界の事、平和の事、戦争の事、ヨハン神父とたくさんたくさんお話致しました。あの方は私にとって師であり恩人でもあるのです。信仰の為ならば、私は命を投げ出せます」

「ははっ。簡単にそんな事をいうものじゃない。信仰の為に命を捨てるというのは並大抵の覚悟で出来る事ではないのだよ。

かくいう私も、一度死ななければ、この身を全て信仰にささげる事はなかったでしょう」

「一度死んだ?」

「そう、私は一度死んでいるのです。砂漠の戦場で身を焼かれ、はてたのです。

そして、再生した」

「再生?主イエス様のように?」

「その通りです。正確には大司教のお力で再生したのです。そして、この機械の体を手に入れたのです」

マルコは修復されはしたが、未だ剥き身の金属のままの額を指差した。

「そんなことが…もしかして、あの黒服の方たちも、再生されたのですか?」

「そうです。黒服、我々にとっては従者ですが、彼らも確かに再生しているのですが、違う点が二つ。我々は大司教が死者蘇生の儀式を行ない、彼ら従者は我々が死者蘇生の儀式を行なったのです。

ですから、我々は大司教に従い、彼らは我々に従うのです。もう一つは、私たちは機械の体ですが彼らは生きていたときの体をそのまま使用しています」

「では、生身の私は、誰に従えばよいのでしょう?」

「ははっ。そうですな、あなたはあなたの心に従えば良い。そういうところでどうでしょう?」

マルコは川上と戦ったときと同じ笑みを浮かべていたが、その笑みには悪意はなく、親愛の情だけが含まれていた。

「ありがとうございます。では、そうさせていただきます」

女は白い顔にしわを作って笑った。

マルコは笑みを返し、窓の外に顔を向けた。

女もそれにならった。

相変らず雪は降り続き、街頭の明かりが雪に反射し外は夜明けのような明るさを保っていた。

「美しいわね。

同じ雪なのに私の国の雪は冷たくて暗いけど、この国の雪は温かさを感じる…

なんだか、不思議…」

マルコは女の言葉は無視し窓の外を向いたまま女に告げた。

「もし…万が一、我々が敗北したら、その時は君は日本人に投降しなさい。

彼らはまず間違い無く、君には酷い事はしないだろう。」

「そんな事をおっしゃらないで下さい。

例え何があっても私はあなた方と行動を共にします。そう、何があってもです!」

マルコはにこりと笑って女の言葉に答えた。

「そういえば私はまだあなたの名前を聞いていなかった。教えてくれるかね?」

「マリア、マリアです」

「マリア?それは良い名前だ。キリストの母となった女性の名だな。輝かしい未来が見えてくるようだ。なおさら、命は大事にしないとならないな。」

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