第17話 刀
剣介は再び瑞貴の家を訪れていた。
先日瑞貴に渡された刀も持参していた。
正座して正対した相手は兄の遺影だった。
随分と長い間静かに手を合わせていた。
訪れてすぐ瑞貴が入れたお茶の温度は随分と下がっている。冷めきってもなお、剣介は遺影の前で手を合わせていた。
ようやく顔を上げたのは冷えて交換されたお茶が気温と同じ温度になった頃である。
「亡夫と何を話していたのかしら?」
二度めのお茶の交換をしようとする瑞貴を剣介は止めた。
「これでいいですよ。もったいないから…」
といい茶碗を口に運んだ。
「甘い…」
「お茶の味は茶葉とその温度で全く変わってくるの。高温で真価を発揮する葉もあれば、低温で真価を発揮する葉もある。
人と同じね」
見ている者に心地よさを与える笑顔を瑞貴は浮かべた。
「覚悟が決まったようね」
「そうです。僕は戦います。兄にその報告にきたのです」
晴れ晴れとした顔で答えた。
「そして、この刀、『刀志』と名づける事に染ました」
「とうし?」
「そうです。兄、刀介の志を継ぐという意味です」
瑞貴は穏やかな表情で深深と呼吸した。
「ありがとう、あの人も喜んでいる事でしょう」
部屋の中であるにもかかわらず、暖かくて柔らかい風が吹いた。
「こんにちは!」
広い庭を通り越して門の向こう側から声が響いてきた。
「あら、あの声は鉄丸ちゃんかしら。相変らず元気で大きな声ね」
「全く、あのバカ!恥ずかしい!!!」
再び門の方から声が聞こえてきた。
「どうもすみません、お世話かけますね」
鉄丸が家人と会話しているようだが、鉄丸の声しか聞こえてこない。
「お茶、入れておきましょうね。お茶菓子もね」
嬉しそうに笑った。
「丼にでも入れてやって下さい」
瑞貴が手際良くお茶の用意を終えると同時に鉄丸が部屋の障子の前に立った。
「鉄丸ちゃん、お茶の用意が出来てますよ、お入りなさい」
「何故分かったんです?瑞貴さんも先生と同じ能力があるんですか?」
瑞貴は悪戯そうな顔で出迎えた。
「ええ、川上さんと同じ能力を持っていますよ。最も私だけではなく剣介ちゃんも持っているし、鉄丸ちゃん以外の全ての人が持っていますよ」
「?????」
鉄丸は怪訝そうな顔をした。
剣介のとなりにどっかりと座り込んだ鉄丸の頭は剣介よりも頭一つ抜けていた。
「鉄丸ちゃんは相変らず大きいわね」
「ありがとうございます。そういう瑞貴さんも相変らずお美しいですね」
鉄丸は頬を紅く染めながら答えた。
「ほほっ、口が上手いんだから。おばさん誉めてもお茶菓子しか出ないわよ」
「いやいや、そんな事無いです。鉄丸の言う通り義姉さんは、美しいですよ」
「剣介ちゃんまで!二人とも上手ね。でも、そういう言葉は私より彼女に言ってあげなさい!話は変わるけど、鉄丸ちゃん、大丈夫だった?」
「はい、お世話かけました。昨日は動けませんでしたけど、たっぷりご飯食べたら、すっかり良くなりました。
いや、それにしても効きました。命が縮んだかと思いました」
「あら?本当に縮んでるのよ」
「えっ!?」
「あの技は魂を傷つける技、鉄丸ちゃんの寿命はほんの数分でしょうけど確実に縮んだはずです」
「義姉さん、それは冗談ではなく本当ですか?」
「当たり前です。こんな大事な事は冗談などで言えますか」
瑞貴の穏やかな顔は一変して険しくなり、眉間に年齢それなりの皺が寄った。
「剣介ちゃん、戦う覚悟が決まったなら、あなたもあの技を覚えなければなりません。
川上先生から、あなたの修行については任されています。早速今日から我が家に泊り込み、稽古してもらいます。
鉄丸ちゃん、あなたはどうするのです?」
瑞貴は鉄丸を見つめた。剣介も鉄丸を振り向いた。鉄丸はしばらく沈黙した。
「僕は…止めておきます」
きっぱりと断言した。
「散々悩みましたけど、僕はやはり自分の夢は捨てられません。教師を目指します」
「そう、鉄丸ちゃんは教師を目指すの?
いいんじゃない」
「すみません、瑞貴さん」
「いえいえ、教師も大変立派な職業です。
次世代の立派な子供たちを育てなければなりませんから」
瑞貴は優しく微笑んだ。
「剣介も、すまんな」
「いいさっ、僕だって随分悩んだ。
皆が皆同じ道を歩む必要はないさ!
僕は剣の道を選んだ。お前は教師の道を選んだ。それでいいじゃないか」
剣介は自分の覚悟が決まった事で晴れやかな気持ちで鉄丸に答えた。
「そう言ってくれると救われるよ。皆にどう言おうか困っていたんだ。
実はさっきお前の家に寄ってきたんだ。
そうしたらこっちだと聞いたから、来てみたんだ。二人に話せて良かった」
「親御さんには話したのか?」
「ああ、親父は許してくれた。好きにしろと言ってくれたけど、内心はガッカリしていたみたいだ」
「うん、そうか。うちの母さんも僕に戦って欲しいみたいだ。戦えば、自分の息子が死ぬかもしれないのに、戦って欲しいと思うのなんて、何か間違っている気がするな」
「現代の感覚でいえばそうですね。ですが、六十年前世界戦争の時代には、それが当たり前、そういう時代があったのです。
常識というものは時と場所によって大きく変わるものなのです」
瑞貴が諭すようにいった。
「そういうものですか?」
「二人はまだ若いから分からないのも無理ないでしょうけれど、そういうものなのです。
ですから、私たちは私たちが美しいと感じる伝統、風土、そういったものを守り、語り伝えなければならないのです。そうしなければ、いつか消えてなくなってしまうのです」
「義姉さん、僕が守るよ」
あらためて決意を表明した剣介に瑞貴は微笑みで返事を返した。
「剣介、瑞貴さん、俺そろそろ帰ります。用件済んだし、ここにいても稽古の邪魔になるでしょうから」
場を座そうとした鉄丸を瑞貴が止めた。
「せっかくだから見ておいきなさい。
剣介ちゃん、「刀志」を持って庭に立ちなさい。裸足でね」
剣介は言われた通りに裸足で庭に立ち、剣を抜いた。瑞貴に正対し正眼に構える。
「剣を構えたまま、いつも稽古の前にする呼吸法を私が良いというまで繰り返しなさい」
瑞貴の言葉づかいがいつもと打って変わって命令口調になっていた。
「そうそう、そのまま呼吸を続けて!」
瑞貴のいつもと違う態度に戸惑いつつも剣介は素直に瑞貴の言葉を実践した。
「そうしたら、お腹の底、丹田に送り込んだ気のイメージを今度は腕を通して刀に送り込む事を意識して!」
息を吸い込んでから丹田へ、丹田から刀へ気を送り込むのに数十秒掛る。しかも気のイメージが剣の切っ先まで完全に届くという訳ではない。
「剣介ちゃん、気がまだ切っ先まで届いていないわ。もっと意識してみて!」
が、何度やっても切っ先まで気は届かなかった。
「姉さん、駄目だ。上手く行かない…」
「諦めないで、何度でも繰り返して。それがまず基礎中の基礎よ」
さらに何度か繰り返す内、次第に呼吸のペースが狂い息苦しくなってくる。
剣介は自分がふらふらとしていく事が自覚できた。突然剣介の目の前が真っ暗になった。
酸素が欠乏してブラックアウトを起こしたのだ。剣介は自分の体が倒れていく感覚が分かった。ドサッと地面に体が倒れた音が耳に届いた。痛いという感覚が伝わる前に剣介は気絶した。
「おい、剣介大丈夫か!?」
鉄丸が剣介に駆け寄り助け起こした。
「鉄丸ちゃん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。体内の酸素を消費しすぎた事と気を一気に放出しすぎた事が原因です。
それほどの事ではありません」
鉄丸は剣介を縁側へと運び上げた。
瑞貴は剣介の体に手の平をかざし、頭頂部から足先まで何度か往復させた。
「私の能力は治癒。手の平から発する気が体内の気を活性化させ自然治癒力を向上させます。鉄丸ちゃんにも見えるでしょう?」
瑞貴の言う通り手の平が黄金に輝いているのが鉄丸には見えた。
「これでもう大丈夫、直に目を覚ますわ。」
瑞貴は立ち上がると毛布を持ってきて横たわる剣介にかけた。
「風を引かせる訳にはいかないものね。
さて、鉄丸ちゃん、戦う事から離れたあなたには、私は何も教える事はできません。
ですが、あなたが私から勝手に何かを学び取る事を止める事は出来ません。
我が家の玄関はあなたに対して閉ざされる事はありません。いつでもいらっしゃい」
「ありがとうございます。また来ます」
鉄丸は深々と頭を下げた。
「受験勉強と稽古、忙しくなるな!」
と鉄丸は思った。
毎日剣介と瑞貴の特訓は続いた。そしてその場には必ず鉄丸がいた。鉄丸は特訓に参加すると言う訳ではなかったが、剣介の動き、稽古の方法についてはつぶさに観察していた。
日増しに上達していく様は端で見ている鉄丸にもはっきり見て取れた。
鉄丸の血はたぎっていた。ほんの少し前まではその技を競っていた友が、自分よりも高次元の世界へと足を踏み入れた事への嫉妬、剣とは別の道を選んだ事への後悔に似た思いが鉄丸の心を支配していた。
だから、夜自宅でその日見た剣介の稽古を独自に稽古していた。
そして、その独自の稽古を続けている内に「戦いたい」という欲求が鉄丸の心に日増しに大きくなっていた。
「もう一度やってごらんなさい」
瑞貴が剣介に指示を出した。
鉄丸が考え込んでいる内に剣介が一歩上のステージに進んでいたようだ。
剣介は剣を構えると気を剣に注ぎ込んでいた。一瞬の内に切っ先まで剣介の気が充満する。稽古を始めた頃とは段違いである。
そして剣全体が黄金に光り輝いているのがはっきりと見えた。
その光り輝く剣を剣介は振りかむり、そして振り下ろした。
その剣を振った軌跡にそって光の粒子が煌いていた。
「剣介ちゃん、良く出来ました。これで私に教えられる事は何もありません。
稽古は全て終了です。後は今までに培った剣技と組み合わせて独自に稽古を積んでちょうだいな。」
剣介も鉄丸も今までに見たこと無いほど愛らしい笑顔を浮かべた。
「義姉さんは、本当に笑顔が似合う人だ。」
そういう剣介もたまならいほど清々しい笑顔を浮かべていた。
「おい、剣介!気分良さそうだな?」
「ああ、最高に気分良い!達成感がある。」
その言葉に鉄丸は嫉妬した。
「なあ、鉄丸よ。僕はもしかしたら、彼らとの戦いで死ぬかもしれん。だが、もしそうなってもお前はきちんと教師になって、立派な子供たちを育ててくれ!」
「ああ、当たり前だ!死んだら骨を拾ってやるから安心しろ!」
精一杯の憎まれ口だった。
「さて、俺は帰るよ、受験勉強しなきゃならないからな」
「そうか、またな。がんばって勉強してくれ」
帰ってゆく鉄丸の背中を見送って瑞貴はつぶやいた。
「鉄丸ちゃんも、今が悩み時ね」
その意味を剣介は理解できなかった。
鉄丸の自宅では夜になると、鉄丸が受験勉強に励むその横で鉄心が稽古に励んでいた。
それが鉄丸が教師への道を選んだ一ヶ月以上前から続いている。
ずっと剣介の稽古を見続けている鉄丸にとって、剣技はともかく剣にこもる気の量は鉄心のそれは剣介に遠く及ばないのははっきりわかっていた。それを見て鉄丸は父に声をかけざるをえなかった。
「親父、あんな化け物みたいな連中と本当に戦うのか?」
「当たり前の事を聞くな。お前が戦わない以上、金剛の家で戦うのは俺しか居ないだろうが」
「親父、無理しなくても。なんなら俺が戦ってもいいんだぜ」
「逃げるな、この馬鹿!お前は教師になる道を選んだんだろうが。自分の選んだ道から逃げるんじゃない。名前の通り、鉄の様に固い意志を持って真っ直ぐに突き進んで、困難に遭ったらねじ伏せろ!奴等との戦いは俺達に任せておけ!」
「でもよ、あのレールガンぶっ放した男を見たけど、あのレベルの敵に親父が勝てるとはとても思えん」
「そうかもしれないな。だが、やらねばならない事だ。俺は日本人の優しさや民族性が好きだからな。そこらにいる御老人を見てみろ、あの人達の美しい生き方を俺は守りたいのだ。あの人達の生き方、日本人の気風、それを壊そうとする連中は許せない。だから、俺は例え死ぬとわかっていても戦う」
鉄心は、親として息子の鉄丸に覚悟を示した。
「仮に俺や川上先生が死んだとしてもお前は敵を討とうなどと考えるなよ。奴等の侵攻は文化の侵食だ。すぐに日本人全部がどうこうされる訳ではない。
武力に頼らず、教育という戦法で奴等の侵攻を食い止める方法がある。
きちんと子供に日本の文化、気風、日本人の生き方を教えて育て上げる事。時間は掛るが最も強力な戦法だな。
それがお前のこれからの戦いだ。しっかり勉強して大学へ行け」
鉄心は再び稽古に戻り、鉄丸は参考書へと目を向けた。
鉄丸は、勉強の最中も時々脇に置いた木刀に手を触れる。瑞貴の家で見た剣介の稽古を体で反芻していた。呼吸法も自然と特殊なものへと変わっている。しかし比較してくれる師が居ない以上、どれほど以前に比べてレベルアップしているのか見当もつかないでいた。
鉄丸には受験勉強と稽古、双方中途半端になっている事に気付いていても、揺れる心を押さえる事は出来なかった。
その様子に鉄心は気付いていたが、アドヴァイスも叱咤もしなかった。
自分の道は悩み苦しみながら自分一人の力で進んでいくものだと思っていたからだ。
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