第16話 新たなる敵

潮の香りがきつい。

遠くに灯台が見える。

その手前には大小さまざまな大きさの船が見える。

波の動きはとても重い。

空はどんよりとした黒い灰色の雲に覆われ、吹き降ろしてくる風は氷を凍らせるほどの温度である。

普段は誰も通らないような、薄暗く汚れた港の裏通りを街中に向けて歩いている者がいる。

黒一色の服装である。頭部に白い布が巻かれている。神父マルコである。

足取りは重く、時には建物に手を付き休みつつ、ふらつきながら歩いている。

「よお、神父さん、酔ってるのかい?」

声をかける者がいた。

船乗り風の筋肉に覆われた大柄な男が、ウオトカの瓶を口に運びながら神父を見つめている。

「ここは神父さんが来るような所じゃないなあ、怪我するから早く表通りに戻った方がいいなあ」

柔らかい口調であったが、明らかに脅迫であった。神父はその言葉に反応はしたが、対応はしなかった。正確には対応できなかった。

視線は船乗りを見ていたが焦点は定まっていなかった。その視線を受けた船乗りは不快感を顕わにした。

「神父さんよ、聞こえないかい?あっちに行けっていってるんだよ!」

船乗りは神父を突き飛ばした。

その動きで船乗りの後ろに隠れていた物が見えた。口をふさがれ押し倒された若い女とのしかかった男、その仲間が数人である。

「俺達はこれからお楽しみの時間なんだ、あんたがいたんじゃ邪魔なんだよ!」

船乗りは神父を睨み付けた。

「汝、姦淫するなかれ、この言葉を知っていますか?」

突然言葉が響いた。

「最もこの場合、意味が少し違いますが。」

二人の黒装の男が立っていた。

一人は長身でがりがりの細身、もう一人はこじんまりとした背のまるまるとした小太りで、皺だらけの顔をしている。対照的な体格の二人であった。神父の同僚であった。

「おお、おいたわしやマルコ神父。このような大層なお怪我をなさって。」

小太りの神父が、突き飛ばされ、ひざまづいた神父に駆け寄り助け上げた。

「ではヨハン神父、マルコ神父はお任せ致します。私は彼らを片づけましょう」

その長身の神父は船乗りに向かって歩き始めた。

「おい、なんだ、やろうってのか?」

船乗りはナイフを抜いた。

「それで、どうしようというのですか?

もしや、私に切り付けようというのですか?」

ナイフを見ても神父はおくさずにすすんだ。

「おい、脅しじゃねえぞ、それ以上近づくと刺すぞ!」

船乗りはさらに声を荒げた。

「やってご覧なさい。」

神父は静かに答えた。

船乗りはその言葉を聞いてナイフを突き出した。

神父の手の平から光線が溢れ出した。まばゆいばかりの光である。その光を軽く振った。

船乗りのナイフを握った拳が掻き消えていた。

拳の消えた腕は神父の腕を叩いただけだった。

神父はもう一度腕を振った。

船乗りの首の部分だけが消え去った。

十センチほど首が落ち、その分だけ船乗りの身長が縮んだ。

「てめえ、何しやがった!」

船乗りの仲間が異変に気付き神父たちに近づいてきた。

「どうという事はありません。あなたたちも、その女性を開放して家に帰りなさい。さもないと、この方同様天罰が下りますよ」

神父がとんと船乗りを押すとごろりと首が落ちた。切断部分は完全に焼かれ、血の一滴もこぼれ落ちなかった。

こぼれ落ちた仲間の首を見て船乗りたちは信じられない物を見ているような顔をしていた。

「さて、皆さんはどうなさいますか?」

長身の神父がまた聞いた。

その声に我に返った男が神父に殴り掛かろうとした。

「お止めなさい。」

小太りのヨハンと呼ばれた神父が近づいてきていた。そして、殴り掛かろうとした船乗りの腕を奇妙な円の動きでかわし、関節を締め付けた。

「ペテロ神父、マルコ神父は体内電池の残量が極端に低下しています。加えて電装部品も相当ダメージを負っているようです。

この地での治療には苦労しそうです」

船乗りの関節を押さえつけながらヨハンは長身の神父に話し掛けた。

「従者に搬送を命じておきました。ご安心を。」

関節を押さえつけられている船乗りが痛みでもがいた。

「いてえんだよっ!放せ、この野郎!」

「放せ?では開放しましょう。」

その言葉と同時に周囲にジュージューという

肉の焼ける音と臭いが充満し、船乗りが悲鳴を上げた。

「ヒートアームといいます。高温を発する事ができます。ほら、今あなたの手首が溶けきりました。開放されましたよ。」

船乗りは声にならない悲鳴を上げて倒れ込んだ。他の船乗りたちはその様子を見て逃げ出した。その後をペテロと呼ばれた長身の神父が後を追った。残ったのはヨハン、押し倒されていた女、そして最後まで女の体に乗っていた男だけだった。

 巨大な男だった。ヨハンの倍は身長があるのではないかという大きさだった。

「太極拳かい?」

大男は呟くように、ぼそりと話した。

「良くお分かりになりましたね。」

「あの動きを見ればね。ついでに言えば、その腕はイスラエル製だね?」

「ほうほう、良くご存知で。あなた、もしや元軍人さんですね。」

「元スペツナズさ」

「ほう、特殊部隊出身で。で、私とやるのですか?」

「仲間を殺されたからねえ」

「私のヒートアームが怖くないのですか?

お仲間と一緒にお逃げになった方がよろしかったのでは?最もペテロ神父から逃げ切れるとは思いませんが」

「くくっ、確かにあんたの腕は怖いなあ。でも捕まらなければ、問題無い!」

前蹴りが神父の丸みを帯びた腹に突き刺さった。神父は蹴られた勢いで後ろに転げ倒れた。

「腕は機械でも、腹は生身のようだねえ。痛いだろう?」

倒れて転がった神父は服の汚れを払い落としながら立ち上がった。

「いやいや、効きました。良い蹴りです。空手ですね」

「ああ、これでもそれなりの大会でそれなりの結果を収めてるんだぜ!」

「なるほど、なるほど。確かにそれなりですなあ。では、こちらもそれなりに対応しなければなりませんなあ」

体勢を柔らかく取り、ゆらりゆらりとゆらすように動いた。

「ほう、いい動きだ。だがっ!」

右正拳がヨハンの顔を襲った。ヨハンは柔らかな腕の動きでそれを躱しつつ反撃にでようとした。が、右拳が目の前から消え、左の拳が喉元に食い込むかに思われた。しかし、衝撃が走ったのはヨハンの股間であった。

重みのあるヨハンの体が二十センチほども浮いた。そして直後に下方から顎を打ち抜かれ、鼻の骨を砕く威力の正拳が叩き込まれた。

ヨハンは吹き飛んだ。

「どうだい?何が起きたか分かったかい?」

勝利を確信した笑みを浮かべていた。

ヨハンの体はピクピクと痙攣していた。

「こいつ、意外と他愛なかったな。」

そういって服装の乱れを直し、先程まで押し倒していた女の方を振り向いた。

「おい、女、場所を変えるぞ!付いて来い!」

女は乳房を放り出したままの格好で首を何度も何度も横に振り、抵抗を示した。

「面倒くさい女だな。大人しくいう事を聞け!」

女の手をつかみ引っ張り起こそうとしたときの事である。

「まあ、お待ちなさい。」

涼しい顔をしてヨハンが立ち上がっていた。

「?」

確かに倒したはずの男がそこに立っている。

倒した手応えは確かにあった。今までの相手であれば確実に葬っているはずの打撃であった。

大男の元軍人は信じられない者を見ていた。

「あなた、非常に優秀です。私どもの従者にする事を決めました」

「てめえ、何ふざけた事いってやがる!」

「いえいえ、私何もふざけてはおりませんよ、はい。あなたの実力を高く評価しているのです。ありがたく思いなさい。

先程の攻撃、実に素晴らしかったですよ。

右正拳をフェイントに左正拳を打ち込むかのように見せかけて、本命の右蹴りをいれ、さらに左のアッパーを叩き込み、とどめの右を打ち込む。あのスピードであの動きを出来る者はそうはいません。

たいしたものです。

が、私には到底かないません。」

「そうかい。試してみるか?」

シュッという空気を切り裂く音を引き連れて突きの連打がヨハンを襲った。

ヨハンは軽やかでゆるやかな円の動きで応じる。端から見れば、スローモーションの様に見れる動きだが、見事に全ての突きを躱していた。

「ほほっ、どうしました?当たりませんね。」

ヨハンは笑顔を浮かべてた。

「悔しいが、確かにあんたは強え!仕方ねえ、奥の手だ!」

地面に向けて蹴りを入れた。蹴りは地面をえぐり、砕かれたコンクリートや土をヨハンの目を目掛けて跳ね上げた。

ヨハンは反射的に目をつむった。

その隙を男は見逃さなかった。

男はヨハンの右手の甲を丸め込み、ひじをねじ上げた。

「実は黙っていたが、サンボもやっているんだ。どうだい?これでヒートアームは使えないぜ!」

メキメキとヨハンの右腕は悲鳴を上げた。

「これは一本取られました。確かにこれではヒートアームは使えませんね。

あなた、本当に逸材です。やはり私共の従者になんとしてもなっていただきます」

「まだ言うか!」

さらにヨハンの腕はねじ上げられた。

ヨハンの腕はさらに悲鳴を上げた。

「いやいや、参りました。すごい力だ。

私の機械の腕をここまでねじ上げるとは。

感服いたしました。

ですが、私も一言申し上げるのを忘れていました。私の左腕、全てを凍らせるんです。」

ヨハンは自分の右腕をねじ上げている男の皮膚に触れた。

パキパキパキパキ

空気を伝わって凍気が走る音が男の耳に響いてきた。

それが男の聞いた最後の音になった。

「大分てこずったようですな。」

そこへペテロが現れた。

「おお、ペテロ神父、てこずりましたが、非常に良い従者を得る事が出来そうです。そちらはどうでしたか?」

「ふむ、私の方は屑ばかりでしたな。存在意義などまるで無い者ばかりでしたな。

神の名の下に、全員刀の露となっていただきました。」

ペテロはにこりと微笑んだ。

「ホホホッそうですか。止むをえませんな。

ところで話は変わりますが、当面の問題が出来ました。私共がお救い申し上げたこの女性の始末です。殺人を目撃されてしまいました」

ヨハンとマルコが見つめた女は未だその胸をはだけたまま呆然としていた。

「ささっ、これを着なさい。」

ヨハンは黒衣を脱ぎ、女の肩にかけた。

そして優しくも残酷な言葉をかけた。

「ところであなた、神を信じますか?」

ヨハンは狂気を充満した笑みを浮かべた。

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