第10話 悪霊

その時の事である。

倒れた男たちの体から黒々としたものが這い出してきた。それは夜の闇よりも濃く、霧よりも朧に見えた。

「いよいよ出てきました。あれ、我々は「悪霊」と呼んでいますが、あれの倒し方を良く見ておいてください。」

近衛が悪霊と呼んだものは、人の形のように立ち上がった。

二つの悪霊はゆっくりと川上に向けて歩き出した。

川上は近づいてくる悪霊を眺めていた。

それは人が歩くように朧な体を揺らしながら移動した。まるで人の影が立体になって立ち上がったようであった。

その影が通過した後のアスファルトがぐずぐずと腐っていた。

川上は平正眼に構え、その影が間合いに入った瞬間何のためらいも無く斬り捨てた。

「今、剣が光らなかったか?」

「ああ、光ったよ、剣介!」

川上は続いてもう一つの影も斬り捨てた。

剣の輝きは更に増していた。

「あれが悪霊を倒す方法です。」

近衛は何もかもを把握しているかの様な口振りで話した。

影はジュクジュクと音を立てて蒸発するかのように消えていった。

神父は一瞬信じられないものを見たような顔をした。そしてすぐに笑みを取り戻した。

「ははははっ。

面白い。あれを倒せる人間が居るとは!

面白い国だ。戦いがいがある。」

そう言いながら神父は袖を捲り始めた。

「聖書に詳しいようだが、こういう言葉は知っているかな?

『創世記』の言葉だがね、

「光あれ」」

その言葉の瞬間、神父の右手首が光った。

光ったと同時に川上のいた場所が爆発し、白い煙をあげた。

「レールガン!」

近衛が驚きの声を上げた。

「先生!」

剣介、鉄丸は同時に声を上げて川上のいた所へ駆け寄ろうとした。

「来るんじゃありません。そこで見ていなさい!」

緊迫感の在る声が届いた。

「ふん、生きてるか。」

神父がつぶやいた。

白い煙が消えると果たしてそこには川上が立っていた。川上の足元、半径五メートル程に半球状の穴が開いていた。

衣服のそこかしこに焦げた後がつき、額からは血が流れていた。

「体内にレールガンを仕込んだ者がいるとは聞いていましたが、いきなり出会うとは予想外でした。」

神父は川上を見つめ、そして今度は鉄丸を舐めるように見つめた。

「そこの十字架を下げた君は、この男の知合いかね?」

「そうだ!俺の剣の先生だ!」

怒りながら鉄丸は答えた。

「ふむ、本当に面白い国だ。クリスチャンが、クリスチャンに攻撃する相手と組んでいるとは!全く理解しがたい」

神父は深く考え込むような顔をした。

剣を無形の位においた川上は神父の独り言のような疑問に答えた。

「お前たちには信じられないかもしれないが、それが日本人なのだ」

二人は互いに構えたまま視線を交えていた。

視線での戦いである。

先に引き下がったのは神父であった。

ふっと体の力を抜き、笑みを浮かべた。

「仕切り直そう。今日は戦いは止めだ。」

といい、一方的に戦いを終えた。

そして、鉄丸、剣介に向けて歩き出した。

その動きはあまりに自然で、二人も自衛官の近衛も戦いは終わったという神父の言葉に何の疑問も覚えなかった。

唯一人川上だけが神父の思惑に気づいた。

「いけない、逃げなさい!」

その声がかかったときには神父は動き出していた。常人の数倍のスピードで走り出した。

剣介と鉄丸の眼前に狂暴な笑顔が近づいていた。

その顔を見た瞬間に三人の背中に悪感が走った。地獄を体現したような笑顔だった。

キン!

金属音が鳴り響いた。

無意識の内に剣介は刀を抜いていた。

先端部分が折れていた。

その折れた切っ先と一緒に白髪が落ちていた。

正確には白髪の神父の頭皮が斬り落とされていた。

三人の傍らに神父は立っていた。

左側頭部、左耳から眉をかすめて頭頂付近にかけて頭蓋が斬り取られていた。

血は流れていなかった。脳漿も見えていなかった。ただ、銀色のチューブの様なものが何本も見えていただけである。

神父は左腕をゆっくりと上げて指先で撫でるように頭部の傷口に触れた。

「ふむ、左目のセンサー類がやられたか。」

冷静に自己の分析をしていた。

神父は四人を一遍に見渡せる位置に立った。

「さて、諸君、今日の所は本当に引かせてもらう。再会の時まで健在でいてくれ給え。」

再び右手首が輝いた。

地面のコンクリートがはじけ、粉塵となって周囲を覆った。

その煙が薄れた頃、神父の姿は影も形も無かった。代りに制服の自衛官、数十人が駆けつけてきた。

川上はゆっくりと抜き身の剣を鞘に戻した。

近衛は斬られた二人の遺体に近づいた。

「川上先生、思った通りです。」

川上を振り向き、呼び寄せた。

剣介と鉄丸もゆっくりと近づいた。

二人は、人によって死体にされたものを見るのは初めてである。

目前まで来たとき剣介は思わず手を合わせていた。鉄丸も十字を切っていた。死者に対する礼儀である。

「二人とも良く見なさい。これは人ではありません。」

近衛が声をかけた。

斬り落とされた頭部からも、足や腕からも血の一滴も流れてはいなかった。

近衛は再び川上に声をかけた。

「血液が完全に凝固しています。

「死人返りの法」の可能性があります。」

「わかっています。最初から彼らには独特の死臭が漂っていました。だから、迷いなく剣を振る事が出来ました。」

「先生、「死人返りの法」とはなんです?」

二人は声をそろえて聞いた。

「その事はあとで説明しましょう。

迎えが来たようです。」

 数台のトラックが走り込んできた。

十分後には制服の自衛官が死体の回収や斬り落とされた神父の頭皮を回収、爆発した道路の偽装を完了していた。

全てを予想したような手際の良さだった。

その作業が終わる頃、時遠以下僧姿の若者が十数人やってきた。

中には女性や十代ではないかと見える者も混じっている。

「まあ、緒戦としては上出来かのう。

川上よ、おめえもそこそこの年なんだから、手を抜かねえと早死にするぜ」

時遠が笑いながら悪態を突いた。

川上はにこりと笑いそれに答えた。

「御坊こそ、そのお年でまだこれだけのお弟子さんがいらっしゃる。随分と頑張っていらっしゃるようで」

時遠はいきなりすぐ近くにいた尼僧の胸をもみしだいた。尼僧は顔を赤らめたが抵抗する素振りは見せなかった。

「おめえよ、この女どもは皆おいらの愛人よ。

そこらの若い者は皆おいらのガキさっ!

弟子なんざほんの二、三人よ。」

にやりと、嬉しそうに笑った。

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