第5話 死に稽古 剣介
道場に戻った二人は神棚に向かって正座した。そして川上は二人に対し正対して正座した。
「では、稽古を始めます。」
川上の言葉を受け、
「神前に礼!」
と剣介が掛け声をかけ、その言葉とともに両手の平を床につけ額を地面すれすれまで下げる。
いわば土下座の姿勢である。しかしその意味は謝罪ではなく、限りない敬意の表現である。
「互いに礼!」
続けて師も弟子も関係無く神前に対したのと同じ敬意を持って互いに礼を取る。
「さて、どちらからきますか?」
川上の言葉に鉄丸は互いの意志を確認しようと剣介を向いたが、剣介はすっくと立ち上がっていた。
鞘から「小鉄」を抜き取り平青眼に構える剣介。
一方川上は無形の位に置いている。
「実戦だと思って掛かってきなさい。」
とまどう剣介に発破をかける川上。
剣介とて、それなりに腕に自信はある。万が一剣が相手に触れればただの怪我ではすまない。場合によっては死亡事故である。
逆に川上の木刀で打たれたとしても骨折は免れる事はない。十八歳の若者には酷な試練といえた。
「来なければこちらから行きます。」
無形の位、体の斜め下、足の先に置かれた切っ先が剣介の額に向かって跳ね上がってくる。
剣介の目には一つの光りの弾が光の速度で向かってくるのが見えただけである。
光弾は頬の肉の産毛をなぎ、瞳の粘膜をかすり、額にかかった頭髪を数本切り取っていた。
「次は当てます。」
川上の言葉に剣介はあらためてこれがただの稽古ではない事を自覚した。死ぬかも知れないという恐怖がむくむくと沸き上がってきた。
それは端で見ていた鉄丸も同じだった。
今の一撃を見ただけで、正座した腿に置かれた鉄丸の手の平は汗に溢れ、背中を冷や汗が流れていた。
剣介の先程までの父や兄に対する嫉妬にもにた思いは消し飛んでいた。
「やらなければやられる!」
恐怖のため自我を失いかけ、そういう思いに心は支配されていた。
剣介は深く深くゆっくりと呼吸した。
道場の空気全てを吸い込むような深い呼吸で気を体内にため込んだ。
そしてそのため込んだ気を
「はっ!」
という裂ぱくの気合とともに放出し、正眼からふりかぶり、川上の頭頂めがけて切りかかった。
最高の一振であった。
それが並の達人であれば、何が起きたかも分からない内に斬り殺されていただろう。
剣介も切っ先が川上の頭頂に触れる瞬間、忘れかけた自我を取り戻した。
「まずい、当たる!」
振り込んだ剣を止めようとした。
が、剣は既に川上の額に吸い込まれていた。
吸い込まれた切っ先はそのまま、目と目の間、鼻頭の正中線を正確に斬り下ろしていた。
当の剣介も客観的に見ている鉄丸もそう見えていた。川上は死んだと直感していた。
が、剣介は手応えを感じなかった。
川上の体は剣先のすぐ傍らにあった。
「良い太刀筋でした。が、まだまだ。」
川上の言葉が終わるか終わらないかのうちに剣介の喉元に木刀が伸びてきた。
首をひねってギリギリでかわしたが、もし当たっていれば喉笛を突き破られる容赦の無い攻撃であった。
その喉を突いた木刀はそのまま跳ね上がり、頭部に向かって振り下ろされた。
剣介はそれをかろうじて刃で受け止める事が出来た。
木刀を真剣で受け止めれば、木刀は切れる、少なくとも刃が木刀に食い込むはずである。
が、結果は真剣と真剣がぶつかった時のように「キン」という高い金属音を発してはじけあっただけであった。
「剣介、刃を刃で受けてはならない。
刃こぼれを起こして使い物にならなくなるだけです。
敵の攻撃は足さばきでかわしなさい。
足の運びは既に身についているはず。
落着いて相手の動きを見極めなさい」
「はい!」
反射的に返事をしながらも、
「果たして上手く出来るか?」
という考えが頭をよぎった。
が、その瞬間には川上の攻撃は再開していた。
なるほど、体で覚えた足さばきはかろうじて川上の攻撃から刃を交えずに身をかわす事は出来た。だが、反撃に移るには遠く及ばなかった。
そして遂に一方的な攻撃をかわし切れず、川上の突きが喉を襲った。
「死んだ!」
と思った。
木刀は剣介の喉仏の肉に触れているだけだった。
剣介の額から滝のように汗が流れ落ちてきた。
脂汗であった。
「私の攻撃中、三度反撃に転じる隙があったはず!その隙を突けなかったのは、相手の動きを読み、計算した足さばきが出来ていないからです。あなたに必要なのは柔らかな動きです。「柔能く剛を制す」の言葉を実践しなさい。
それが出来なければ、類まれな鋭い剣の振りも生かせません。」
といって喉元に突きつけたままの木刀を降ろした。
剣介はがっくりと膝まづき、はあはあと荒い息をした。大量の汗が床を濡らした。
川上は息も荒げず、汗一つかかず
「次、鉄丸!」
冷静に呼びかけた。
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