第2話  剣介、鉄丸

濃い色をした青い空の下、濃い色の土にあふれる畑が続いている。その畑は細かく区切られ細いあぜ道がいくすじも伸び、子供が遊んでいる姿が見える。

その畑の一部に、大きな木に覆われた小高い丘になっている場所がある。

遠めで見ると茶色の海に緑の小島が浮かんでいるように見える。

近づいてみれば、そこは暗い杜である。

数百年、あるいは千年という年月を変わらずにそこにある木々が、日の光を拒んでいる。

暗くはあるが、陰湿な空気ではない。むしろ生気に満ち溢れ、神聖な空気が漂っている。深く吸い込めば、身も心も清々しくなるような清浄さだ。

社。

神を祭るだけの小さな社である。

古い建物だが、朽ちた様子も無く庭もきれいに掃除され手入れされている。

それだけをみても、人々の信仰が生きているのが知れる。

抜かれたばかりの雑草や掃き集められた枯れ葉がまとめられている。

「おおうい、剣介坊ちゃん、そろそろ終わりにしましょう。ほら、鉄丸ちゃんも。

お滝さんや、二人分お茶入れとくれ!」

人のよさそうな笑顔を浮かべた初老の男は二人の若者に声を掛けた。

 剣介と呼ばれた若者は慎重170センチ程、細身のよくしまった体つきをしていた。

端正でやや女性的な顔つき、軽く天然パーマのかかったショートヘアをしている。

彼の指が、彼という人間の肉体を表現するのに最も適していた。

細く、長く、しなやかで鋭い。

それが剣介の肉体である。

 一方鉄丸と呼ばれた若者は一言で表現すれば、名前の通り鉄の球である。

筋肉の装甲で覆われたような硬そうな肌で、それでいて丸みを帯びていた。

拳も、服に隠れた胸や太股も、服装の上からでも曲線を描いている事が一目で見て取れた。

その肉体のうえにちょこんと載っている頭部もサッカーボールの様な球体である。

社の前に敷かれたござの上に老若男女が車座になってお茶を啜っている。

「やあ、剣介坊ちゃんと鉄丸ちゃんのおかげで意外に早く終わったよ。ありがとうねえ。」

「いやいや、とんでもない。お社は地域皆の物ですから、皆で守っていかないと。

なっ?鉄丸。」

「全く、全く。お気になさらず!」

先程の初老の男が声をかけてきた。

「そういえば、ぼっちゃん、親父様はまだ山に入ったままで?」

「ええ、弟を連れて山にこもったままです。

しょうのない親父です。」

「まあ、明王さんちはねえ、お家がお家だからねえ。仕方ないのよねえ。」

そう答えたのはお滝と呼ばれた老婆である。

その時の事である。

社の庭に風が吹いた。

赤い鳥居の向うに光り輝くような、そして爽やかな薫風のような女性がいた。

「聖礼院様…」

誰かが発した言葉に皆が反応した。

誰とも無く立ち上がり深深と頭を垂れた。

「瑞貴義姉さん…」

和装の婦人がにこやかに微笑み

「剣介ちゃん久し振りね。鉄丸ちゃんも…」

と呼びかけた。そして頭を垂れたままの人々に向かい

「ささ、皆さんもお気楽に。お茶菓子お持ちしましたから。」

とさらに顔をほころばせた。柔らかく暖かい笑顔だった。

 聖礼院と呼ばれた淑女は、何時の間にか人々の中心に座り話題の中心になっていた。

時には老人の言葉に真剣に聞き入り、時には子供の愉快なしぐさにコロコロと笑い声を上げた。剣介は暗い杜に日が差し込んだように明るくなったように錯覚した。

社の掃除の帰り道の事である。剣介と鉄丸をお供に聖礼院はゆっくりと歩いていた。

「剣介ちゃん、寄っていってくれるでしょう?亡夫に線香の一本も上げていってちょうだいな。

あらっ、ふと思い出したけれど鉄丸ちゃんってクリスチャンじゃ無かったかしら?

良かったの?神社のお掃除なんかして?」

落着いた大人の女の声、緩やかな口調で鉄丸に話し掛けた。

にこりと微笑み、笑窪の浮かんだ顔に見つめられて鉄丸はドギマギした。ドキドキという心音が頭の中に響き渡った。

さらに、動揺を隠せず、首にかけられた十字架を触りながら

「だ、大丈夫です、大丈夫です。

僕は確かにクリスチャンで、ましてやカトリックですけど、誰がなんといっても大丈夫なんです!」

「あらあら、良いの?そんな事言ってしまって。」

笑顔を絶やさず聖礼院は問い直した。

「ええ。僕が思うにですね、日本のキリスト教徒は厳密な一神教ではないのですね。

イエス様と神道の神様とは別物だと思います。イエス様には信仰ですけど、神道や仏教へは敬愛や尊敬の念なのですね。気持ちの向き方が全然違うのです。

それに、信仰の中心はあくまでイエス様ですけど、神道や仏教の思想は心の中に確実に生きています。それは道徳とか倫理といった形ですね。

ですから、この二つの宗教が心の中にある事は全然矛盾しません。

それは僕だけではなく、ほとんどの日本人のクリスチャンにもいえる事だと思いますけどね…」

聖礼院は笑みを崩さず、静かにうなずいた。

鉄丸は、

「聖礼院が答えて欲しい答えを受け取ったのだ」

という印象を受けた。

 踏み固められてもなお柔らかな土の道を三人は聖礼院の家に向かって歩いた。

他愛の無い会話、穏やかな時間、その姿を見ている物も、心が癒される、そういう風景がそこにはあった。

 聖礼院は、時に少女のようなあどけなさを、時に大人の知的さを、そして時には深い経験からのみ生まれる知恵と狡猾さをその顔に浮かべる事が出来た。それが人々の心を引付ける秘密なのかもしれなかった。

「なあ、お前の義姉さん、本当は何歳なんだ?

ものすごく若いようにも見えるし、四十歳位にも見える。」

聖礼院に聞こえないように剣介の耳元に鉄丸は囁いた。

「私は三十二歳よ、鉄丸ちゃん。しっかり聞こえてるわよ。

そういうことは、もっともっと小さな声で囁きなさい。」

コロコロと笑った。

鉄丸は細い目を目一杯開き「しまった!」という様な顔を浮かべながらも言葉を続けた。

「失礼ついでに、もう一つ。

いつも僕らは聖礼院様と呼んでましたが、本名はなんとおっしゃるのですか?」

「聖礼院瑞貴。

瑞貴と呼んでくれればいいわ。」

一瞬ほのぼのとした笑みを解いて、聖礼院は答えた。がすぐに笑みを取り戻す。

若干十八歳の剣介と鉄丸にも、聖礼院の顔の変化の裏に「重いなにか」が隠れている事に気付かざるをえなかった。

晩秋の午後の柔らかな日差しと冷たくなりかけた微風、周囲に設けられた防風用の杉林、大きな門とそれに連なる塀、その先に聖礼院家があった。

「剣介よ、俺はここまでだ。家に戻るよ。」

「そうか。僕も線香をあげたらすぐに戻る。

いよいよ今日だからね。」

「ああ、いよいよだな。」

先程までのにこやかな顔を忘れ、二人は真剣な面持ちになった。

「あら、二人とも揃ってデートかしら?

おばさん、焼き持ちやいちゃうわね!」

聖礼院がふたりをからかった。

真っ赤な顔をして鉄丸は聖礼院の指摘を慌てて打ち消した。

「違います、違います。デートだなんて良い物じゃありません。俺はまだ彼女なんていませんから!!!」

「そうだったかな?」

剣介が素早く突っ込みをいれる。

「ばかあ、根も葉もない事を言うのはよせ!」

「二人はすごく仲が良いのね。

冗談はここまでにして。

今夜何があるか川上先生から伺ってるわ。

二人とも気を引き締めてね。」

今度は真剣でありながらも慈愛に満ちた顔になった。その顔に見送られて鉄丸は帰途についた。途中未練がましそうに瑞貴を振り返る姿が剣介には可笑しかった。

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