川の主が死んだ〜主の一周忌編〜
武田武蔵
川の主が死んだ~主の一周忌編〜
やがて季節は巡り、節の統べる川にも秋の気配がやってきた。
「今日は、主殿が初めて川の主となられた時ですな」
山女魚が一飛びした。
「もうそんな季節になるのね」
節はすっかり冷たくなった川の水に、足を浸しながら言った。
「あの時の話し合いは何だったのか」
節の後ろについている川風の鬼神は口を開く。
「色々な事がございました」
亀は言葉を継いだ。
「川は通常通りに時を経て、山女魚殿も今回の産卵にもこの川を選んだとか」
「奇麗な清流もありますが、やはり慣れた川が良いと他の山女魚も言っていて」
それから山女魚は恥ずかし気に、
「皆、新たな川の主が見たいという話になりまして」
と、言った。
「そうなのね」
どこか弾んだ声で節は答えた。その時、冷ややかな風が吹き、節のまとう衣を揺らした。
「風も冷たいわ。もう秋なのね。私は……」
彼女は言った。それから、不意に林の向こう側の道を見て、言葉を無くした。
「どうかなさいましたか、」
大亀は尋ねた。すると、節の瞳から淡く涙が流れるのを見たのである。
見遣れば、林の向こうに村人たちが列をなして歩いている姿が見えた。彼らを染めるのは、夕焼けの朱色であった。
「私の、一周忌だわ……」
何処か切なげに川の主は呟く。
「主殿は、生きていたいと思われなかったのか」
川風の鬼神が節の隣に座り、語り掛ける。すると節は言った。
「生まれてから、ずっと閉じ込められていたのよ。女中さんが持ってきた鉱石ラジオで、世界を夢見ていたわ。今ならば、何処へでもいけるのよ」
節は涙を拭った。
「だから、私は川の主になったの」
「しかし、それは主殿を川に縛り付ける事にはならないか、」
「漣、あなたは時々意地悪ね」
そう言って節は立ち上がり、呟いた。そうして、再び己の一周忌の葬列を見る。
すると、一人涙を拭う影があった。
「……お母様、」
節は声にならない程小さな声で母の名を呼んだ。
「未練は、あるのですか、」
そう聞いたのは、大鴨であった。
「お母様に逢ったのは物心ついてからの私の人生で一度きり。私を、醜い者を見るような目で睨んだの……でも、不思議ね」
列に背を向け、彼女はひとりごちた。
「そんな娘の為に、泣くなんて」
既に外は夕方から夜に替わる。空を見上げれば、大きな満月が昇っていた。
「ほら、綺麗な月……私が、死ぬ前に見ていた太陽」
節は月を指さした。川の住民は、一斉にそちらに目を遣った。
「本当ですな」
山女魚が跳ねる。
「成る程」
と、川風の鬼神は言った。
「私が死んだ日も、こんな月の夜だったわね」
「主殿は、月をご覧になられているのか」
そう問うた川風の鬼神に、節は静かに言った。
「覚えているわ。首を括ったのはその日の夕方……そこから幽体になって、蛙さんの死体を見たの。慌てて川に飛び込んだわ」
「止めてしまって申し訳なかった」
当時の事を思い出し、鬼神はこうべを垂れた。
「良いのよ、漣」
節はもう一度川風の鬼神を見て、
「過ぎた事。良い事なの」
その声は、どこか寂し気に見えた。
川の主が死んだ〜主の一周忌編〜 武田武蔵 @musasitakeda
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