31ページ 《最高の敵》

 私は膝を屈した。

 思わずお腹に力が入る。その泥色の剣を受ける為だ。

「クハッッ」

 次の瞬間には、顔を蹴られて地に伏していた。頬に泥が着いたことを薄目にも確認できる。

「…泥?」

 いきなりのことで、動転しつつも上を見上げると、そこには今にも剣を振り下ろそうとする泥人形の姿が。

 …!!

 私は剣のつかでそれを受けると、受けた右上腕を搾って傾け、剣の切っ先で泥人形の首を深くまで切り込む。

 そして今度は、泥の剣を斜め下から弾き返すことに成功する。私はこの泥人形に力負けしていたのだ、だから対策が必要だった。

「ガァッ…」

 一転優勢になったと思った瞬間、睾丸を蹴られた。対ヒル用の軽装備であり上半身のみ装備の鎧が仇になったカタチだった。余りにも意外な動きへの戸惑いとその痛みに悶絶する。

 身を屈め、鼠径部そけいぶを抱える私に対し、ジトっと音を立て容赦なく近づいてくる泥人形。見れば人形に首はない。がしかし、私が見上げるその泥人形の持つ剣は、理路整然と振り上げられる。

 振り下ろされるそれに、また同じように受け流して一撃入れようとした瞬間。土の剣は私の剣に当たって重たい砂のようにドサッと崩れ落ちた。

「…ッ!!」

 その崩れ落ちた泥は空中で形を変えて1つの刀身になり、それは私の首目掛けて伸びてきた。それを髪一重にかわすと。

「ッッ…」

 私の着る鎧の脇腹の左側こ隙間に、切っ先のない剣を差し込まれる。非常にイヤな予感がする。それは普通の刀剣ならまだしも変形する剣だからだ。

 しかし剣を脇から抜くより先に泥人形の足止めをしなければならない。私は脇腹を刺されてすぐタックルを仕掛ける。

 それによって泥人形は意図も簡単に押し倒される。

 そのままマウンティングパンチを始めるが、首がないので四肢の関節を狙う。けれど私は決定的な見落としをしていた。

 次の瞬間に私は吐血していた。背中をに走る猛烈な痛みと、鎧を貫き胸に生える幾つもの泥色の突起によって私は悟る。背後から胸を刺されたのだと。

 泥人形の武器は刀身ではなく全身なのだ。泥で剣の形を模しているだけで、人の形をすること自体、剣と同質のものだったという話だ。

 それが分かっても未だ茫然自失と出血する私の胸からは、幾つもの泥の突起物は引き抜かれていく。

 私は突起物のなくなった傷口から血が外に流れていくのを感じて一気に意識が遠のいていく。

 少しづつ、考えることが難しくなっていく。

 まだ刺さっていた、抜こうと思っていたままの泥の剣が、脇腹から左半身の全体に痛みを広げていく。どうやら変形しているようだ。

「……ク」

 私は膝立ちのまま、また溢れかえるような大量の血を吐き出した。

 気づくと、股の下からは泥の手触りがなくなっている。

 もう―――限界だ。

『これで終わりにするか?』

 私の声によく似た声が聞こえてくる。

『長いようで短い人生だったね』

 その声は私を憐憫れんびんの言葉で包み込む。

「違う!」「勝手に過去にするな!」

 私は心から、声の主を怒鳴りつける。

『そうは言っても、諦めなよ。限界だって分かってるだろ?』

 その声からは、そんな誘惑をされる。

『今まで、頑張って来たお前なら分かるはずだ。頑張らないことがどれだけ楽かを』

 そんなの、分かりきったことじゃないか。

『今までにたくさん頑張って来たんだから、そろそろ楽にならないか?』

 違う。私は全然、頑張ってなんかない!

「勝手を言うな!」

 私は叫ぶ。

「ローラさんにも追いついてないし、あの世へ行った仲間にも報いてない!!」

『詭弁だな』「…!!」

 その声は私の叫びを、それだけの言葉で切り捨てた。

『現実はシンプルだ。お前は死んだ』

 それは耳を疑いたくなるセリフでありけれど同時に飲み込まざる終えない言葉でもあった。それを聞いて、私は言いようのない絶望に襲われる。

 嗚咽を漏らしたくても、今の私はそんなこともできない。

「私は、ローラさんの背中を追いたい! 追いたかった!」

 例えこの言葉が誰にも届かなくても、私は叫びたかった。

 私は瞳孔の開いたかすれた目で、コトンと、暗い空を見上げた。けれど…。

『この力を、お前が私ならこう表現するはずだ』

 何も見えない。

『再来する血の呪いと』




 ジェシカの詠唱はそれによって召喚した砲塔によって辺り一帯を轟かせ、その炸薬さくやくは烏合に集う吸血鬼の群れを灼熱の炎と紅い稲妻により激しく、地鳴りの如く薙ぎ払う。

 しかしそれは、あまりに強い風を呼び寄せる結果になった。

 それを感じ取った俺は城壁や皆を守ろうと城壁と着弾地点との間に壁を作ろうと工作するが、既に今は赤々と明る過ぎた。

 陰力創造も適わず、間もなく俺は城壁と共に吹き飛ばされる。

 着弾地点を中心にし徐々に、放射線状に崩壊を始める木製の城壁。そして風圧に耐え切れず吹き飛ばされる兵士たち。

 俺はこの事態に戸惑いを憶えながら、皆で落下してからはせめて瓦礫が降り注ぐことのないようにと、瓦礫が爆発の光に照らされて生まれたわずかな影との間に、普遍の柱、瓦礫を支える支柱を作る。それも反射率を一切なくすことでしか完全性を保てなかったほど光が強かった。

 そんな中で、俺より遥か下で小さく緑色の揺れる影が見えた。ウルフだ。

 そのウルフはどうやら緑色の何かを投げているようで、吸血鬼の視力や色覚でやっと見られるような細い緑の線が目まぐるしい速度で次々と螺旋状に広がっていく。ウルフは何をやっていたのか、それはすぐ分かることになった。所謂アッパーフォースを発生させていたのだ。

 このことから予想されるのは、恐らくあの、風の力が付与されたナイフをかなりの勢いで投げていたのだろう。おかげで、俺はもちろん兵士たち全員は安全に着地することが出来ていた。

 やがて光も風も弱まっていき、俺も陰力物質の形状操作で瓦礫を下ろそうとする中、明るい面構えをした青年の姿が見えた。

 それは、気絶したように眠ったジェシカさんを胸の前に抱えている、男としてのウルフの姿だった。

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