27ページ 《ジェシカの罵声》

 山火事が起きた。距離はあるが山に囲まれた立地だからか、山からの黒い煙が村に吹き注いだ。

「始まるんだな」俺が言うと「そのようですね」とウルフが答える。

 この村には旗がない。もし何かの王国のように、やぐらやらどこかしらに旗が立っていたら激しくはためいていただろうと、そう感じるほどの熱気のある強風が村を襲う。

 たちまち甲高い鐘の音が村を汽笛きてきのように激しく鳴って包み込む。途端に次々と各地区の住宅街に明かりが灯る。その様子を俺たちはより強固になった壁の、村の城壁と言うべき壁の上から目の当たりにしていた。

 俺は横薙ぎの風を受けながらウルフに言う。

「空気が煙たいな」

「そうですね、でも風向きが変われば多少マシになります」

 俺たちは呑気なものだ。

「すぐにディミトリさんたちも城壁の方に集まりますよ、僕らも取り決めの場所に向かいましょう」

 ウルフの的確なセリフに俺は頷く。

「流石に迅速だな」

 俺は賞賛したつもりで言った。

「そうですね、流石に4回目となると対応に慣れてきます」

 客観的意見で言ったのではなーい。ウルフはどこかで俺を天然だと言っていたがその実、本当に天然だったのはウルフの方だったわけだ。そうしている間にも南門に走りだす。

「何かありましたか?」

 走りながらも、ウルフは俺に優しく笑いかける。

「いや、……ウルフは羊みたいだな」

 上手く言い換えられたと思った。

「そう、ですか?」

 俺たちは疾走しているが、ウルフの息も切れていない。

「ああ、不謹慎だが楽しいな」

 そう言いながらも、連峰の如く列なる城壁の櫓をいくつも飛び越え飛び越え駆け抜けていく。熱気など気にならないほど風が涼しいのだ。

 俺たちが向かうのはウルフの師匠の定位置である東門、ジェシカ・ネアンの待機する場所だ。

「…でも惜しいかな、生命いのちのやり取りをするというのに武者震いがする」

 しばらく間が空けてからウルフが言ったセリフは、少し奇妙なものだった。

「そうなのか?」

「そうだ」

 ウルフは即答する。

「だって修行の成果である現裏体げんりたい憑依体ひょういたいを、やっと発揮できるんだ」

 そう言ったウルフの顔には浅い笑みが浮かんでいた。

「やっとだぞ!」

 ウルフはギラギラとした目で続ける。

「やっと、僕は僕の実力を実感できる!! この時を狂おしいほど望んでいたんだハハッ」

「今日、僕は僕が無力ではないことを知ることができる!!!」

 そう叫ぶウルフの表情は、俺には餓える狼そのもののように見えた。

「………」

 どんな声をかけるべきだろうか?

「そうだな…」

 違う、言うべきことはそうじゃないはずだ。

「……………」「………………」

 長く、長く、俺は走りながら考える。

 そしてやっと思いつく。それは東門に到着する直前だった。

「ウルフ、…俺はお前の味方だぞ」

 頼りたい時は頼って欲しい、その安心感がウルフの支えになるはずだから。そんなメッセージを贈ったつもりだった。

 それから時間を要さず東門に着いた。

「その時はお願いします」

「……」

 噛み合っているようないないような。そんな返答に俺は内心で困惑していた。伝わっているのか。それよりも「その時」とはどういう意味なのか「お願いします」とは頼りにしていますという意味ではないのかなど。複雑に絡み合ってしまいそうな頭を落ち着かせながら、俺は召集に列んだ。

 程なくしてジェシカ・ネアンによる陣頭指揮が始まる。


 ジェシカは東門を背にした場所に指揮台を置いて陣頭指揮を取るようだった。

「まず始めに言いたいことがある!」

 ついに始まる。

「ワタシを始めとした我々の誰しもが、今日、命を落とす可能性がある!」

 始めにそれかい、などと、俺は茶々を入れることを控えるている。

「けど、今一度考えろ!ワタシたちは何の為に生きている! 他人を守る為に生きてるだろ!!」

「他人を守る為に訓練してどんな厳しい任務も越えてきただろ!」「ワタシたちはなんの為に生きている! みなに問う! 我々はなんの為にに生きている!」

 兵士は一同、呼応するように叫ぶ。

「他人を守る為です!!!!」

 けれどそれ以上の声量でジェシカが叫ぶ。

「違う!!!!!」

 それは天にも轟く重低音だった。

「違う! お前たちはこれまでに亡くなった親類縁者、今を生きる友人知人の為に生きている!!」

「そうだろう???!!」

 今度は俺も一緒に答える。

「そうだ!!」

「なら死ねぇぇ!!!!」

 めちゃくちゃだと思った。だが同時に笑顔がになれた気がした。

「おい!! 右から2番目のそこのやつ!」

 ええ?? 俺のことか?

「おい! お前、今笑っただろぉが!」

 急に恫喝どうかつされた????

「おい! こっちに来い!」

 ええ…、と鳩が豆鉄砲をくらったような気持ちで指揮台に上がる。

「どうした!? 吸血鬼が銀の弾丸を喰らったような顔をしやがって!!」

 そして気づくと俺は。笑っていいのか怒っていいのか、それとも謝ればいいのかと意味の分からない恫喝をされていた。

「何も喋らなくていい」

 突然、ジェシカから耳元で囁かれた。

「お前は吸血鬼だったよな! お前がなんの為にここに居る!!!」「お前はこの場の兵士たちの家族を奪った吸血鬼共と同族だろ!!」

 そう言われて、俺は瞬時に腹が立っていることを理解した。だがすぐには行動に移さなかった。いや、移すかも分からないのだが。何も言わなくていい、というセリフが耳に残っていた。

「お前はなんの為にここにいる!!?」

 ジェシカの恫喝だ。けれど俺はそこで何かがキレた気がした。

「俺はローラの為にここにいる!!」

 威勢では負けている気がした。だが本音だ。

「ローラのに惹かれて罪滅ぼしをしなくていいという言葉に惹かれてローラの夢を叶える為にここにいる!!!」

 俺は赤裸々に本音を吐露した。

「俺にとって大事なのはローラであり、ローラの夢の為にここにいる!!」

 俺は初めてローラの瞳を見た時からローラのことを忘れられずに居た。

「馬鹿野郎!」

 またジェシカの声が響く。さっきまでの苛烈を極めた声を知っているからか、今度は優しく聞こえてきた。

「お前は逝き遅れの青春馬鹿野郎だ!!」

「けど、お前の思いはワタシに響いた! お前はローラに惚れたんだろ!!? ワタシはお前を崖から落とすことしか出来ない! だがお前はローラの為に何度も這い上がるだろう!?? お前はローラを愛しているんだろう!??」

「俺はローラに惚れただけだ!!」

「さっきお前、笑っただろう??!」

「そうだよ、俺は笑ったよ」

「お前! 自分が爽やかに笑ってたの気づいてたか!!?」

「知らねぇよ!」

 つい声が荒くなる。

「お前は人間らしく人間として笑ったんだ!!」

「はぁぁ??」

「お前はローラを愛して人間も愛したんだ!」立て続けに「お前はなんの為に生きている!!?」

 俺は問われた。

「俺は、ローラの為に生きている!!!」

「そうだろう!!?」

 ジェシカはここで笑顔になる。気持ちのいい笑顔だ。

「皆、大切な人の為に生きているんだ」

 俺にだけ聞こえる声だった。そしてジェシカは兵士たちに向き直る。

「お前たちは大切な人の為に!!! だから大切な人を生かす!!!!」

「死ぬ覚悟がないやつはワタシが殺してやる!! 生きる価値がないからだ!!! 死にたくないヤツは手を挙げろ! ワタシが殺してやる!!!!」

 ものすごい罵声だった。俺は言葉を失った。

「居ねぇな????! 」「これよりワタシたちは死体ーンを始めとする未知数の敵と殺り合うことになる!!!」

「死にたいヤツはワタシに続けぇぇ!!!!」

 そう言うとジェシカは指揮台を勢いよく踏んで盛大に粉砕して「火炎渦フレア」と唱えて燃やし、消し炭にする。俺は急いで避けたが、なにもかもがめちゃくちゃだ。

 直後、東門が勢いよく開く。

 俺は、ここからがホントの戦いなのだと息を飲んだ。

 背後から声がする。

「この奇傑者きけつものが」

 それは、何も喋らなくていいと言った、ジェシカの優しい声だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る