23ページ 《ローラ・ネアン・アンダーソン》

 俺が夜勤を終え、俺たちは朝食を取ろうという話しになった。

 俺たちは宿直を終えたその足で、飯屋のあてもなく、商店街のある方向へ歩みを進めていた。

「昨日の流れでいうと、またあの居酒屋か?」

 俺は隣りで歩くウルフに聞く。

「そう、お店です。ただ、居酒屋ではありません」

 ウルフは俺の顔を見つめて、自慢げに勿体ぶったことを言う。

「? …居酒屋じゃないが同じ店?」

 ちょっと言っている意味が理解できない。

「二毛作農業にあやかった二毛作経営ってやつです」

 それを聞いてピンと来た。なるほど、春から夏にかけて夏が旬の作物を栽培して、冬は冬で寒さに強かったり冬が旬となる作物を育てるアレの応用、つまり夜は居酒屋だが朝や昼は別のお店をやっているということか?

「なるほど、客層ごとにピークの時間帯があるから、それを利用してお店を回しているんだな。なるほど」

 俺がそういうと、ウルフは怪訝そうに首を傾ける。

「二毛作で合点がいくとはさすがに察しがいい。それが戦士としての直感なのか、また違った経験から来るものなのか、是非とも教えてください!」

 そんなふうに、気さくに話してくれるウルフに、俺の心ははんばしどろもどろになっていた。

 二毛作農業は俺の青年時代の農場でもやっていたし、それは安定した生活の糧にらなっていた。けれど、結果からいえば脳死は焼けたし、俺はその土地を捨てたわけだ。そんな俺が今になって農夫らしい会話なんて。

「いや、忘れてくれ」

 俺は過去への後ろめたさから左下に視線を落とす。それしか言えなかった。

「すいません、忘れていたい経験なんですね」

 ウルフは気を使ってくれたようだ。案外、ウルフは世渡り上手なのかもしれないと思った。

「助かる」

 それだけ。今の俺はあがないをすることを条件に、俺はこの村に居候することを決めている。正直、ウルフのような人間像を持つ戦士は苦手意識がある。

 さっきの話で行く当てが決まったからか、先程からウルフの足取りに迷いが消えたのか、鋭くなっている。俺もその歩調につられて歩くテンポが早まる。

「そういえば、この村に疑問とかないんですか?」

 言い終えるかどうかのタイミングで、道の先を眺めていたウルフの眼が俺の方に向く。それは鋭利な質問だった。

「例えば…そうですね、この村の外壁は人間ではなく吸血鬼から人々を守るものです。吸血鬼が敵であるのに、なぜ吸血鬼であるティネスさんを迎え入れてくれるのか。とか」

 ウルフからそう言われて考えてみる。

 確かに検問では、ひとモメあった。それを害意がないことの証明とローラの意向で乗り切ったはず、でも民衆からの反発はなかった。――それはとても可笑しいことだと直感した。いや、今まではローラの影響力がせるわざだと考えていた。けれど村の最高司令塔という立場のローラ,ジェシカ,クレアの三英雄とまでコミニケーションを取っておいて民衆からの「不用心だ」という批判がないのはおかしな話だ。

「今の今まで失念していた」

 その鋭い質問には、俺もこの一言で返事をする以外の方法を知らなかった。

「なにか裏がある。とか思わなかったんですね? ティネスさんも戦士でしょうに」

 耳の痛くなることを言ってくれた。

「そうだな〜ホントに不思議だけど、ローラには初めてあった時から信頼を置いてしまっていた気がする」

 惚気けてますねー。とウルフは茶化すが、本当に不思議なのだ。

「この村に、俺はなにができるだろうか?」

 この言葉が、俺の口をついて出た。

「村にはなにもしなくて良いと思いますよ?」

 ウルフが言う。

「聞いてれば…いえ、ティネスさんの顔を見てればわかります。たぶん、ティネスさんはローラさんのことが好きなんですよ」

 そう言われて、俺は頬に熱が集まるのを感じた。

「いや、そんなわけがないじゃん?! だって俺の心は無味乾燥なわけで!」

 そう言葉を重ねるも、なぜだか上手く言えていない気がする。

「その無味乾燥をうるおしたのがローラさんでは? 文脈からして」

 なぜだかとても的を射たことを言われている気がする。

「いや、そもそも恋愛できる心なんて持ち合わせてないし!」

 そう言う俺に、ウルフは肩をポンと叩く。

「なに?」

 おもむろに嫌そうな顔をする俺に、ウルフは言う。

「そうやって同様するのが、好きだってことの証拠です」

 そうやって、知ったようなことを言いながら、ウルフは変な笑顔を浮べる。

「なんだよ、なごむじゃん」

 俺は変なことを言っていた。


 例の居酒屋についた。

 昨晩と比べて席の配置が違っていて、小物の位置だったりも変わっている。全体的に落ち着いた雰囲気のあるお店になっていた。

「どの席に座っても大丈夫ですよ」

 言われて、ウルフの案内で席に着く。

「ここはなにが食える店?」

 と、向いに座るウルフに聞く。

「メニュー表にある通り、ここはカフェです」

 なんだか意気揚々と言われて、俺はメニュー表を見る。まったく分からない料理や飲料ばかり。

「…これ、おすすめとかあるか?」

 少し躊躇ちゅうちょしながら聞くと。

「ぷっっは!」

 途端にウルフは吹き出した。

「そうでした、ティネスさんはこういう所は一見いちげんさんでしたね。あんまり堂々してるから忘れてました」

 ウルフは言いながらも笑顔を絶やさない。

「それで、この黒い汁? てなんだ?」

 言っておもむろにメニュー表の一角をウルフに見せる。

「え、コーヒーて書いてありますよ?」

 え? と俺はもう一度手元に戻して確認する。この文字って名前だったのか…。

「…いや、ありがとう」

 言ってから首を傾ける。

「これ美味しいのか?」

 読んでピント来なかったから聞くが早いと思った。

「気になったなら注文したらいいじゃないですか」

 突き放すようなことを言われた気がする。

「そういうもんなのか?」

「そういうものです、こういうお店は食べてナンボです」

 そうなのか。俺はこれからも不慣れな部分は教えてもらおうと考えて。

「食べ物のおすすめは?」

 と聞く。

「おすすめとひと口にいわれても、ティネスさんの口に合うのか分かりませんが、僕はいつもコロッケとレタスにタマゴが入ったサンドイッチを食べてます」

「なんだか豪華そうだな」

 と同じモノの注文を決める。

 そして注文を済ませて、雑談をしながら料理の到着を待つ。

「コーヒー、初めてなんでしたっけ?」

 ウルフから会話が始まる。

「コーヒー、美味しいんだろ?」

 と返す。

「そういえばティネスさんは、昨日村に来たんですよね?」

 質問に答えて欲しかったけれど。

「そうだが?」

 と答える。

「では役所には行きましたか?」

 と聞かれる。

「役所?」

 なにか不都合な予感がして聞き返す。

「てことは戸籍登録はないんですね?」

 とまた聞かれるが、コセキ? そんなものに身に覚えはなかったので。

「ああ」

 と答える。

 それから少し間を置いてから、ウルフは再び俺に質問をする。

「てことは、住民票も通貨も受け取ってないんですね?」

 そう言われてやっとピントくる。コセキとは戸籍のことで、住民票とは即ちこの村に住んでいることの証明書。通貨もなければ飲食などできない。

「あっ…」

 俺はこの瞬間、この居酒屋で働くことを決意する。

「食べ終わったらここで働くから、このあと解散で頼む!」

 俺はさっそくウルフに断りを入れる。

「気が早すぎですよ! はいはい、元はと言えば、ティネスさんを初めに役所に案内しなかったローラさんの責任ですから。あとで領収書で下ろすので、今回は僕の奢りでいいですよ」

 とウルフは乾いた笑いをするのだった。

「そんな手があるのか?」

 と聞くとウルフはうなずいて。

「ええ、そもそも我々の外食費の2000円までは村で負担してもらえる制度があるんです」

 と言ったところで料理が到着する。料理が並んでいく様を見ながら思ったのは、兵士たちの所属する団体組織の名前も村なのかということだった。

 ウルフは料理を並べ終えたウェイトレスに会釈をして見送ると。

「ほら、ここのサンドイッチは香りがすごいでしょ? お店でパンを作ってるんでこの時間に来ると、いい感じに温かいサンドイッチにありつけるんですよ!」

 そうやって、ウルフは心躍らせているかのような手つきでサンドイッチにかぶりつく。

「そんなに美味しいか?」

 そんな平静を装いながらも、言うが先か動くか先かというタイミングで俺はサンドイッチを手に取り断面を見入る。

 確かに、入っているのはコロッケとレタスとタマゴだが、その断面は均一きんいつでありながら潰れていない。例えるなら、狼の毛並みのようにふわふわなのだ。具は見るだけでみずみずしさの見えるレタスに肉厚なコロッケ、匂いに関しては吸血鬼の嗅覚がうずくような惹かれる香り、それは嗅ぐだけで押し込めていた農家の血が騒ぐような、上質な小麦で丁寧に練られた生地だと分かる出来栄え。

 ウルフからの返事など待っていられず、俺は遠慮なしに食らいつく。

「ふぃいっ」

 変な声が出てしまったが、口に入れた瞬間から始まるコロッケの肉感とレタスのパリッとした音はクセになると言っていいほど。味を語れば、文句なんて出ようがない。これを食べられるこの村の人たちは幸せなんだなと思わされる。

 しばらく黙食していると、ウルフが口を開く。

「そういえば、ティネスさんの戦闘スタイルはなんですか?」

 と世間話が始まった。

「なんだと思う?」

 俺は気分が良くなって、ディミトリのように遊び心が湧いてきた。

「…さぁ」

 ウルフは少しだけ考える素振りをしてから、すぐに生返事を出す。

「せめて、当てようとしろよ」

 言って諦めたようなため息を落とし、イタズラな苦笑いをしているウルフの顔を見て、俺は言う。

「負けた、投げナイフだ」

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