22ページ 《ジェシカ・ネアン》

 それからしばらくし、食事は終わり仮眠を取ったディミトリも全快した。この回復力に関しては流石戦士と言えるところだと思う。

 そして居酒屋を後にする。


 これからは夜の仕事だ。

 予定通りに作業を始めようとした時、ディミトリが肩に腕を回すようにして誰かを連れてくるのが見えた。

「絡み酒か?」

 もう酒は抜けたものだと思っていたのだが…。

「こいつ、ウルフ・ロードっていうんだけどな? あのアウストと同じ遠護隊で同じ班の、あのの弟子」

 そう言っから、ディミトリはウルフとやらを俺の前に突き出すのだった。

 俺はディミトリによって突き飛ばされた、ウルフと言うらしい男を右腕の中で片手間に抱えるように受け取った。

「体術オバケっていうのはだれの事だ? すまないが聞き慣れていなくて」

 俺はディミトリのセリフに、首を傾げる。

「あ、そうだなジェシカさんのことだ」

 へぇー、あのジェシカが弟子を取るのか。変に感心してしまった。じゃなくて! あのジェシカが体術だと聞いて驚いた。それもディミトリをもってしてもオバケといわしめるほどの使い手なのか? にわかには信じがたい話だと感じた。

「ジェシカ…体術を使うのか? ジェシカは言うなれば魔法専門職だと思っていた、ほら魔法適正を持つ人って少ないだろ? だからてっきり…」

 そう、シアンが言っていたような不老不死、万能の薬を開発してしまうような文明の時代のことは知らないが、俺が北欧で引きこもっていた時代でも魔法使いなんて来なかったぞ? 覚えていないだけかもしれないが。

「いやぁ、見たはずだ、確かティネスが村に来た時に俺に」

 あっ。

「あのドロップキックか!」

 そうだ、あの検問所でディミトリは盛大に転ばされて吹き飛んでいた。

「あれは素人でも体重次第で威力を上げられる技だったから…」

 気づかなかったのか。

「そうかもしれないな、第一あれは本気じゃなかったし姿勢フォームが完璧だからできたワザだ。それでもティネスだってその道の心得はあるはずじゃないか?」

 それを言われると頭が痛い。

「あぁ…それは形容し難い話だが、あの時点で見抜けなかったのは事実だ」

 何か理由があったはず、例えばあの時の俺は緊張していたとかだ。

「……あ、もしかしてって知らないのか?」

 ディミトリの言葉に、俺は首をもたげる…そういえば、グレイもそんなの心得があると言っていた。

「えっと、パンクラチオンってどういう格闘術なんだ?」

 グレイと話していた時は流してしまっていたが、グレイは確かパンクラチオンの亜型を使っていると言っていた。

「ちょっと長い説明になる。パンクラチオンていう格闘術の起源は古代に存在していたと伝え聞く半人半馬はんじんはんばの種族ケンタウロスという…名前はなんだったか」

 起源と聞いて、俺は話半分に聞いていた。

 それでもケンタウロスというのは、北欧にしていた俺には北欧神話というカタチで聞いたことがあった。

「確かケイローンという名前だったかな? そんな名前の仙人が始祖と言われていたはずだ。生かさず殺さずの体術といううたい文句だったと思う」

 なるほど、生かさず殺さず…ならグレイのあの、急所に対して効率的な致命傷を与えない戦い方は合点がいく。

「そろそろ仕事始めないといけないんで、話を切り上げてください、もうそろそろ近護灯篭きんごとうろうも明かりが着くんで、僕たちをサボらせてるとローラさんに怒られますよ?」

 つい長話をしていると、隣りのウルフが話を終わせようと割って入る。

「あぁ、うっまた脇下に弧拳くらうと思うとあの痛みが蘇るぅぅ〜〜」

 ディミトリは半笑いになって腰を落としながら呻き声をあげる。

「それに体術オバケなんてジェシカさんが聞けば、どんな蹴りを喰らうか分からないですよっ」

 ウルフは痛そうなフリをしているディミトリに、追い討ちをかけるようなことを言う。

「あははっ、はは、そうだな。こうしていても、今にも逆立ち回転4連跳躍蹴りを喰らわせに来るかもしれんな…」

 ディミトリは顔を上げると、苦笑いで冗談を言った。

「あは、ジェシカさんが兵士たちにやった最高刑ですもんね」

 言ってウルフも苦々しく笑う。

「あっ、この刑が掛けられたのは勿論、ディミトリさんなんですけどね」

 言いながらウルフは嘲笑ちょうしょう混じりに頬をあげて乾いた笑いをする。

「いや、あの時はホントに場を間違えた…」

 そう言うと逃げるように俺たちに背を向けた。けれどすぐに振り返ると。

「あ、こんな狼みたいなツラのやつだけど、これでなかなか稀有けうなやつだから、仲間として暖かい目で見てやってくれ」

 言い終えてすぐに前を向き直って歩いていくディミトリの声は、なかなか爽やかなモノだった。

「そっか、分かったぞー」

 返事をする俺の声に気づいてかい無いのか、軽く後ろ手に右腕を振るディミトリだった。

「行きましたね」

 少し間を置いてそう切り出すウルフの声は、消え入るような落ち着いた雰囲気で、そよ風のように心地よく良く通るハリのある声だった。けれどなんだか憂鬱そうな顔をしていたのだ。

「そうだな…、なんか嫌なこと思い出したか?」

 悩みがあるのならと、そうやってウルフの悩みを取り除こうと声をかけたが、意外な返事が返ってきた。

「いえ、ただ初対面に話すよう内容ではないことを、ディミトリさんのせいで言わなければいけなくなりました」

 俺の右袖に並んでいるウルフは、軽く憂鬱そうに答えたのだった。


 それからしばらく、昼にディミトリから教わった夜の作業に没頭していた。そんな時の話。

 不意にウルフは口を開く。

「ディミトリさん、本当はあの居酒屋で今日、ティネスさんに僕を紹介してくれることになってたんです」

 ウルフはそういうと、材料を担いで俺の近くに寄ってきた。どうやら俺の近くにあった道具を取りに来るついでに、俺の横で作業をするらしい。

「居酒屋の空気感だから話せることもあるだろうって言って、…それなのにディミトリさんと来たら約束も忘れて酔いつぶれて、憧れのウェイトレスさんと個室に行ったんですよ…」

 そんな話があったのかと聞いていたら、なにやら愚痴を話し出した。

「それは語弊ごへいのある言い方だな」

 俺は薄い笑顔で注釈を入れた。

「そうなんですがね、ティネスさん。僕が別卓にいたの知ってましたか?」

 なるほどそう繋がってくるのか。ディミトリに自分を紹介してもらう→居酒屋にいて話す機会を伺っていた。ということか。

「なんかティネスさんも綺麗なウェイトレスさんと闘い出しちゃうし、ティネスさんも隅に置けないですよね…」

 おっと、なんの話をしているのだろう? 俺的には血で血を洗う血みどろで泥臭い死闘を繰り広げたつもりなのだが?

「いや言い方」

 なかなかウルフというは面倒な性格のようだった。

「で、さっきの話なんですが」

 ここまでウルフはずっと作業を続けていて、真面目な雰囲気をだしつつも尚、作業を続けている。

「さっき?」

 話題がどこまで戻るのか主語が抜けていた。

「ほら、ディミトリさんとの別れ際のヤツです」

 あ〜〜。

「そうか、話すことってなんだ?」

 たぶん、ここから長い話になる気がする。

「ホントは話したくないし話しても何の得もない話なんですけどね? 僕に秘密があることを、ディミトリさんに明かされてしまったんで答えます」

 と前置く。

「僕、二重人格なんです」

 それを聞いた俺は、そうなのかと頷く。

「うん、それで?」

 そう俺が聞いたあと、ウルフは呆気にとられて固まったような顔をしている。

「え…っと、それで?」

 え、終わりなのだろうか?

「え? 二重人格なんですよ? 僕のことを気味悪く思ったりしないんですか?」

 ん? そういう話なのこ? てっきり、その二重人格とやらで苦労した話を聞かされるものだと思っていた。

「えっ、…え?」

「………」

 また両者とも沈黙する。

 俺はこれまで、この力で阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図を生み出してきたことはあったし、そうでなくとも地獄絵図は何度も見てきたが、こんなたわいのない会話で地獄絵図を経験したのは初めてだった。

「あっ、じゃあその二重人格というのはどういうものか教えてくれよ、俺はそれが分からなくてさ」

 俺がそう言うと、ウルフは合点がいったように口をあんぐりあけて頷く。

「そう…ですね。二重人格というのは文字通り、1つの肉体に人格が2つ重なっていることを指します。つまり、僕には性格が2つあるということです」

 なるほど、順を追ってわかり易く教えてくれた。

「ありがとう、わかり易かった」

 俺は礼を言う。

 そしてまた訪れるであろう沈黙に堪えられるよう、俺は作業に戻る。

「最後まで聞かないんですか?」

 ウルフが横から俺に話かける。狼という名前に反して、案外なつっこい奴だと思った。

「いいよ、あまり話したくないことなんだろう? なら、話さなくていい…これから二重人格に関わる何かで何が起きても、俺は怒らないと誓うから」

 俺はそう言った。それは…なんというか、ローラが言いそうなセリフだと思いながら言っていた。

「ティネスさん、ありがとうございます」

 ウルフは不意に礼を言った。それはなぜなのか、俺には分からなかった。

「…そういえば、ジェシカとはどんな修行をしているんだ? 記憶が確かならディミトリが弟子と言っていた気がするんだが」

 俺がいうと、ウルフはいぶかしそうな顔をする。

「ティネスさんって、ジェシカさんのことを呼び捨てにするんですね」

 と一言。その観点がなぜだか欠落していたものだから俺はすぐに、そういう行事に不慣れで意識がなかったのだと説明し、悪かったと謝った。

「いえ、言い方悪いですけど考えてみればティネスさんは余所者です。そういうこともあるでしょう」

 と言ってくれた。

「ところで、…これからはジェシカやローラにも敬語を使うべきか?」

 これは人間関係に関わる問題で、それでも俺個人としては、格好が付かなくなるから避けて通りたい問題だった。

「いえ良いです、ローラさんがそれを許している辺り、ティネスさんの実力もローラさんとの関係性も対等なように見えるので、…こう考えてみるとティネスさんには僕も敬語を使うべきですか?」

「やめてくれ」

 今さら敬語を使われるのはむず痒い。

「て、もう名前呼びに敬称ついちゃってますけどね」

 とオチをつけ、ウルフは自分でアハハと笑うのだった。

「で、たしか僕とジェシカさんとの話でしたよね、なにか聞きたいことがあったんじゃないですか?」

 と聞き返してくれるウルフ。話を戻してまで聞こうとしてくれるのは、ニノに近い誠実さが見えてくるようだった。

「そうだったな…ウルフがジェシカとどんな修行をしているか、というところだな。それと、普段は遠護隊と言っていたからいつに修行しているのか、興味があるな」

 俺はたまたま今興味の向いたことを聞いた。

「あ〜それなんですけどね、兵団でもあまり広くは知られていないんですが、遠護隊って編隊が3つあるんですよね。おかげで遠征が終わったあと、休憩がてらに修行できるというわけです」

「追加情報ですが、僕の所属する第2遠護隊はこちらに帰還する前、Sマイン,通称跳躍地雷の設置作業を完遂して参りました!」

 と、ウルフはひたいに斜めからビシッと平手を付けて敬礼した。

「まぁ、機転を利かせたとはいえ急ごしらえなので、効果範囲や死体ーンを絶命させられるかも怪しいですけどね、音と煙で進行具合が遠くからも知れるかと思いますよっ」

 ウルフは楽しそうに話すのだった。

「ウルフは兵士としての仕事が楽しいんだな」

 俺がそう聞くと、ウルフは笑みを浮かべて頷く。

「始めたての頃は、そこそこ過酷で面倒だったんですが、ジェシカさんに僕の伸び代を見込んでもらって修行を初めてからは、全てが楽しいですよ!」

 ウルフはそう言って、作業に戻る。


 補足として、この夜、跳躍地雷の音が深夜に轟いた。その後の対応に、俺はあまりに無知すぎてウルフに聞いてしまったのだが、Sマインが発動した時の対応はリスト化されているらしかった。

 まず初めとして、叉鬼またぎ…いわゆる狩猟者ハンターの罠と違って発動後の確認が特に必要ではないこと。次に吸血鬼の動きに変化がある可能性があるから、遠くから観察し警戒することが必要だと教わった。

「と言っても、ボーンなら検問兵で事足りるので、僕達は作業を続けましょう」

 というのがウルフの対応だった。

 その後、何事も無く俺たちは宿直を終えた。それまでに、なにか気になることがあった気もしたが、俺はそれに触れなかったことをココに明言しよう。

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