21ページ 《心で泣いて顔で笑う》

 猫が喋った?

「そういえばアルクさん、今日は姿を見せないかもと思ってましたよ」

 言いながら、ニノは水を飲んでいた。ホントに美味しそうに。

「我は好きに寝て好きに食べて好きなだけ撫でてもらうだけにゃ、我を患わせるにゃ」

 と貫禄かんろくありげに一喝する猫。

「そのセリフ…にゃ、って付けても可愛くないですよ。看板猫のお仕事は休まないで下さね? これでも癒されてるんですから」

 そしてまたニノは水を飲む。

 俺は少し離れた席から、ニノの誠実さの垣間見える会話を聞いていた。

 この一連の流れが当然のように行われていて、その違和感は俺に口火を切らせた。

「話の途中にごめん!」

 俺は身を乗り出した。

「質問してもいいか?」

 いの一番にまずはこのセリフ。

「…もちろん」

 許可が下りたことだしと、俺はさっそく畳み掛けるように言う。

「まずはもっとも根本的な質問からいくね? なんでこのご時世に猫がいるの?」

 そう、これが最も根本的な質問だ。なぜなら人類のありとあらゆる文明が崩壊している。このことは、この村までの道のり…引いては俺が引きこもっていた廃村だって、その残骸の1つだ。おかげでこの地球上で生きるほぼ全ての動物が生存本能を活発に働かせて凶暴になっているのだ。吸血鬼が絡んでいなくとも成行きで死屍累々の地獄を生きることになっている。

 特に村に来るまでの道のりで見てきたことは、長年の食物連鎖と自然淘汰で凶暴な個体こそがどんだん進化していくシステムが出来上がっていた、ということを今になってはひしひしと感じられるほど荒れているのだ。こんな原始的な個体が生き残っているはずがない。それは300年前の動物と今の動物の違いを思えば目に見えて分かる。

「こうは考えないんですか? …こんなご時世だからこそ、猫がいるんです」

 そのニノの言い方は回りくどく感じた。

「つまり?」

 こういう時の返しはこれでいいはずだ。

「さぁ、…これぞまさしく神の如きお力。とうならせる種類が生き残るのは必然じゃないですかね?」

 なるほど、そういう考えがあるのか…納得。

「俺の理解を確認させてもらうと、この猫がココに居て妙な力を持っているのが可笑しいんじゃなく。妙な力を持っている猫だからココにいると?」

 俺は慌てて確認する。

 ニノが平静と答える言葉には、うならざる負えないものがある。

「そうです。だからアルクさんみたいな、喋れてエスパーや神通力みたいな力が使えるミケ猫もいるのが自然です」

 なるほど…、

「て自然なわけあるかい!!」

 思わずツッコミを入れてしまう。

 その時、食卓に猫が上ってきた。

 その第一声は。

「うるさいぞ小童こわっぱ

 だった。

 そう言われて冷静に戻って、乗り出していた身体を納める。

 俺は血圧が上がっていたかもしれない。

「掃除も終わったし、ちょっとリーのこと2回の布団に寝かせてくるねー」

 この声はグレイだった。どうやら2回は宿か何かになっているらしい。

 グレイが言ってすぐ、猫はスルッと床に降りて。

「にゃあ〜あ、それじゃあ我が愛娘が酔っ払った道化にちょっかい掛けられないように見張っていないとな。では我の話はお暇を頂こうとしよう」

 そう言って背中を向けて行っていってしまった。

 ニノへの質問も終わって、そうボーっと考えている間に、グレイはディミトリを肩に担いで2階に続く階段を上がって行ってしまった。俺はその背中を呆然としたまま眺めていた。

「で、なにか聞きたいことはあるか?」

 今度は俺の正面からニノの声が聞こえてきた。どうやらさっき正面にいた兵士と、席を交換してまで話を聞きに来てくれたらしい。

「そ〜だな…この村の名前とかだな」

 それはそう、人口にして3万人。そこまで大きな『村』となっても名前がない、少なくともローラやクレアにジェシカまでもが「名前はない」ことを容認しているのだが…そんなのは明らかにおかしい! なぜかって、人間って名前を付けたがる生き物だろ? そんな疑問は持って当然だと思う。

「名前ですか、私も1度だけ進言したことがあります。その時に私が提案したのはアトラスです。ほら、ギリシャ神話で地球を支えてる神様の名前です」

 へー、ニノも考えたことがあるんだな。

「そうなんだな、どういう理由でその名前に?」

 俺は問う。

「そりゃ、この村から頑張るぞーー支えるぞーーって気合いですよ」

 なんだか、直球かつ異様にファンシーな理由だった。

「なんだか面白いそうだな」

 ニノは生きてて楽しそうだな、なんて思ってしまう。

「そう言って貰えて恐縮です」

 そうやって爽やかに笑うニノの笑顔の浦にも、並々ならない努力があるのだろう。

「それで、それを聞いたローラはなんて言ってた?」

 正直、この話題を選んだ本命の理由はこれだったりする。

「そうですねぇ、ローラさんはこういってました」

 俺は半ば、唾を飲んで続きを待つ。

「そんなたいそうな名前は不似合いだから、医療棟にでも付けておけ」「と言われました」

 それを聞き終えて、確かにと思った。

「アトラス院って語呂がいいよね」

 ニノはあっけらかんと言うのだった。

「じゃあ、あの医療棟はアトラス院と言うのか?」

「いえ、中枢区第一医療棟です」

 ローラの権力を持ってしても名前を変えられなかった!!?

「そうなのか、アトラス院…俺も良いと思ったのにな」

 なんだか少し、惜しいと感じた。

「なんといっても、アトラス院長が職場を自分の名前にしたくないそうでしたので」

 ………。

「そうですよね、自分の城も同然な職場を自分の名前にすることに抵抗がある人。たまにいますよね」

 じゃねぇ!!! と心の中でツッコミを入れつつ。

「え、語呂うんぬんの話はなんだったんですか?」

 そうそう、これが真っ当な疑問のはずだ。決して怒りなど込められてはいない。

「えっと、…それは私の感想です」

 おい。

「…そうですか」

 あまりこの言葉に続ける言葉がみつからない。それくらいインパクトの強いオチだった。

 誠実なニノのイメージに天然ボケが新たに加わった。

「でも収穫はなかったわけじゃないんです」

 こうなっては期待薄と言わざるおえないが、聞く以外に選択肢はないように思えた。

「…なんです?」

 半ば疑心暗鬼に近い状態で会話を続ける。

「なんというか、あの時のローラさんは頑なにに見えたんです」

 それを聞いて、俺は再び耳を傾ける。

「実際ローラさんが私の命名の提案に対して口にした言葉はさっきのだけだったんですけどね。表情が、複雑に見えたんです」

 そう聞いて、俺はローラがそんな顔をするのかと考えて意外性を感じた。

「…名前をつけることへの怯え、拒否感…なにかへのこだわり。そんな感情が淡く滲んだ顔をしてられましたよ」

 ローラらしい、なるほどと頷けるほど。ニノは具体的な表現をしてくれた。

「そうなんだな、なにか思いがあるという話か…」

 あの3人で容認しているあたり、2人はその内容を知っているのかもしれないと、俺は邪推する。

 ここで、あの鈴の音が聞こえてきた。それは2度目となればすぐに分かった。猫だ。

 グレイと鈴で足音を奏でる猫が、2人で一緒にスタスタと軽い足取りで階段を降り切ると、猫の方が首を上げる。

 その瞬間、猫の方へ居酒屋中の客すべての視線が猫に釘付けになる。

「有象無象の神さま共! 我は機嫌がいい、祝福せよ!」

 そう乱暴に言葉を重ねるのは神様と呼ばれている猫自身だった。神様が客を神さまと呼び、祝福せよと命令する、変な図だった。

 猫が言い終えスタスタと散歩し始めると、ギャラリーと化したお客たちは各々の食卓へ解散していった。…ますます変な図だった。

「あれはココの名物なのか?」

 招き猫たる神様が客に大柄な態度をとるという、恒例行事のようなものだろうか?

「まぁ、言うことは毎回違って面白いんですけどね。いつも言ってます、アルクさんの等身大って可愛いんですよね」

 ニノはそう言って食事をする手を再開させる。何を食べているかと思って食器の中身を覗き込むも、良い香りがするだけでその料理の名前など知るべくもない。風土料理だったり家庭料理や異国料理といった類いの不明なところがある光景だった。

「そのスープは何という料理なんだ?」

 少し物怖じ気に、俺はニノが手を付けている料理に顔を合わせて聞いてみる。

「これはトマトスープですね、ご存知なかったですか?」

 これがトマト…、俺が幼年期を過ごした農場にはそんなものは栽培されていなかった…。

「トマトをスープにするとこんなに赤くなるのか?」

 だってトマトの色は緑のはずだろ?

「えっと、まぁそうですね…赤い実のトマトを煮込めば赤いスープになりますよね」

 トマトが赤い?

「トマトが赤いってなんの冗談だよ」

 トマトは緑色の固くて苦い果実だったはずだ。

「えぇっと、…なにか似た名前の別の野菜と混同しているのでは?」

 おずおず両手で降参のポーズをして困ったような顔をニノはしていた。

「トマトは緑色だろ? あと野草の類いだったはずなんだが…」

 俺は疑心暗鬼に陥っていた。トマトはトマト、けれどトマトは緑色で…赤いのは? いやニノの言う通り俺の勘違いなのではないか?

 しかし次の瞬間、ニノが助け舟を出してくれた。

「あっ、分かりました! トマトは確か熟す前は緑色だったはずです、もしや違った成熟をする種類の別のトマトでは?」

 そう言うニノは嬉しそうに目を輝かせれていた。

「……そうだな、ひと口にトマトといってもきっと色々あるのだろうね」

 ようやく合点がいった。

「食用トマトは赤色だよ。これはつい最近になってから生まれたんだって〜」

 この声はグレイのものだった。

「あっ、じゃあ他の…」

「そうなんだな。それより客一人に構っててたら支配人に怒られないのか? ホールでしたよね」

 俺の言葉を遮って、グレイの話をニノはさらっと流してしまった。

「そうだったそうだった〜、楽しい話が聞こえてきたからついっ、じゃあ私の代わりにアルクちゃん置いてくね!」

「なにか聞きたいことあったらアルクちゃんたよってね!」

 そんな風に言って駆け足で去っていくグレイの後ろ姿は紛れもなくウェイトレスで、戦士の面影など服で見え隠れする筋肉くらいだった。

「どんな料理があるか聞こうと思ったのに…」

 俺は小さく一人言を漏らす。

 吸血鬼の身でこんなにも、料理に興味を出してしまうなんて思わなかった。

「あ…すいません、グレイさんみたいな方は苦手なんです。表裏が激しい…というか、自分の中身を上手く使い分けてる人は……」

 言って、ニノは訝しげな顔をする。

 それは到底、俺には分からない感性だった。誠実なニノにしか見えない世界があるのだと思えた。

「そうなのか、人には相性ってあるよな」

 こんなことを言ったら、ローラはまた吸血鬼らしくない、奇傑者きけつものだと俺を揶揄やゆするのだろうか。

「言っておくが、ここに我がいることを忘れるでないぞ」

 猫は言いながらニノを見つめる。

「我の目が黒いうちは…我の目が光っているウチは彼女の悪口すら許さんぞ」

 それは猫なりの言葉遊びだろうか。軽く脅しながら言葉遊びとは神様っぽい。

 ニノは猫に目を合わせて頷くと。

「分かってますっ」

 言うと、ワインと思わしき液体の入ったコップを手に取り嗜むように飲む。

 それを見た猫は落ち着いたようにあくびをしてゆっくり座る。香箱座りというのだろうか。

「ちなみに、トマトの原型は1000年以上前からあって、それを人間が食べやすくようとしたのはホンの300年前、今のカタチになったのは30年前。このご時世には貴重な食材で、この村で栽培しているから手軽に食べれるのじゃな」

 猫はつまらない話をするように話してくれた。

「そうなんだな、ところでさっきの『にゃ』ていうのはやらなのか?」

 俺は聞いてみる。

「あ〜、あれは気分じゃ」

 猫はアバウトに返してくれた。

「やらないのか?」

「疲れておる、眠いからやらにゃい」

 やってくれた。

「やってくれましたね」

「やってくれた」

 不意にタイミングが揃ってしまった。

「こんなの…、需要あるのか?」

 怪訝そうに聞く猫の質問に思わず、猫が『にゃ』と話すのには需要があると考えてしまった。

「あると思う」

 俺はそのまま言ってしまうが、実のところ疑心暗鬼な部分もあった。

「いやペット的とかは分からないけど」

 俺は牧畜でも牛の世話をするだけだったから。

「そうか、こんなでも愛嬌は…あるように見えるか……」

 そんな風に言って猫は、そのまま固まる様に寝てしまった。

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