20ページ 《神の鳴ける場所》

 晩餐会と言っていたが、それでもやっぱり騒々しい雰囲気の漂ってくる建物に、兵士たち一同は扉を開けて列になり次々入っていく。その列に俺も加わっていた。

「リズちゃーーん、今夜もよろしく!」

 陽気なディミトリの声が響く。そこは妙に騒がしく、また大盛況だった。見渡して、兵士がちらほら居るのが見て取れるが、その他には一般人とおぼしき風貌の人々も大勢晩酌していて、ホントに20人近くある兵士を受け入れられるのかと不安になるほど席が埋まっていた。


 けれど、言ってからもディミトリは奥へ奥へ迷いなく歩みを進めていく。それにつられるカタチで、10人強の兵士たちも店を進んでいく。はたから見ればそれなりに騒々しかったと思う。

 その内に、先頭のディミトリは1人のウェイトレスと目が合う。

「あらリーじゃない、仕事仲間を誘うのはいいけど、あんまりテーブル汚さないでね? だってこの前、リーの吐瀉物を片付けるのは気持ち悪かったんだから…」

 このウェイトレスはディミトリのことをリーと言った。聞きなれない感触だが、確かディミトリのフルネームはグロー・リー・ディミトリと言うのだ。ファーストネームを呼ぶのはそれだけ親密な流れだということか。

 そんなウェイトレスは所謂いわゆるメイド服、動きやすさに重きが置かれているようで、その実 たけの短めスカートと暗い紺のハイソックスによってその境い目が際立っている姿だった。……あれ、俺は容姿を気にする方だっただろうか?

「見ない顔だね。ダメだよ〜兵隊さんが子供を連れ回しちゃ可哀想じゃない!」

 ディミトリは気遅れしたように振り向いて「あコレっ、こいつは立派な…」

 なんてわめくもウェイトレスに制止される。ウェイトレスはその足で俺の前まで歩いてしゃがむ。だがしかし、何がとは言わないが大きな果実が揺れていた。ジェシカと良い勝負ができるんじゃないだろうか?

 俺の視線もお構い無しに、ウェイトレスは俺に目を合わせてくれて。

「ねぇ僕、こんな陰気なおじさんばっかりのところにいちゃ危ないよ?」

「え…いやっ、俺は吸血鬼だが…」

 見た目通りの精神年齢ではない。と言おうとしてとち狂ったように変なことを言ってしまった。

「いや? 俺は吸血鬼だからな、火傷しないよう気おつけてよ。この見た目は偽装だからな」

 咄嗟とっさに、ローラのような威厳を表すつもりで言った。ひょっとしたら壁を作ってしまったかめしれない。

 だがこのウェイトレスは意図も簡単にその壁を乗り越えてきた。

 ウェイトレスはしゃがんだまま驚いたように上体を一瞬のけぞらせて、また俺に向かう。

「オレのリビドーが火を吹くぜ! てやつ?」

 全然違う全然違う! 断じてちがう!! 俺は決して冴えないイタリアナンパ男などではない!!

「一緒にするな!!」

 これは是非とも強調したい!

「偽双の剣客がいるからって、偽双ぎそう偽装ぎそうをかけるのは、いささか安直過ぎやしませんかね〜?」

「ねぇ〜〜、リー?」

 今度はディミトリの方へ軽口を飛ばしていく。ウェイトレスてしては、これ如何にという態度だが。

「リズ…、その誰にでも無鉄砲に絡んでいくスタイル何とかならんのか?」

 と、頭を抱えて呆れた様子で黙認しているディミトリの姿がそこにはあった。そのやり取りを見た限りではやっぱり2人の間にはそれなりの絆があるようだった。

 そこで俺は手を上げて。

「興味本意でごめんなのだが」

 あれ、俺はこんなにも未熟な言葉使いだっただろうか? 気づいた時にはもう遅く、言葉を重ねるしかなかった。

「2人はどういう関係なのか聞いても良かったでしょうか?」

 今度は未熟に聞こえないように。

 けれど間もなくディミトリご言うのだった。

「客と店員の関係…だろ?」

 ディミトリは呆れ口調で言うが、顔はニノの方を向いていて。

「…」

 ニノは唐突に話を振られたことに動揺しながらも、何か言おうとしてねた顔をしたウェイトレスに阻まれて。

「アタシはリーの嘔吐物を片付ける係! リーは店を汚す係! でしょ? なんか違う??」

 早々とした口調でウェイトレスはディミトリを捲し立てるのだった。

「その件は本当にゴメンって!…」

 ディミトリはそういうモノの、会話内容から察するに常習犯のようで、あまりに救いがない。

「…はっ、どうだか」

 とウェイトレスの方が呆れる始末である。

「ところで、吸血鬼さんの名前はなんて言うの?」

 再び俺に向き直って名前を聞いてくれた。

「俺はティネスだ。なんだったら今から外見年齢をいじったっていい…」

 言い切った直後、ウェイトレスは口を挟む。

「へぇ、ティネスって言うんだ〜〜! 私、リズ・グレイって言うんだよー!ヨロシクねっ!」

 しゃがんだまま挨拶をするウェイトレスは、綺麗な顔をしていた。

「で、外見年齢をいじるってどうやるの?」

 と、間を置かずにリズと名乗ったウェイトレスは踏み込んだことを聞いてきた。

「いや、こう…脊髄せきっいのあたりの神経や細胞を意識してグニャっとやったりグルーっとやったり、なんかそういうのをやれば身長も思うがままだ。顔はまぁ、その身長に付属してくる感じで……こんなこと聞いて楽しいか?」

 説明し終えてから、そんな疑問が沸いてでた。大して考えずに言動に移すのは悪いクセだ。

「へぇぇ、私の身長は162なんだけどさ、私より身長が低いのは男らしくないと思うんだよ! ちょっと170くらいになってくれない?」

 そう言うセリフをズカズカ言ってくるのはローラで十分なんだよ…、そうは思ってもガヤガヤとした居酒屋ではマナーを唱えるのも野暮だろう。

「おい、それ以上はティネスも嫌だろう」

 ディミトリがウェイトレスの肩をさわってまで注意したが、それを聞く気配すらない。見れば当のウェイトレスは恍惚と期待の滲む笑顔で俺のを待ち望んでいるようだった。それはなにか思惑があるようにすら見えた。

 諦めてこの女の思惑に乗っかってやるか…。そんな風におもって、おれは目を瞑って神経をズルズルと操作する。

 細胞が高速で移動してる様を体感するのは、何度やっても変な感じがする。

 身を開けるとウェイトレスの後ろでディミトリは片手で頭を抱えていた。

「へぇ〜〜〜、ねっ私 先生から教わったパンクラチオンって戦闘術を自己流でアレンジしてるんだけど、ってだけあって強いんでしょ? ちょっと手合わせしてよ」

 ズカズカ…、俺は紀伊理環に続いてこの女の性格に対しても妥協をしなくちゃならないのか。俺は呆れ果てる内心を表に出さないように発言を続ける。

「あぁ、まぁ異文化交流…? みたいなことはなんだかんだ楽しいと思うしな…」

 まぁ、吸血鬼スキルも使うんだが。多少の無礼にはで応酬してしまおうと、体表に付属している影に陰力粒子を混ぜておく。

 今の身長は170cm、普通に考えて素人に毛が生えたような女相手に、体格差からしても負ける理由は見つからない。

「さぁ、今からでもいいぞ」

 そう息巻いてみたが言いものの、ウェイトレスの後ろの方でディミトリや兵士たちは大きなテーブルを囲んで「生1つー! 唐揚げお願い!」などと陽気に注文していた。もしやディミトリの陽気さはこのウェイトレス譲りなんじゃないだろうか?

「そうでなくっちゃ!」

 と構えながら活気のあるウェイトレスの声がして。

「戦闘狂も大概にしろよー」

 と呑気に言って、水の入ったグラスを持ち上げるディミトリの姿がウェイトレスの後ろにあった。

「はぁぁ」

 早く飯が食いたい。そう思ったのはきっとこの居酒屋の雰囲気と、ディミトリやニノらという存在が近くにいるからなのだろう。そう呑気に考えていた俺は。

「ていっ!」

 イヤな掛け声に気づいて。

『ストンッ』

 とウェイトレスのハイソックスに包まれた足による足払いを喰らっていた。

『ドタッ』

 あっぶねぇ。

「あっぶねぇぇ」

 声に出ていた。なんとか転ぶ前に体勢を持ち直せた。

おとりよ!」

 その声と同時に顔面にハイキックが入った。キレのある気持ち良いくらいの綺麗な足さばきだが、ローラほどじゃなかった。

 俺は動じず直に受け止めた。

「それも囮よ!」

 ハイキックを行った直後、ゆるやかに姿勢を移行しながら今度は筋肉質な二の腕によるラリアットを繰り出してきた。

 戦い慣れしている俺の目で捉えたウェイトレスの身のこなしは流石と言う他なかった。

「うウェッ」

 おれは舌を噛みそうになり、軽い悲鳴を挙げながら脳の揺れる中で後ろに1歩支えを入れて持ち直す。

 油断していた。

「はぁ? チンピラなら一溜りもないコンボよ?」

 と再び構え直したウェイトレスは捨て台詞。やっぱり常習的だったのか。

「じゃあこっちの番だな」

 言って、俺は右手で普通のパンチをした。普通のパンチでも吸血鬼のソレとなればそれなりの威力が出るモノだ。

 ところが、ウェイトレスはバク宙するように跳ねたかと思うと俺の腕に足を絡めて来やがった。いや、足を固められていた、それは見事だに。

 続いて締められる。

「あっと言わせられたな」

 そういう俺は、右腕にウェイトレスをぶら下げていた…正面に顔を向けながら。ウェイトレスの方を見たらスカートの中が見えてしまう…。

「ちょっと、倒れなさいよ!!」

「………」

 そう言われてもなぁ、と悔しそうなウェイトレスの声を無視する。早く諦めて欲しいなぁ。無論、ウェイトレスの絞め技は効いていない。吸血鬼だからだ。

「名付けてデスロック! て効いてないじゃない!」

 騒がしいなぁ。

『チリンッ』

 居酒屋のガヤガヤとした声のどれでもなく、むしろそれらを凌駕して俺の耳に届いたのは鈴の音。それは特別に大きな音ではなかった、騒音にかき消されてもおかしくない音が俺の耳に聞こえてきた。

 音の主を探せば、お会計を精算する遠くにあるテーブルの上で、ミケ猫がまっすぐにこちらを見つめていた。そのネコの瞳は、俺でなくウェイトレスの方を見ている気がした。

 次の瞬間。

「うぉっ!」

 俺は思わず驚きの声を上げる。猫に見られていたからじゃない、ウェイトレスの重さで俺の身体が倒れたからだ。

「ありがと"あーちゃん"!」

 そういうウェイトレスの締めは、どんどんキツくなっていく。

『グギグギィィ』

「くっ……」

 拘束用に仕込んでいた影を使わなければいけなくなってしまった。

 俺は服の袖にある影に意識を向ける。シュルルー!! とイメージしながら。

 影は…陰力物質は右腕の全体に帯のように巻きついて、その直径を少しづつ…でも目に見えて分かる速度で広がっていく。

「きゃっ!」

 ほどなくしてウェイトレスは声高な悲鳴をあげる。床に横になった状態の俺たちのうち、ウェイトレスの方は俺の腕からひっぺがされた勢いで少し飛ばされてしまった。

 そりゃ悲鳴も上げるだろう、"力では対抗出来ない"黒い何かが行動を妨害したのだから。

 俺はすぐに立ち上がるが、ウェイトレスは体幹を効かせてクルクルと寝たまま回って距離を取ってから立ち上がる。

「流石ね、ティネスくん"も"一筋縄じゃいかないのね」

 ティネス…"も"、それはきっとローラだったりを表してるのだろう。

 ウェイトレスはますます血の気が増したような目つき俺を見ていた。

「あの子ね…」

 そう言ってウェイトレスはさっきの猫の方を見る。

「神さまな猫様なの」

 ウェイトレスは不思議なことを言う。

「名前はアルクちゃん、原理は分からないけど…私を補助してくれたりするなの」

 補助…さっきのか。そう思えばこそ、用心しなければならなさそうだ。

 ここで再びウェイトレスは俺の目をまっすぐ、血走った目で見つめる。しかし未だに、あの猫からの視線を感じる。

「じゃあ、…仕切り直しだよ!」

 その言葉はやっぱり、俺に危機感を持たせた。

「来い!!」

 俺がそう言うや否や、ウェイトレス……いや、グレイは勢いよく1歩を踏み込む。

『グッッッ』

 その1歩は木の床をわずかにきしませた。

 ウェイトレスは二歩目で飛んだ。けれどそれはバク宙だった。俺とグレイとの間には距離がある、だからさっきのようなワザではないことは明らかだった。

 グレイが半回転を過ぎた頃、280°の辺りでくうを蹴った。低空を飛翔した。

『!!…』

 俺とて驚きを隠せなかったが、真っ直ぐにグレイを見つめてその動きをする。

 ウェイトレスは空中を蹴って加速したが、それはすぐに重力によって床に落とされることになった。

 が、…グレイは両手を床に突いて柔軟に身体を動かし宙返りのように更に跳ね、胴体を抱え込んで回転し更に宙を蹴ってまっすぐ俺の方に跳んで来る。

 そのグレイは更に回転しながらも俺の顔面にハイキックを狙っているような射角だった。

 もちろんグレイの動きは複雑で機敏かつスピーディーだった。だがその全てのを俺の目は見切っていた。

 俺はタイミングを合わせる為に1歩下がる。その右脚の蹴りを、左のコメカミを通過させてから左手でふくらはぎを右手で股の下の太ももを掴み、即座に左下に投げる。…投げようとした。

 けれどグレイは足を掴む俺の腕を右脚で蹴りそれを妨害し、その奇妙な怪力で右脚を脱出させ、さらに上の宙を蹴って真下への落下に加速を入れる。もう俺はすぐに両手を構えることはできない状態だった。

 グレイは真っ逆さまに落ちてからまた両手を床について器用に跳ねたのだと思った。視野の外だったからだ。

 俺はアゴを真下から両足で蹴られた。蹴られるところだった。

「ちっ!」

 舌打ちをしたのはグレイだった。

「ティネスくん器用ね」

 グレイは足をされたまま軽口を叩く。おれは胸元から伸ばした影でその蹴りを防いだ。

「グレイこそ…」

 俺はグレイをローラや兵士たちに続く強者だと認めた。完全にあなどっていた。

「グレイって…呼んでくれるのねっ!」

 言った途端、グレイは胴体を右に捻らせて…左に勢い良く捻る。

「なにをっ…」

 俺はまだ油断していた。

 俺はグレイの足の固定をまんまと解いてしまった。

「ただの猫パンチよ! そして筋肉の隙間から関節を突いたのよ!」

 グレイは解放された足と一緒に後ろへ倒れながら言った。

『これはまずい』本当にまずい。

 俺はローラに顔を蹴られた時よりも危機感を感じていた。――――これからあの補助が効いた立ち技の猛攻が来る…っ。

 冷や汗をかいていた。吸血鬼のクセして。

 俺はこの闘いで初めて1歩踏み込む。そして――居酒屋の明かりで生じていた俺の影、それを洪水した濁流のようにグレイへ向かわせてグレイの身体を吹き飛ばす。

 ―――――「イタッッッッッ!」「クァッ…」

 意図も簡単に10メートル近く弾き飛んで、ディミトリたちの晩酌していたテーブルの椅子の1つに激突した。どうやら受け身は取れていた様だけれど…。

 木製の家具同士が派手にぶつかる音が間高に響く。

『やりすぎた!!!』

 今度は心配から汗が出た。

 のはきっと、人に危害を加えないと誓ったからだ。

 ――だがすぐにグレイは立ち上がった。

「イタたぁ〜〜」

 その第一声は無邪気なものだった。

「やっぱりネームドはつよいなぉ」

 言いながら、グレイは自分で倒れた椅子を整える。テーブルは大きくて重かったのか、動いてはいないようだった。

「悪い…熱くなってしまった」

 俺は謝意を述べるもグレイは飄々ひょうひょうとしている。

「いや、さすがティネスだよ。全力で能力使ったらたぶん、手も足も出ないねこりゃ」

 言ってハハハと笑うグレイに、俺は少し安心する。

 見れば、ディミトリたちはまだ酒を食らっていた。

「いや、猫の力も十分な底知れなさがあるよ」

 褒めたつもりだった。

「猫じゃなくてアルクだから!」

 グレイはここでぷりぷり怒った口調で呼び方を指定してきた。得てして女性という生き物はこういう感性だっただろうか。

「悪い、アルクな…」

 ちょっと同様してしまった自分に気づいて、つい過去の俺と比べ嬉しくなる。

 グレイはメイド服のスカートのポケットから紙片を取り出す。

「そうそう、それでいいの! 何飲む? て言っても生かラム酒しかないけどね」

 言いながらも「店に金落とせ」という目で見てくるグレイの様子に俺はまた、呆れ顔で答える。

「水で…」


 とは言ったものの、水は水でお金がかかるだろう。故郷では相場が酒よりも高かった。

「はいはい、ご自由にどうぞ」

 ウェイトレスさんは呆れた顔で勘定かんじょうと思わしき紙を仕舞う。あれっ、無償なのか??

 ここで酔っ払いの声がグレイに絡んでいく。

「スマイル一つでぇ! ゲッフ…」

 ディミトリだった。それはそれは上手いこと出来上がっていた。

「スマイル5000ドルになりまーす」

 グレイはそっぽを向いた澄まし顔で答える。この村の貨幣価値はまだ分からないがボラれていることには違いないだろう。

 ディミトリは不意に、ふらついた足取りでグレイに近づいていくも椅子の一つに足を取られて派手に転ぶ。

『ガタンッ』

 だらしなく転んだディミトリは尚も上機嫌な顔をしていた。

「でへへ…」

 ディミトリは笑いながら立ち上がろうとする。オジサンの照れ笑いなど一銭の価値もないだろ。

「うをッグ…ウェッ」

 立ち上がる途中、そんな奇声を漏らしたかと思うと、ディミトリは四つん這いで吐瀉物を撒き散らす。

そんな四つん這いのディミトリの頭上で猫を肩に乗せながらグレイは、腕を組んで堂々立って見下ろしていた。

「人のこと戦闘狂とか言っといて、そういうお前は嗚咽狂じゃんか…」

 グレイの言葉に心から同意する。

「にゃ〜〜〜あ、…酒に逃げんにゃよ」

 同意するようなタイミングでアルクはあくびするような鳴き声をあげた。……?

「っ!????……!!」

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