18ページ 《賽が落ちる前に》

 俺の過去は血塗られている。もっともそれを理解したのはごく最近、つまり俺は初めて人を襲ってから三百と数十年間をその罪すら自覚せずにのうのうと生きてきたわけだ。生きていたといって正しいのかは分からないが。

 さっきの構文には誤りがあった。本当のところ、最初の殺人は覚えている。もっともローラに思い出させてもらったのだが。

 少し話す。

 ――最初の殺人は、生きることに執着した為だ。

饑餓きがは吸血鬼にも例外じゃない」

 アイツはそう言ったけれど、俺はそれを10数年引きずって、また人を襲ってまた10数年。そんなことを繰り返して、その度に死にたくなって…死ねなくて。

 アレだ。ローラが俺の首を蹴って千切ちぎった時があった、その時に俺の体内から黒い何かが伸びて修復しただろう。あんな感じで勝手に身体が生存本能を発揮してしまうんだ。便利ではあるが、制御ができない。そんな力を俺は持っていた。

 何度、投身陽の下で自殺をはかっても死ぬことは適わなかった。

 俺が死ぬことを諦めて、哀しんだり後悔をする感情を捨てた時。アイツは生きる方法を教えてくれた。

 人間以外で可食部の多い動物をおしえてくれたり。同族との争いに勝つための、あらゆる手段を教えてくれた。

 吸血鬼なりの社交性を身につけることになって、吸血鬼としての能力スキルをつかう方法も学んだ。ついに言葉にはしなかったけれど、感謝していた。

 あの日々は楽しかったし、ローラたちには悪いけど、戻れるならアイツとジョークを言って笑い合った時代日々に戻りたいとまで思っている。

 ――けれど、アイツはもういない。


 アイツが俺に武術を教えた時、アイツは俺に「生きろ」と言っているのだと思っていた。けれど、もしかしたのなら…守りたい物を守る、この時の為に教えてくれていたのかもしれない。

 俺は仕掛けだらけの地面に前衛として立ち、日が落ちて村から照りつける灯りを背中にして、宵闇の奥に見える魑魅魍魎を見つめる。




 翌日の早朝。決戦前と言うにも関わらず、嵐の前の静けさとはなんとやら、村は多くの兵士たちによって異様な活気に包まれていた。

「なんだティネスじゃないか! どうした?迷子か?」

 ローラは開口一番に軽口を叩く。昨日の声色がウソみたいに。

「ああ、ジェシカから『アタシは身軽なほあが好きなんだ、どっかでテキトーたむろしてろ』とか言われたもんだから、村の皆の営みを眺めてたんだ」

 なんだか活気のある雰囲気に包まれていると、俺まで触発されてしまいそうだ。

「あははっ、ジェシカはそういヤツだからな」「それはそうと、兵士たちに指示を出しているのはジェシカなんだ」

 村の外から手に入れた木材を加工する兵士たち、切り出された石材を運搬する兵士たち。彼らを眺めながら嬉しそうにローラは言う。

「そうらしいな」

 俺は無愛想に答えるが、それを気にせずローラは話を続ける。

「知恵の魔女。クレア嬢ですら知らない兵法、様々なカラクリから原始的な罠の製造まで。各グループに気質を踏まえて割り当てた兵士たちに、それぞれ専門知識を教えこんで、その全てをジェシカ一人で指揮している。知恵の魔女の由縁はこういうところから来ているんだよ」

 そう言っている間にも、加工作業をしている兵士たちは、ついさっきまで丸太の先端を削ぎ落とすという分かりやすい行程で行っていたにも関わらず、今度はその木材に穴を開けていた。

「あぁやって、金具を使わず連結させる為の技術も、ジェシカが教えたんだ。見てみろ、アイツなんてスジが良いだろ? テキパキと丁寧で綺麗だ」

 ローラが指さす先には、平凡な体格の男が手元を見つめながら軽やかな手つきで作業していた。

「アレは、ジェシカ自身が多くの兵士たちの中から素養を見抜いて選抜し、教育をほどこした成果で、アイツ自身の努力の賜物なんだ」

 すごいだろ? とローラは俺に同意を求める。

「確かに、あんな練度の職人を何人もを、同じ期間に仕上げるなんて常人のできる所業でもないな」

 俺は木材加工といった作業に関心がなかったから、見ていても難しさすら伝わってこない。

「そうだろ? さすが知恵の魔女だ」

 ローラは手放しにジェシカを賞賛しているが、俺は内心で共感できていなかった。

「知恵と"狂乱"の魔女、だろ?」

 俺は偏屈に言うが、ローラは気にもしない様子で。

「そうだ。狂乱というのは、知恵者としての一面とのギャップが強いから尾ひれが付いてしまったんだがな、それはそうとジェシカらしさってトコロは変わりがないからな」

 そう、ローラは爽やかに言うのだった。

「あっ、あっちを見てみろ」

 今度のローラは、俺の背後に向かって指を指す。俺は振り向くと、その先を見る。そこには石材を運搬する兵士たちの列があって、その中で一際目立っていたのは、身長2m近くある俺よりも背が高くて大柄な男が、一辺あたり2mにもなる立方体に切り出された石材を、両手で2つかついでいた。きっとあの男を指しているのだろう。

「お〜い、アウストー!」

 ローラは急に大声をだした。どうやらあの大男を呼んでいるようだった。

 そして大男は、重量感のあるどうさで列からずれ後ろにいた馬車の荷台に乗せようとして断られ、仕方なく列の邪魔にならない場所にそっと石材を置いて、ノシノシとした動作でこっちまで駆け寄ってくる。

「紹介しよう、彼はアウスト・ラロ・ピテクスという」

 そうローラが言った途端、汗を滲ませて固い表情をしていた大男は笑顔をこぼす。

「いえいえ、私の名前はアウスト・ラ・キネシスです。人に紹介する時にあだ名はやめて下さい」

 笑い混じりにそう応える大男の表情には愛嬌があった。

「悪いなぁ〜でも気に入っているんだろ?」

 ローラは軽口を叩く用量で大男をからかう。

「いや、確かにそうなんですけど〜それだと本名をわすれられちゃうんですよ〜〜」

 男は重量感のある優しい声でハキハキ喋っていた。

「そんなの、有名税みたいなもんじゃないか!」

 ローラはここで殺し文句をつかった。俺はその言いぶりに納得しかけた自分に笑ってしまった。

「いやいや〜」

 と大男は口ごもってしまった。

「あ〜説明する。コイツをアウストラロピテクスとまぁぁ長いあだなで呼んでいるのは、原始人みたいだからだ」

 あ〜〜と、俺はついに納得してしまった。

 原始人という単語はシアンが担う結界で得た知識で、要するに原始人を示すアウストラロピテクスという名前と大男の名前の語呂が似ているんだ。

「原始人って力持ちなイメージがあるだろ?」

 ローラはあっけらかんにいうが、原始人は力持ちというか、狩りをするイメージがあった。

「そうだな、アウスト…君でよかったかな?」

 俺はこういう自己紹介のテンプレート的会話に慣れていなくて、語意がおかしくなってしまった。

「いえ、俺はみんなからもアウストって呼ばれてるので、アウストでお願いします。ところでお兄さんは、良い身体してますね」

 重量感のある声でそう言われて、俺は身長のことかと思い。

「あぁコレ、実はハリボテなんですよ」

 と答える。

「身長が…ハリボテ?」

 アウストは、腑に落ちないという顔をする。

「あ〜こっちも紹介する。こちらティネス…? そういえばファミリーネーム聞いてなかったな」

 ローラはそう言って左隣から俺の背中に手を回してトンッと叩く。そこそこの勢いが伝わってきた。

「ティネス・フローレス・ジークだ。吸血鬼なんだよ、顔立ちは変えられないが身長くらいなら自由自在だ」

「そうなのか!?」

 左のローラから驚いたリアクションが聞こえてきた。

「てっきり知ってるものかと思ってた」

 それはローラが吸血鬼を狩っていると聞いたからだ。

「いや、私の殿はあくまで危険がないように狩るだけだ。ティネスみたいに面妖なやつも今までいなかったぞ?」

 と、ローラは言う。そういうものなのだろうか?

「それで、ところでなんだが」

 こうして、ちゃっかり蚊帳かやの外になっていたアウストが話す番になった。

「ティネス…さんの、お尻ってどんな感じなんですか?」

 それを聞いて、俺の頭には疑問符が花畑を成していた。

「……え????」

 見れば、アウストの顔はほんのり赤らんでいた。

「おい小さくなってみろ!」

 ローラはまた軽口を叩くように言ってきたが、今度は俺に向けられたようだった。

「あぁ分かった」

 と、身長160そこそこまで縮んでみせる。

「もうちょっとだ」

 ローラにそう言われて、なにをする気なのだろうと150くらいまで小さくなる。

 その途端。

「ひょいっ!」

 と効果音を自分で言いながら、ローラはおれの肩に手を回して肩を預ける。

「気おつけろ〜? アウストはそっちの趣味があるからな! もっともぉ、ティネスにお尻を掘られたい願望があるなら話は変わるんだけどなっ!!」

 とローラは嬉しそうに言う。ちょっと俺には意味が分からなかった。

 そうして沈黙している俺にローラは言う。

「百合って花あるじゃん? その対義語って分かる?」

 と唐突に。

「分からないかぁぁ〜、教えてやる! 薔薇だ」

 なぜだか誇らしげに。

 俺はまだ意味が分からない。

「ふふんっ、そういうことだっっ」

 と満面の笑みを浮かべるローラ。

 そして疑問符のダムは決壊していた。きっと俺の顔には不満が出ていただろう。

 そんな俺の顔を、ローラはアウストとの間に入って両手で挟む。ぷにっと。

「小さくなったせいかも知らないけど、ティネスのその顔、可愛いじゃん!」

 ローラは気色満面の笑みでニヤニヤとしていた。そのローラは出会った時以上の笑みで。

『こんな話で最高記録出さないでくれ!』

 と心の中で叫んだのだった。でもなんだか、目を合わせる時の視線が上目遣いではないあたりに新鮮味を感じる…。

 それはそうと、俺にはちょっと分からない趣味だったのだ。

『ゴンッッ!』

 押し黙っていた俺は頭突きを喰らった。

「なんだよノーマルかよ、せっかく皆の餌になると思ったのにさぁ」

 かつて無く乱暴な口調で、俺に頭突きを食らわせたローラは吐き捨てたのだった。

「うわ、でちゃったよ薔薇の龍氣化りゅうきかローラさん…」

 アウストがそう呟くのを聞いたが、オレには何のことを言っているのか皆目見当もつかなかった。

「まぁなんだ」言いながらローラは頬をぷにっと触っていた手で俺の頬を叩く「…デュフフとまではイかんのだが」と言うローラの頬は、目に見えて紅潮こうちょうしていた。「断っておくとだな、私はミーハーなんだ。クレア嬢なんて『薔薇の会』の筆頭だからな! というわけで私はミーハーなんだ!」

 どういうワケなんだ? 最後早口になったぞ!!?

 なにやらきな臭い匂いがする…。宗教は禁止してあると聞くが、集合意識を持ったなんらかの怪しげな集団がこの村に根付いていることは間違いなさそうだった。

 よく見れば、アウストやさっきの手際の良い兵士たちを始め、周りで一帯から黄色い視線が集められているような気がする…。

「お尻の穴だけは勘弁してください…」

 俺は周囲に害を加えられない都合上、泣き寝入りするしかなかった。断腸の思いだった。

「あ〜そうそう」

 そんな俺の思いなど梅雨にも知らず、ローラは新しく話しを切り出す。

「石材なんだがな、ディミトリがかしらを担当して壁の修復に当たっている」

「複雑な箇所で難解さに富んでいる上に立地が悪くて複数人での作業ができないらしくて、どれだけ試行錯誤して見積もっても最低6日必要らしい」

 そう教えてくれるローラの言葉には思惑が隠れているような気がするが。へぇ〜、とぼんやり聴いておく。

「そこでだ! おそらく、この村1番の面妖さを誇るティネス殿にお願いしたく、命令する!」

 とお気足だっているような語調のローラ。

 はい来た、来ると思った。読点を挟んだからって尊敬語が命令形になる文法なんてないんだぞ?

「へいへい」一拍おいて「それで? 俺はなにをたまわされればいいんだ?」と話を催促する。

「ティネスは夜も活動できる。そして兵士たちだって腐っても戦士だ」

 その言い方はどうなんだろう?

「皆、ボーン襲撃を備えた夜戦訓練はこなしているし、日常的に野営戦に続く連戦で磨き抜かれた遠護兵もいる。彼らを率いての夜間修了をお願いしたい」

 そして大詰めとばかりに。

「つまり、これからこの村に移住するティネスの為の土木業、ひいては職業体験というワケだ!」

 300と数十年前は農夫の息子だったんだぞ!! できる分けないだろ! と言いたくなったが、そのことはローラに話していなかったし300年も前の技術を、いくら体に叩き込んでいたと言っても"憶えている"はずもないと思い。

「どういう理由ワケだよ…」

 と強く出れなかった。そして諦めたように。

「で、その穴に向かえば良かったよな?」

 言いながら明後日の方向へ歩き出し。足を止めた。

 振り向いて。

「どこだったっけ?」

 とひと言。

 瞬間、ローラやアウストを筆頭に爆笑の渦が巻き起こる。2人だけじゃなく、作業中や運搬中の兵士たちもだ。

「ティっ、ティネス。お前小さくなった途端、可愛くなったよなっ!」

 腹を抱えながらそんなことを言われても…。

 そうして俺が立ち止まっているところにローラが並んできて。

「じゃあ、行こっか。案内は任せてよ、ティネスちゃんッッ!」

 言いながら、また爆笑するローラ。思わず俺は赤面する。

「笑わなくていいじゃん! 外見に性格が引っ張られるんだよしょうがないじゃんっ!!」

 ムキになって俺は、子供のように反抗してしまった。

「可愛いね、よちよち」

 言いながらローラは、同じ高さに顔を並べて頭を撫でてくる。

「うるちゃい!」

 💢 噛んでしまった。ミスにミスを重ねるなんて、それこそ人間の幼児期の頃と吸血鬼の成り立ての時くらいだったのに。

「あっ、ハハッハハ!」

 ローラは空を仰いで高笑いをする。

「いいから、案内してよ!」

 気持ち少しだけ、口調まで容姿に吊られてしまっている気がする。

「普通に可愛いのに勿体ないね〜、さっすが男の子」

 ローラはまたグリグリと頭を撫でながら、おちょくるように笑みを浮かべて腹を抱える。

「はァ〜じゃーいこっか」

 そう言って歩み出すローラの背中は、まだ登りきらない太陽に当てられて、いつもより大人びて見えた。

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