15ページ 《置いてきた宝物》

 聞けば女の子の自室だという。まだ真昼なのに日照が充分に差し込まない、薄暗いわりに湿度の低い半地下で、私は女の子にうながされてポツリと…叶わない夢を語る。

「母のように優しい人に、私もなりたかった」



「ここが私の部屋だ…存分にくつろぎたまえ!」

 女の子はルンルンに話し出す。

「だがもっとも、娯楽など何一つもないがなっ!」

 女の子は1人で会話して1人で笑っている。

 そこでお互いに、木のテーブルを挟んで椅子に座る。

「それより、話があるんじゃないの?」

 私はこの薄暗い場所から一刻も早く出たい、という本音を隠して話を早く終わらせにかかる。

 女の子は私の心中を察したのか、さっきまでの笑顔をしかめっ面に変えて話し出す。

「さっき、ローラという女の子と男が戦っていただろ?」

 あなたも女の子でしょうに、なんて茶々は入れないでおく。

「あの男の名前は助小増と教えただろ?」

 そうだった、受け顔でスキンヘッドの人は珍しいのだ。それにしても剣の腕はすごかった。

「そうだね」

 私は相槌をする。

「で、この村にいる日本人は助小増と理環だけなんだ。無論、ほとんどの人は西洋の名前だ」

 まぁ、たしかにさっきのティネスさんはイギリス紳士みたいな名前だけど…?

「これからもいくつか前提条件を挙げていくから覚悟してくれ。まず1つ目、ここは日本じゃない」

 いや、まさか転移や神隠しはフィクションの話だから、大掛かりなセットを使ったどこかのスタジオじゃないだろうか?

「いや、こんなに広い設備を用意できるならテ〇東か、それともハリウッドでもなきゃ無料でしょ」

 私は簡単に騙されるタマじゃない、女だから玉ないけど。

「誘拐?」

 私はよく、大人びてると言われることがあるけれど、実のところ未だ17歳の現役JK。青少年保護法によって当人の意思は関係なく、保護者の承認がなければ移動もままならないはずだ。

 目の前にいる仕掛け人は見た感じ未成年だけど妙に信憑性のある言い方ができるからには子役だろうか? テレビは見ないから分からないけれど…いや白髪ロングってことは外国人か、知らなくて当然だし、私のこの待遇からして悪意は無いはずだし…。そうだ、早く帰って弟にご飯を作ってあげなくっちゃ。

「…あれ、でもあのババアの承認があったってことは生活資金も負担されちゃってるのかな……私、売られちゃったのかな?」

 あれ、急に目頭が熱くなってきちゃった。私ってこんなに涙脆かったっけ…?

「"優人"…元気にしてるかな……」

 私はボロボロのアパートで毎日出迎えていた弟をまぶたの裏で思い出しながら、わたしは袖で涙を拭う為に顔を上げると、目の前の女の子は鬱蒼うっそうとした表情をしていた。

「あっ、声に出ちゃってた?! ごめんね、今泣き止むね。こんなお姉ちゃんじゃ頼りないじゃんね」

 私は早口に言って、ニットの袖が濡れてしまったことを見てぎこちなく笑う。

 あのババアにとうとう売られちゃったか〜。これからどうやって生きていこう。そんな不安が私の心を支配しはじめた。

 そんな私を知ってか知らずか、女の子はコツコツと話し始める。

「話の前に名乗っておきたい、私の名前はクレア・シアン・ギビング。この世界は分かりやすく言うと剣と魔法の世界だ、共通言語でもなく会話が成立しているのは私の魔法だ」

 女の子は突拍子のないことを話し始める。…当然にわかには信じがたい。

 そんな心中もお構いなしに、女の子はどこからか冷えた水の入ったコップを持ってきてくれた。今はその優しさが心に染みた。

「まず前提として、神隠しは存在する」

 女の子はあったかい言い方をしてくれた。寄り添ってくれているみたいに。

「同じ境遇の人を私は異生者と呼んでるの、実はここ数百年で何人かと会ったことがあるの」

 今の私には、女の子の言う言葉はとても遠くに感じていた。私は人と較べて妄想の激しいタイプだけれど、女の子の言う文脈からすると私の妄想はあながち外れていないということだろう。…裕福ではないにしても、かけ外のない日常だと感じていた。それを喪ったショックは私の心に重たい影を落していた。

「人は、知らないことを過剰に恐れるもので、目を背けるものだから…立ち直って欲しいと思うから、私は理環に、この世界のことを教えたいと、思ってる」

 心の準備はいいかな。そういって待ってくれる女の子は、先生みたいに優しかった。

 そうして私は心を落ち着かせる為の時間をもらって。…しばらくして話を続けてもらう。

「大丈夫?」

 そう聞いてくれる女の子は私よりもちっちゃいのに大人びていた。これじゃお姉ちゃんぶることもできないや。

「マルチバースやパラレルワールドは聞いたことあるでしょう?」

 物理学、それくらいなら参考書レベルで暗記してたはず。…でも今はちょっと思い出せないや。

「ここは大丈夫そうだね。文脈で分かるところもあると思うけど、この世界はホモ・サピエンス以外のホモ・ネアンダールだったりもが、絶滅せずに共存共栄を実現してきた世界なの」

 女の子はどれだけ生きてきたのか分からないくらいたくさんのことを、温かい口調で教えてくれる。

「そのうちのホモ・フローレンシスって人種が、いわゆる五大元素…属性魔法を使える種族がいて…」

 私が消化できるように、時間をかけて上手く噛み砕いてくれてるみたいだった。

「で、何世帯もかけてフローレンシス族が色んな人たちとの交配が進んだ結果、DNA…が特別な人たちが生まれるようになったのね」

 ここで言い難そうに口をつぐませる。

「…ローラみたいな子や、私みたいな何千年も生きられる人間が生まれちゃって…それが強すぎる存在になってしまったの」

 ここから女の子の言葉は、少しづつ勢いを増していく。

「昔、とクエンスという王国が大陸を支配していた時代があった。当初は差別のない世界をうたっていたけれど、蓋を開けてみれば実際に差別をされないのは上流階級だけ。それでも貴族社会のクエンス王国は無駄のない政策を連発して栄えていった」

 その言葉には少しの怒りがこもっていた。

「悔しいくらい。とても人の心を誘導するのが上手くって、その全ては王家が独占する為の、不老不死の万能薬…その発明」

 このあたりから女の子の口調には、怖いくらいの熱がこもっていた。

「貧困層を意図して作っていたのは、居なくなっても困らない人間を作る為。差別なく上流階級を迎えたのは協力を得た上で黙らせる為。そのクセ天才の発掘も抜かりなくて、私もそんな天才の1人だった」

 喉の乾きもお構いなしに、女の子は半ば脱線しかけている話をつづける。

「私たちは禁忌に触れた」

 そこに来て女の子は、喉の乾きに気づいたようにコップの水を飲む。

「つまりだ、この世界の…」

 女の子はここで言葉を飲み込む素振りを見せる。

「この世界には吸血鬼が跋扈ばっこしていて、今もこの地球のどこかで吸血鬼によって幾多の犠牲者がでている。その原因を作ったのは未だ生き長らえている私なんだ」

 吸血鬼…、処女の血を吸い吸血鬼する。そして非童貞をゾンビにする怪物。フィクションであって串刺ヴラドツェペシが出典ではなかっただろうか…。それこそフィクションの大名詞だったはずだ。

「吸血鬼が存在する世界…マルチバースやべぇ」

 これはさすがに不謹慎だった。それでも、二度と弟に会えないという事実が、わたしを変な気分にさせる。

 これが極度の絶望感を意味するニヒリズムなのだろうか。

「そうなんだ。それだけじゃなく、理環がこの世界に来てしまったことも、私のせいかもしれないんだ」

 そう言われても、怒りの感情が起きるわけでもなかった。

「理環には、私を殺す理由がある」

 女の子は私に首を差し出す勢いで、テーブルに土下座した。

「弟は、アレでしっかりものですし気づかいも出来ますし、ほらこれ…この服も弟が誕生日にプレゼントしてくれたんですよ!」

 あれ、なにが言いたいんだっけ。

「えっ、えっと…弟は私がいなくても生きていけるので大丈夫ですよきっと!」

 そういう私の声は、涙声だった。

 悲しいのか寂しいのか分からないけど、私は再び涙を流していた。

「あれ。なんでだろ…」

 私はニットの袖でまた、涙を拭う。

「必要なら、私が胸を貸してやる」

 女の子は、いつの間にかなくなっていたテーブルの場所に立って、私の肩を両手で持っていた。女の子の柔らかい手は温かくて、心地よくて。私はまた涙を流す。

 …そして私がかがむようにして、両手で胸に抱いてくれた。

『コンッ』と骨に当る音がした。痛かった。

「ありがとう…、胸ないじゃん!」

 私は痛みを訴えるようにして、涙で腫れた目蓋から涙を散りばめながら、女の子の胸をポンポンと叩く。

「笑えるじゃん!」

 女の子は私を抱いたまま、私の声を聞いて安心してくれたようだった。私はなんだか年下の子に慰められている気になって、イジワルを言ってしまう。

「…胸ないじゃんかぁっ!」



「毎日毎日、勉強してた…小さい頃から」

 私はお礼に、土産話というほどじゃないけれど、話をしてた。

「お父さんは毎日、ギャンブルとお酒だった」

「そのお金もお母さんからむしり取ったやつで…、お母さんはそれに堪えながら私たちを育ててくれた。だから私も頑張らなくっちゃって、良い高校に入るために友達も作らず勉強してたんだけど、お父さんがお酒飲んで車に轢かれて。全てが壊れた…」

 そう、もともとひび割れた欠損だらけの家庭だったけど。全てが壊れたのはここから。

「お母さんは一応器量良しだったから、私を高校に入れた時から激しい男遊びをはじめて、毎日華美な服と化粧で朝帰りを繰り返して、おかげでアパートは知らない男たちからの貢ぎ物だらけだった」

 私はそんな風景を思い出して、嫌になって笑う。

「それまで育ててくれたし、高校に入れてくれたし…どれだけ込み上げても、文句は言えなかった」

 私は気分転換になるように、明るい話をしようとする。

「それで、お母さんは学費を一括で用意したっきり家賃を入れなくなったから私が働いて…お母さんの男からの貢ぎ物も売って、バレた時はモメたなぁ〜〜」

 私は薄ら笑う。

「それで余裕が出来たから休日を作って、その時間で弟と遊んで…。バイト先で評価され始めた頃から貯金もできるようになって。明日が楽しみになって!」

 ここでやっと、私は明るく笑う。

 そう、普通の笑顔ってこういうのだよ。

「そんな感じ、これから! って感じだったのにこっちに来ちゃうんだもんな〜」

 私は今、どんな顔をしてるんだろう? ふと疑問が沸く。それは今も笑顔でいられている自信がなかったから。

 自分の笑顔に自信を持てないのはきっと、親のせいだ…。

「なんで変わっちゃったんだっけ?」

 ここで私は疑心暗鬼になる。

「お母さんは、それでもお父さんを愛していたんじゃないかな?」

 ナニを知ったようなことを。私そう言い返しそうになった。

「あの女は、私たちを捨てたんだ!!」

 冷静になろうとして、それが逆効果になってせきを切ったように叫んでしまった。

「……愛してなきゃ!娘に『理環』なんて愛情のこもった名前はつけないよ!」

 そう聞いて、私はしゅんとなって涙を止める。見れば、女の子は私と一緒に泣いていた。

「なんで泣いているのよバカ!!!」

 私は拳で殴ろうとして…躊躇ちゅうちょして、肩を掴んでからまた胸に顔を埋める。

「………お母さん、昔は優しかった…」

 ほどなくして、私は消え入るような声を挙げた。

「うん」

 女の子は小さく相槌を打つ。

「昔、小さい頃に怪我をした時に絆創膏ばんそうこうを貼ってくれたり…目薬を指すのを手伝ってくれたり」

 私は涙声で思い出を話す。

「頭を撫でてくれた手があったかくて、それをまだ"憶えてる"。大好きだった…」

 ここで女の子は私の身体を強く抱き締める。

「私が泣いて、そんな時に励ましてくれた声が大好きで…」

「うん、…優しかったんだね」

 相槌をしてくれる女の子の声も、温かくて。小さな身体だけど、あの頃のお母さんみたいに優しくて。

「母のように優しい人に、私もなりたかった」

 …つい、心の声が漏れる。


 女の子の胸に顔を埋めたまま、私は泣き止んで。…涙が枯れて、跡になった頬を拭いながら顔を上げる。

「…ありがとう………!」



 理環はとても優しくて、愚直ぐちょくで…だからかなしい。

 私は理環になにをしてあげられるだろう。そう何度考えても思いつくのは、この村の人たちと引き合わせてあげることくらい。

 私はローラに温もりを思い出させてもらったけれど、今の理環はまだ、人の温かさを忘れてしまったままな気がする。そんなことを考えながら。

「ごめん、聞いた気がするけど思い出せないから、名前、聞いてもいいかな?」「あなたの名前、…教えてください」

 こんな突飛な質問にも笑顔で答えられる。

「クレア・フローレス・ギビング、1万年を生きる美少女よ。だからお嬢じゃなくて、お姉ちゃんって呼んでくれると嬉しいなっ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る