14ページ 《虚影の戦姫と極限領域》
紀伊 理環、女は確かにそう名乗った。それはアイツの本名と同じ作りだった。見れば確かに、女はアイツとの外見の共通点がある。黒い髪に黒い目、白人と言うにはやや焦げ茶色の肌。間違いなくアイツと同じ人種だ。
瞬間、
「
一呼吸のウチに言い終えてしまった、人に質問をするには早口すぎるほど。
「…私は知らないけど、人探しなら
直球かつ辛辣な言葉だった、この場合はこの言い方がありがたかった。もはやこの言い方が、この紀伊と名乗った女の性分なのかもしれない。迷子ということだが、この女がこの村に長居するのなら早く慣れた方がいいのかもしれない。
「そうか、ありがとう」
焦りを自覚した俺は、冷静になってお礼を言うことができた。
「それまでだ!」
訓練をしていた兵士の列の奥からローラの声が聞こえる。どうやら訓練に一区切りがついたようだ。
「おっ?」
言うが先か走るが先か、俺たちに気づいたローラはこちらに駆け寄ってくる。
そんな様子を俺たちはどこか微笑ましく迎える。
「見ていてくれたのか!? これから日課のアレを始めるんだが、よかったらそれも見ていかないか?」
ローラは自分が楽しいと感じたことを友人に勧めるように、凛として誘いをかける。
「特に予定もないしな…ローラさえよければ」
そう言って実は清々しい心地だった。
「決まりだな」
そう言い終えるローラは自信満々喜色満面に笑う。
「1人目開始!」
ローラがそう叫んで勝負は始まった。
審判はいない。ローラとローラに対する兵士の周りを、他の兵士が野次馬になって囲むだけ。なんというか野蛮な…安心感のないフィールドだった。それでもフィールドにいる2人の周囲を地続きに、約半径5mで野次馬が囲んだ充分な広さのフィールドだった。
ローラが開始と言った途端から、辺りは静まり返る。
勝敗の条件は、どちらかが死ぬかどちらかが戦闘が不可能な状態になること。降参という選択肢は…暗黙の了解と言うべくもなくルールとして存在していない。この、少し間違えば無法地帯に成りかねない果たし合いが、ローラたちの日課らしい。
ローラと対する兵士の名前はまだ知らない。従って今後は作者の都合で「男」と呼ぶ。
1日3戦…「1人目」ローラがそう言った相手は、噛ませ犬や敗北役のような弱者ではなかった。それは少し見ればわかる事だった。
シアン,紀伊,俺の3人は、それを野次馬に混ざって観戦する。
男が持つのは刃渡り1mで刀身が細く両刃の直剣、真剣だ。それを迎えるローラは素手。それでもローラの実力の一端をしっている俺は安心感を憶えていた。
男は柄を含めて全長1mを超える大物を右手だけで持ち、両足を肩幅で前後に開いてやや深く腰を
ローラは八極拳だと言っていたことがある。身体の前面のやや右斜めを男に向けて、右腕は左下方にまっすぐ伸ばして拳を握る。左腕は頭部の正面を通って手のひらが顎の前に据えられている。受けの構えだ。
2人の間合いは2m。身体を入れて剣を振れば届く距離、
「あの男は
シアンはここに来てやっと、男の名前を紹介してくれた。これで男と呼び続けずに済んだ。
「助けて小さく増す。と書いてスケコマシ太郎って書いて、助小増太郎だ。一部の女性の色眼鏡によって、あのイカした肉体も
そこまで言って、ポツリと小さく呟く。
「まるで、本人の名前が私たちの興味を否定しているみたいじゃないか…」
どういう意味か、シアンに聞こうとした時。
「あっ、そうだった個人的な趣味の話で紹介を忘れていた」
それは、俺の質問を意図して遮るようなタイミングだった。見てみれば、紀伊はそこはかとなく口元を緩めていて、笑いを堪えているようだった。シアンの言っている内容が分かるのだろうか?
「助小増さん、私は彼のことを個人的趣味から
そう言うシアンは再び冷度のある口調に戻っていた。
「ケースバイケースだ。理環やティネスには追い追い話す。」
それは緊張感のある言葉だった。
『ビクッッ』
『ビクッッ』
そこで背筋に悪寒が走る。それは紀伊も同じようだった。その原因は日を見るよりも明らかで、一触即発、その状況は"僅かな"進展を迎え、ほのぼのとした空気は終わりを迎えたのだった。
俺は視線をフィールドの2人に向ける。
「殺気だ」
シアンは言った「真の英雄は目で殺す」古代のギリシャという国で活躍した人間の言葉らしい。
「無数の死線を越えて、実力と経験の上に、何かを勝ち得た者は殺気だけで相手の行動を支配することができるんだ」
「そういう世界で、ローラを含め全ての兵士が戦っているんだ」
シアン
一触即発、その言葉にも段階があるらしい。俺は吸血鬼になってから初めて、それを2人に知らされた。
そこで、どちらからともなく石畳を踏む足音が聞こえた。…先に動いたのは助小増だった。
右腕で持っていた直剣を、腰と共に沈ませながら前に捻り。滑らすように足を運び、そして僅かに石畳から浮くカタチで地面を這うように跳躍する。その動きは、獲物にトドメを刺そうと飛翔する
助小増の直剣は、まっすぐにローラの胸元へ向かい。まさに突き刺さると思われた。だが、ローラが一枚上手だった。
直剣がローラに命中すると思われたその瞬間。ローラは胸を後ろに反らした。瞬くウチにローラの身体は胸を反らせた姿勢のまま蹴りの体制を整えていた。
次の瞬間、
助小増の身体は斜め25°の方向に吹き飛ばされた。さながら竜巻に巻き込まれた大木のように、上昇しながらぐるぐると何度も回転する。だが、そんな助小増の目は生きていた。
助小増は直剣を身体の内側に仕舞い、回転力を上げながら飛距離を縮めて…着地すると同時に直剣を地面に突き立ててローラの動きを見ながら体制を整える。とても見事だった。
そこで試合は終わらなかった。
ローラはもう、構えていなかった。まるで、構えない姿勢が構えだと主張しているかのように、威風堂々と構えていない。それでもローラの目は助小増を捉えていた。
助小増はローラと向き合って視線を逸らさない。助小増は1mを越える直剣を右の肩に乗せる、バランスゲームかなにかのように。続いて柄を真下に引っ張って刀身を正面でぐるりと振るい、下に回った刀身を右肩の下へくるりと捻らすように隠し、今度はその刀身を左肩の後ろに回して軽々持ち上げて止める。左肩から刀身が半分はみ出るカタチで停止したすぐ後、その直剣を上空に放る。そしてふわりと宙を舞う直剣の柄を
最後に左腕を畳んで刀身を支えるように右の二の腕を置く。
軽やかな威嚇の演舞だった。その動きがなんの為かは俺には分からなかった。分かるのは、助小増の目はギラついていたことだけだ。
今度はローラが先に動いた。
助小増が吹っ飛んだことでローラとの間合いはかなり広がっていたが、ローラはそれを走った。綺麗な姿勢だった。
ローラは跳んだ。右手を上に左手を下にそれぞれ広げて足は畳んで助小増の頭上よりも高く。それは中国の技には良くあるスタイルで、それでも拳法家同士で戦う時に行うもので、決して真剣を相手にして突撃するような技ではない。
けれどローラは跳んだのだ、それも逃げ道のない空に。まるで意味がわからない。
案の定、助小増はそんなローラを突いた。
ローラは刃先の一端を左手で軽々つまんで、身体を反らしながら左腕の力で身体全体を直剣のしたに押し込む。
そうか、剣の下に潜り込み易くする為に跳んだのか。俺はそこで理解した。
それでもまだローラの足は地面についていない。逃げ道の少ないことには変わりがなかった。そこに助小増は柄を引きながら刀身を振り下ろす。まだローラは刀身をつまんだ左手を離してはいなかった。
ローラは左手を使って刀身の右側へ、助小増から見て左側へ身体を押す。そしてローラは地に足を付けた、そこはもうローラの拳の間合いだった。並の兵士ならそこで負けていただろう、けれど助小増は違った。
助小増はローラが左に回ったと見るやいなや、右足左足としっかりと地面を踏みしめながら右斜め前に動いていた。それと同時に下ろしきった直剣を両手で左方向に弧を描きながら振り上げる。ローラはそれを身体を畳んで
着地した直後に右に避けて、そこでは姿勢を整える時間がなかった…。振り上げられた直剣からの追撃を避ける余裕など、ローラにはなかった。
それでも、これを意図も簡単にやって退けるのがローラだった。どっしりと構えた姿勢の助小増から振り下ろされるら直剣、しかしローラは尚も髪一重で助小増の方へ身体をにじり寄らせる。
ローラは助小増の剣を持つ左手を右手で掴む。続いて右腕に上からクロスさせながら左手で助小増の肩をガッシリ掴む。
次にローラは助小増の左側に回り込み、そして軽やかに背後を取りながら、合気で助小増の肩を引っ張る。すると遠心力で助小増は斜め前に倒れ込む。
助小増が倒れたところに、ローラは一瞬の隙も生まずにすかさず肩への締め技を使う。
ローラは助小増の背中に乗り。助小増の左の二の腕を引っ張って腕全体を
そこで終わらないのがココの訓練棟だ。
『ウググッ…』
声を殺すようにして聞こえる戦士の悲鳴は、"それなりに"生々しかった。
「うんじゃあそろそろ、私は理環ちゃんと一緒にあそこに戻ってるね」
そう言ってシアンは行ってしまった。
さっき、紀伊が耳馴染みのない言葉を話していたけれど、それに関係する話があるのだと思い、俺は再びローラの観戦を再開することにした。
次の相手はニノだった。
「誠実さが取り柄だと思うんだがな…」
意外な選抜に、俺は訝しく思っていた。
その戦いはすぐに始まった。
開始早々ローラが突進したのだ。
それを迎えるニノの一太刀は想像を絶する速さだった。
『ビュルルルルー!』
それは猛々しくも短い轟音。それは真剣が…金属が大気との摩擦で震える音だった。
勝敗は一瞬でついた。俺の目で見る限りでは、こういうあらましだった。
まず、ローラが突進する。続いてニノが間合いを見て剣を振り下ろす。ローラはニノの太刀の間合いギリギリで動きを止めて、太刀が通過してから振り下ろされた剣の上を通って、顔面にグーを入れた。…だ。
なんというか、ニノには一撃で沈むのはどうかと言いたくなるが。実際に喰らった俺は分かる。ちょーー痛かった。
術理や流派は各々で決める。訓練では基礎体力と技の模索、それを実戦レベルで使える術として扱う。とてもシンプルで、非合理だが理にかなった方法だった。それを成り立たせているローラの技量も流石だという言葉では言い表せなかった。
1日3回、その後の3人目の兵士は基礎の焼き直しといった具合で、堂に行っていると感じる程度のものだった。
これが日課だと考えると、ローラの計り知れない苦労を察することができた。
ニノは言っていた。
「ローラさんはアレで、底の見えない恐ろしいセンスを持っているんですよね。彼女の実力に追いついたと思えば突き放される。影を掴めないという畏敬を込めて、虚影の戦姫と呼んでいるんです。」
恐ろしい。文字通り…、それ以上のセンスを持っていることが知れた1日だった。
「助小増さんはあらゆる軸の操作を、私は一太刀という存在を。それぞれ誰もが一芸を極めているんです」
そのニノの言葉はしばらく忘れられそうにない。
『ローラは多分、死の淵にこそ才能を発揮できるのかもしれない』
ただ漠然とそう思ったのは、後に当たっていたことを知ることになる。
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