12ページ 《名前》

 1万年を超えて生きている。ついさっきそう語ったばかりのクレア嬢は、ツンデレという言葉を知らなかった。

「いや、…え?」

 俺はあからさまに同様してしまう。

「ん??」

 クレア嬢はそう言いながらテーブルに身を乗り出して、俺の顔をまじまじと見るのだった。

「どうした? そんな座敷童子ざしきわらしでも見たような顔をして」

 そう言ってあっけらかんとしているクレア嬢には、俺は内心で驚きを禁じえなかった。

「ざしき……」

 座敷童子、この名前は、俺を吸血鬼にし俺に武力を教えた"アイツ"が教えてくれた、故郷の言い伝えの話で聞いたことがある。ツンデレも同じくして知った。

「あ〜いや、ツンデレというのは…」

 そこまで言いかけた俺を、クレア嬢は左手人差し指を俺の口に当てて制する。

「あ〜〜〜! 私が予想を当てるまで離さないでくれ、私は自分で考えずには居られないタチなんだ!」

 そう言うクレア嬢は、みれば右手の三つ指をひたいにつけて思考しているようだった。

「"ツン"とは確か、昔の文明でジャパン…だったかニッとつく何とかの言い方で針のような凹凸の尖った部分を指す形容語があったハズだ…」

 今度のクレア嬢は、そうやって思考回路をつまびらかに明かしてくれているようだ。

 そうか、アイツの出身はジャパンというのか。

「"デレ"とはなんだろう?」

 クレア嬢はそうやって次の課題に取り組むようだった。

 この間、クレア嬢の左手人差し指は俺の唇に触れたままだ。

「そういえば日本人はたまに、言葉を崩すことがあったな。デレと似た発音で『照れ』というのがあったハズだ…、だが物理的な形状を指す"ツン"と心境の様相を表す"デレ"は併用へいようできるのだろうか?」

 そこまで考えて壁にぶつかったようだった。が、すぐに「いや、あの奇っ怪なジャパニーズならやりかねない…」と呟いて再び試行錯誤するようだった。

「ツンの物理的な形状をデレの心情に引っ張って考えるとするなら、つっけんどんな態度と照れたような態度が同時にまたは交互に存在することを表した言葉というわけか…」

 とそこまで考え終えると「どうだ、合っているか?」と喜色満面の笑みで子犬のように聞いてくれるクレア嬢は、可愛いさに満ちていた。

「そうだ。最初から最後まで一直線に成功法を辿ったような推理だったぞ」

 そういった俺は、さりげなしにアイツのことを思い出す。昔、似たような会話があった気がしたのだ。

 ふふん、と鼻息を漏らすクレア嬢に、俺は興味のありそうな話をする。

「ちなみに、そのジャパンでは柴犬しばいぬという狼の子孫に当たる動物がいたそうだ。その柴犬の様子が、まるでツンデレのようだと言われて、ツンデレという言葉が生まれたそうだ」

 聞き終えたクレア嬢は、俺の唇から、柔らかい動作で左手を離すのだった。

 そうやって話した俺は、クレア嬢に対して教えられることは最初で最後だろうと思い、いつの間にかこのひと時の喜びを噛み締めるようにしていた。

 それから少しだけ、その昔に出会った小さな柴犬のことを思い出した。

「ありがとうな、ティネス」

 そう言ってクレア嬢は、今度は左手を差し出して握手を求めるのだった。

 俺は感傷的になっていた気持ちを、クレア嬢に向き直す。

「私は生きてきた中で知り得た情報しか知らないのだ。だがこの村に来て、初めて新しい知識に巡り会えた気がする。本当にありがとう、ティネス」

 言いながら、小首を倒して銀髪のロングヘアを揺らすクレア嬢の顔は、とても可愛らしかった。

 俺は迷いなく、クレア嬢の左手を俺の左手で掴む。そしてクレア嬢は俺の手をガッシリとつかみ返す。

「私の名前はクレア・シアン・ギビングといい、今は亡き両親から授かった名だ。改めて、これから宜しく頼む」

 その声にはもう、冷度なんて感じられなかった。

「俺の名前は、ティネス・フローレス・ジークだ。本来の名前は分からない、ただ恩師が名付けてくれた名前だ」

 そこで俺は、クレア嬢に笑顔を返す。

「そうか、いい名だな。これまで通りのティネスでいいか?」

 そう問うクレア嬢に、俺は穏やかな気持ちで返す。

「ああ、俺もこれまで通りクレア嬢でいいか?」

 そう言った直後、握手をしている左手のこうにチクリとした感触を憶える。どうやら爪で引っかかれたようだ。

「クレアか、シアンと呼べ。クレア嬢と呼ぶのはローラだけだ」

 そう告げられる声は、またも冷度のある声に戻っていた。

「わかった、シアン。これからもよろしく」

 俺がそう言うと、シアンは再び笑顔に戻っていた。

「じゃあ、そろそろ行くか」

 そう言ったシアンは、俺との握手の手をほどくと同時に、右手で木の机をトンと叩く。それだけで、最初からそこに机は無かったかのように消えて、変わりに1メートルほどの棍棒が現れた。

 それからすぐに、椅子から上体を起こすシアンは棍棒の先を階段の方に向けて。

「行くか」

 と告げる。



 シアンに連れられて訪れたそこは、土煙が立ち込めていて、泥臭さを伺わせるような木製の物体同士が何度もぶつかり合うような甲高い音が響いていた。

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