11ページ 《独白》
「まず、これからする話を聞かせる為に、虚影はお前を連れてきたのだということは明らかだが、お前には必要のない知識が存在することを明かしておく」
ここで俺は相槌としてコクリと頷く。
「その必要のない知識の一切は知らせないことを、了解して聞いてくれ」
もったいぶるような素振りを無しに、クレア嬢は淡々としたまま本題に移る。
「最初にするのは私の出生の話なのだが、お前の察しの通り私は外見通りの年齢ではない」
そうだろ? してやったり、と今にも言いそうな顔でクレア嬢は前置きをした。
「私は人類種族の1つであるホモ・シアンシスと吸血鬼の間に産まれた奇形児なのだ、親の遺伝子を受け継いだ私は不老にして自己再生能力は常人のものではない。
淡々とした口調のまま語られるクレア嬢の言葉には、俺にとって未知の情報が多すぎた。
「いやちょっと待ってくれないか? いや…続きを急ぐのをやめて貰えないか?」
俺は戸惑う。今語られている話は恐らくは高度に重要な話なのだ、重要さを分かっているが故に一言も一言一句まで逃すことが出来ない。
「意見は受け付けない、質問なら完結に頼む」
クレア嬢は慣れているのか、それとも単に手間に感じているのか、その言葉には隙がなかった。
「まず、人類種族ってなんだ。ホモ・シアンシスってなんだ、黒人白人黄色人種とはどう違う?」
俺は滲み出る焦りのままに、年甲斐なく畳み掛けてしまった。以前の俺ならこうはならなかったのに。
前の俺は、こんな風になるなら最初から聞きもしなかっただろう。俺は、思った以上にローラの影響に当てられているのかもしれない。
「不必要な情報を避けて話すとだな、人類は霊長類の始祖である猿から進化したという話は有名だろ? ダーウィンの進化論という話だ」
そうやって前提事項を述べるように語りクレア嬢の言葉は、俺はどれも初めて聞く言葉だった。だが、分かる。これは
「そうして猿から進化した人類は、地域や個体ごとに差を付けていた。それが『ホモ・シアンシス,ホモ・フローレンシス,ホモ・ネアンダール』そして最後に《ホモ・サピエンス》というわけだ」
これは名前と特徴だけ記憶してくれれば問題はない、とクレア嬢は付け加える。
「シアンシスは知識と長寿を、フローレンシスは異能と高い知覚能力を、ネアンダールは鋭い直感力と高い身体能力を、サピエンスは高い共感能力と持久力を。それぞれが文明を作り、優和し合い争い合った時代があった」
「だがこれは遥かな過去の話だ」と補足を入れるクレア嬢。その完結な説明の中にはどれだけの歴史が刻まれているのかを、業を背負った今の俺なら感じることができる。
「今現在はそういった名称を使われることは少なく、また必要もないと私も考えている」
そして説明の最後に現状に対する意見を述べるようだ。物ごとを討論するには抜かりない言い回しだった。
「私は人類の中でも特質して長生きなシアンシス族と、不老不死の吸血鬼の遺伝子を受け継いだことで、人の身で幾億の年月をこの
ここまでで"前置き"なのだ。これだけでも俺は、長かったと心の中で
「私はさっき《幾億》という言葉を使ったな、実際は億というほどの"年月"ではなかったが、実際に億という言葉が似合うほど"長い時間"だったのだ」
ん? 長い前置きが終わったはずなのに、またも前置きが始まってしまった。こんな揚げ足を取ってしまいたくなるくらい、クレア嬢の話は長いのだ。
ここからのクレア嬢は声色を落として話を続ける。
「私は"過去"に様々な文化を学び、文明を
クレア嬢はそしてこう続けた「やっぱりここまでが前置きだ」と。そのセリフに俺はもう、半分は呆れていた。
「お前はローラのことをどう思っている?」
ここで初めて、クレア嬢はローラのことを名前で呼んだ。
「それはどういう意図で?」
俺はクレア嬢のセリフの意外性からか、そんな即答をしてしまう。
「私はローラのことを光だと思っている」
またも突飛なことを言うクレア嬢だったが、ロマンチストな一面を見られた気がして、俺は少し嬉しくなってしまった。
「俺はローラのことを、太陽だと思っている」
その瞬間、クレア嬢はローラのように豪快に笑う。ローラのように威厳たっぷりに。
「吸血鬼が太陽と言うか!」から始まって「それじゃローラのことを最愛の人だと言っているようなものじゃないか」と言ってガハハという擬音が似つかわしいくらいに笑う、そんな姿はローラと瓜二つだった。
「そうだな、ローラの今までに出会ってこなかったタイプの雰囲気といい妙な貫禄といい、考えてみれば私がそうなのだからお前もそうでないと可笑しいよな」
笑いの
「私はローラの為なら、この長い命を投げ打っても良いと考えている。お前どうだ?」
クレア嬢はそう問いかけながら「お前は右利きだよな?」と畳み掛けて来た。疑問に答えを求めないスタンスは、仲が深まっても健在なようだった。
「…これから宜しくして欲しい」
俺は人と握手をする時の
なんと、実はここまでずっと立ち話だったのだ。なのでここに来て場所を移動することになった。
それは、座れればいい丈夫なら文句がない。そうとでも言いたげな簡素なパイプの椅子が数脚あるばかり、簡単な木のテーブルに透明なグラスに"透明な"水を2人分用意してくれた。
「ローラのことをどう思っているのか、という話だが」
ここで再びローラについて議論を成すようだ。
「もう少し具体的に討論してみないか?」
この
「私はな、実は虚影 元いローラ・ネアン・アンダーソンに過去を聞いたことがある」
お前もそうなのだろう? と、例外がないかのように当然の事実を確認するように俺に問うクレア嬢は、例に読んでいつものごとく直ぐに次の言葉を並べていこうとしていた。
「だからな……」
それを俺が
「ローラのファーストネームはネアンなのか?」
俺はここで再び焦りを見せてしまう。
「そうだ」
合点がいった、とばかりにクレア嬢はそこで頷く。俺はてっきり、クレア嬢はそこで小首を傾げるものだと思っていた。
「なぜだか分かるのか? つまり、なぜ隠し…」
次は、俺が話を遮られる番だった。
「そこまで簡略せずにも分かる。ローラがファーストネームを隠していた理由、じゃろ?」
だろ? ではなく、じゃろ? という言葉には少し驚いた俺だが、その年齢を感じさせる物言いに愛嬌を感じてしまっていた。
「私はローラ本人ではないので悪魔で仮説の域を出ないが、2つ挙げることができる」
そう言いながら、クレア嬢は利き手の左手人差し指を立てて『1』を作る。今回は手短な前置きだった。
「1つ目は、ローラは初対面の相手にはファーストネームを名乗らないようにしているという可能性」
続いて中指も立てながら続ける。
「ネアンというのは、先祖代々種族の
「ローラはそれが有り得る性格故に後者の可能性を私は推すがな」と続けて「私に、ローラの名前や出生について話せるのはこれまでだ」とクレア嬢は締めた。だが「もう1つ」と言いながら中指を畳むクレア嬢の様子から、まだ話は続くようだった。
「なにを
文句を言うように、クレア嬢は"やや"冷度のある口調で淡々と話を進める。
「私はそんなローラのことを愛おしく思っているのだ。この感情は母性と呼んでいいのかわからないがな」
そうやって、言い捨てるように儚げな雰囲気を放ちながらにんまりと笑うのだった。
「ローラはこれまでの人生で、どれだけ陰鬱とした時間を過ごしてきたのか、同じく経験してきた私は知っている。…もっと言ってしまえば、この村にはローラの経験してきた辛さを理解できない"存在"はいないだろう」
クレア嬢はそうやって言いながら、机の上のグラスを手に取る。
「ローラはその人生の中で得られなかった幸せを、幸せを失ってここに辿り着いた人々に与えているのだ。それがどれだけ心身を疲弊させるのか、これも分からない"人間"はいないだろう?」
そう言いながら、クレア嬢は水の入ったグラスを紙クズを折り曲げるように畳んでしまった。そこで
グラスを畳むことで包まれたクレア嬢の手はすぐに広げられ、筒状の"プラスチック"の容器が現れる。その物体の名前を俺は知っていた。察しのいい読者は気づいているだろう、それはペットボトルというものだ。
「今、私はこの村中全員の脳にペットボトルの概念を教えた」
そんなことを言いながら、クレア嬢はペットボトルに入っていた水を、二口三口で一気に飲み切る。
「これが私の力だ。錬金術と呼ぶそうだ」
クレア嬢はゲップ混じりのしゃがれた声でそう言うのだった。
そしてクレア嬢は「話を戻す」と言いながらペットボトルをクシャリと潰す。その音は初めて聞く音なのに、妙に安心感があった。俺はその音を知らないはずなに、ペットボトルという物体を初めて知ったはずなのに、ペットボトルという物体がその音を立てて潰れることを知っていたかのように、なんの驚きも感じなかった。
「私はローラの為に、命を捨てられる。そう言っただろ? 実は既に実際に人生を掛けているのだよ」
そう言いながら再び立てた人差し指で、上を向けとジェスチャーをする。
俺は訝しげに言われた通り上を向く。
「?」
そして俺は予定調和のように小首を傾げる。
「メートル法って知ってるか?」
上を向いている俺の顎の先から声が聞こえる。
「いつから『m』という単位を使っている?」
そんな風に、俺がメートル法とやらを知っていることが前提であるかのようにクレア嬢は話を続ける。
「メートル法…」
俺は呟きながら、顎を持って思案する。
いつから知っていた? 距離を表現する時に、いつから『m』という単位を使っていた? いつからだ?
「…確か、石壁の時には使っていた」
俺はそうして声を漏らす。
「この村に入った時からじゃないか?」
クレア嬢は答えに導くように、助け舟を出す。
「そうだ…」
おれが続きを話すことをクレア嬢の声が
「いつからレンガの作り方を知っている?」
レンガの作り方? クレア嬢の更なる突飛な問いかけに、俺は頭を殴られたような衝撃が走る。
「俺はレンガを作ったことがないし、教わったことも無い」
そうだ、そのハズだ。
「そういうことだ」
クレア嬢は俺の思考を読むように話し続ける。
「私はこの村の内側に存在する人間に、知識を与えることができる。そういう術だ」
まるでその概念が最初から存在していて、それを説明するように語り終えたクレア嬢は、締めとばかりに勢いよく述べるのだ。
「私が1番、ローラの夢を支えることができる!」
その声は、冷度のあるクレア嬢の声には似合わないほど、感情的で情熱的だった。
「結局はツンデレに納まるのか」
思わず感想が漏れた。
てっきり
「ツンデレってなんだ?」
クレア嬢は
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