第48話 新たな門出

 市立飯縄高校では、教師のほとんどが入れ替わった影響が、現れだしていた。

 4月に入学式が終わって1週間ほど経った辺りから、相場隼人、相場志保、相場美保の3人に対する誹謗中傷の投書が市立飯縄高校に届くようになった。出勤すると、職員室にある机にクレームの投書の山が連日出来るようになったのだ。『生徒を見殺しにした極悪人』、『自分達だけ生き残った卑怯者』、『生徒の命を悪魔に捧げた悪魔教徒』、『生徒を皆殺しにした殺人者』……など、3人が卒業式でのダンジョンによる捕獲から生還したことを逆恨みした者が執拗に行動していたのである。

 そこに同僚からの攻撃が上乗せされていた。職員室の多数派は、県立高校からの派遣組である新人教師や20代の若手教師で構成されていた。学年主任をやっている相場隼人はともかく、正規教師になったばかりの女性教師である相場志保、相場美保の2名に対しては、お局様と揶揄して排斥しようとする雰囲気が発生していた。席を外しているうちに、物が無くなったり、物が壊れたり、汚物などの不審物が置かれたりと、何処のいじめの風景かという状況が発生していたのである。通常、相場隼人は生物準備室に、相場志保は図書準備室に、相場美保は音楽準備室にある自席にいることが多いこともあって、生徒の成績などの個人情報を扱う場合や、朝や夕方に連絡事項を確認をする場合ぐらいしか職員室にはいないのに、この有様になっていた。相場隼人が状況を確認して調停しようとして動いていたが、管理職的立場なのに身内を依怙贔屓していると批判され、さらに立場を無くす結果になっていった。


 5月3日金曜日、憲法記念日に飯縄市の市役所の駐車場には、多数の人が集まってシュプレヒコールをしていた。祝日とあって、中には現役の教師も集会に参加していた。

「市は私たちの子供を返せ!」

「「子供を返せ!」」

「市は卒業式を強行した責任者を出せ!」

「「責任者を出せ!」」

「市は卒業式を強行した責任を取れ!」

「「責任を取れ!」」

「市は卒業式で行方不明になった生徒に対する補償をしろ!」

「「補償をしろ!」」

「市は卒業式で行方不明になった教師に対する補償をしろ!」

「「補償をしろ!」」

「在校生に対するダンジョンへの対策を強化しろ!」

「「強化しろ!」」

 ダンジョンによる捕獲が発生する危険性は既知だったのに大量の行方不明者を発生させたとして、どこかの団体に扇動されて全国で同時多発的に発生した責任追及キャンペーンの一部だった。SNSでの呼びかけで始まったため、主催者が不明瞭で、当然のことながら集会届などは出ていなかった。

 無届の集会として、警察による集会の解散を呼びかける勧告が出ると、群衆の興奮はかえって盛り上がっていった。しかし、マスコミによる取材が始まったところで、唐突に騒ぎは静まり返った。マスコミの目の前で、ダンジョンによる捕獲が発生し、集会に参加していた群衆と警察関係者、マスコミ関係者のすべてが消えて、誰もいなくなったからである。マスコミは無謀な集会を開催したことによる人災であるとして報道した。


 5月4日土曜日、午後のお茶の時間に神山家の離れである我が家で3人の中年女性が溜息をついていた。俺の母である相場志保と緑の母である相場美保、神山姉妹の母である神山静恵であった。3人の前には3つの妊娠検査薬が妊娠の印を発現させて置かれていた。

「はあ、どうしよう。」

「まさか、孫と同学年になる子供ができるとはねえ。」

「時期的にはダンジョンから帰ってきた頃かな。」

「そのぐらいかな。」

「娘が家から出て行ってしまって寂しかったのと、ダンジョンから戻って人恋しかったのとで、久しぶりに盛り上がってしまったからねえ。」

「美保の所もそうなの。私の所もよ。夫がずいぶん心配してくれたらしくて、直人を身籠ったあの頃に戻れた気がしたわ。」

「そんなあなたたちの惚気に当てられて、久しぶりに夫に慰めてもらったら、こうなった。」

「油断したわねえ。」

「はあ、どうしよう。」

「生徒達には、やるな、やるなら避妊しろと言っておきながら、自分達がこれではねえ。」

「30代も、もう終わりだから、産むならこれがラストチャンスではあるのよね。」

「悪いことに仕事を辞めたい自分がいる。職場の空気が悪いのよね。ダンジョンから生還したというだけで、犯罪者扱いだよ。」

「若い子たちからの嫌がらせも悪化してきているものね。」

「いっそのこと、産休と育児休業を取って、孫と自分の子を育てていた方が幸せかもね。」

「私たちの子に、孫たち6人……賑やかになるわね。」

「3人で協力するなら、6人も9人もあまり変わらないか。お金は余分にかかるけれど。」

「あの子たちに大学で神職の資格を取らせるなら、孫たちは私達で育てて、あの子たちは平日は大学の近くに下宿させて、週末に帰宅させることになるでしょうね。」

「妊娠中絶したら、孫の顔を見るたびに、あの子が生まれていたらこのぐらいかなんて見るのは辛いだろうしなあ。」

「はあ、どうしよう。」

「出産後にあの子たちが大学を卒業するまで交代でアルバイトをするなら、うちの進学塾で雇うわよ。安いけれどね。そうしてくれれば、飯縄こども園にもグループ内のコネで優先的に子供が入れるしね。」

「ところで、夫たちや子供達には相談したの?」

「まだ。」

「子供たちは、自分たちの子供を看てもらう立場だから特に何も言わないと思う。」

「でも、困惑はするでしょうね。自分たちの子供と同じ学年になる弟か妹ができるなんてね。」

「直人にあれだけ親としての責任を説いていたのだから、自分たちも責任を取ってもらいたいわねえ。」

「はあ、どうしよう。」


 俺は、何やら深刻そうに溜息をついている母達に、緑たちがこれと言って体に異常がないのに腰の具合がおかしいと言い出したので様子を見てくれるように頼んだ。緑たちに定期的に痛みがあることを確認した母達は、陣痛であると判断して、かかりつけの産婦人科病院に連絡を入れた。その一方で、俺には事前に用意してあった荷物を持って出かける準備をするように指示した。幸恵たちの祖父の彰人さんと父の悠人さんに車を用意してもらい、緑たちを病院に運んでもらった。

 5月5日日曜日大安吉日、俺が17歳になった日の午前中に順次6人の子供が生まれた。母子ともに健康で親族一同は安堵した。子供が泣くたびに魔力の揺らぎがあることが気になるが、魔力自体まだまだ分からないことが多いので気にしても無駄であると判断した。彰人さんの命名で、上から順に緑の子で正人(まさと)、義人(よしと)、幸恵の娘で雅恵(まさえ)、操恵(みさえ)、福恵の娘で智恵(ともえ)、百恵(ももえ)と名付けた。俺たちの家にある立派な神棚には、彰人さんの筆による6枚の命名書が飾られた。


 連休明けの5月7日火曜日には、母達が診察を受けて妊娠していることが医師によって確認された。その日のうちに、俺の母の志保と、緑の母の美保は、同僚からの排斥行動があることと、誹謗中傷の投書があって身の危険を感じていることを強調して、早急に産休に入ることを届け出た。

 この届出には、校長と教頭が慌てた。母達を排斥しようと行動していた教師たちが5月3日に市役所の駐車場で行われていた集会に参加していて、そのほとんどが行方不明になっていたためである。隼人叔父さんによると、市の教育委員会と県の教育委員会との間で派閥争いや勢力争いがあって、そこに外部の政治活動家が介入して大事になり、その余波が排斥運動や誹謗中傷の怪文書となっていたようだった。

 母達は、まともに働ける環境ではなく、まともに働ける状態でもないと、校長と教頭に訴えた。産休取得届と育児休業届の両方が拒否されると、隼人叔父さんが考え直すように説得したが、母達は消化されずに溜まっていた有給休暇の取得届と辞職届とをセットで提出してしまった。市の労働委員会にも、職場における不当な扱いがあったこと、産休取得届と育児休業届が拒否されたことを理由とする辞職届を速やかに受理するように訴えた。


 5月15日水曜日大安、退院した母子を待っていたのは、退院祝いとお七夜祝いを兼ねた宴会だった。食卓には、佳恵さんと静恵さんが用意してくれた赤飯や尾頭付きの鯛、昆布、紅白の麩などが並んでいた。その宴会の場で初めて、俺と、緑、幸恵、福恵の4人に、俺の母と緑の母が学校を退職して神社の事務を手伝うことと、俺たちの母達の3名が妊娠していることが伝えられた。お祝いしてくれますかと、赤くなってはにかむ母たちの姿が新鮮だった。素直に喜ぶ新しく母になったばかりの緑たち3人に対して、喜びと苦悩が混じった複雑な表情をしている父たちが対照的だった。俺は困惑するばかりであった。佳恵さんを含めた4人のベテランの母親が交代で泊ってサポートするので、俺達4人は、学生としての本分も頑張るように言われた。

 彰人さんと悠人さんに左右から挟まれて、しげしげと宣言された。

「直人、ここにいる親族の皆の期待の中心は、君であることは分かっているね。」

「直人にも多少は言いたいことはあるだろう。でも、君のいくつかの選択の結果、皆はここに集っている。」

「ここにいる親族皆は君の身内だ。直人は両手の届く範囲で最善を尽くせばいい。その両手の届く範囲に、これだけの人がいることだけは覚えておきなさい。」


 ……家族の期待が重い。

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