第45話 お花見
三月も下旬になると、休日のたびに親たちが赤ん坊のためのものを運び込んで来たので、家の様子も、徐々に赤ん坊がいる若夫婦の家という感じになってきた。ベビーベッドだけでも6個あるわけで、だんだん家が狭く感じるようになってきた。続きの八畳二間の畳部屋を含む5LDKの家なので結構広い家なのだが、住んでいる人数も多いから仕方ない。俺に緑、幸恵、福恵、小緑、小薄、萱で7人で、ここに3組の双子が追加になると13人にもなるわけで、適正人数の2倍近い人数になる。贅沢は言えないが、10年ぐらいしたら自分の部屋が欲しい子供に恨まれそうだ。夢空間に自分の部屋があると割り切ることにする。
神社側の助勤である巫女をやっていた人が結婚を理由に辞めて人数が減ったこともあって、最近は、出仕用の松葉色の袴を穿いて祭祀の準備や片付けをすることが増えてきた。境内の掃除をするだけなら作業服でもいいのだが、神殿内や地鎮祭などの出張先での作業となると、それなりの装束が要求されるからだ。幸恵と福恵は、教師の副業で神職をなんて言っていたが、家族経営的な飯縄神社でそんなことをしようとしたら、副業でできるのは塾の講師がせいぜいだろう。おそらく大学についても教職課程のことなんか詳しく調べていなかったのだろう。留年を覚悟しない限り厳しいことは学校案内を読んだだけでもわかることだ。独身であればそういった回り道もいいだろうが、子供を6人も抱える父親となっては、そうも言ってはいられまい。現実に即した方法と道を考えるべきだろう。
上ツ宮の周囲には梅の木が多いが、中ツ宮と本殿との間には桜の木が多い。小薄と萱は、稲荷神社の前が気に入ったようで、暇な時には、咲き始めた桜の花を見ながら、白狐の姿で日向ぼっこをしているのを見かけるようになった。本人たち曰く、何となく居心地がいいそうだ。そのためか、稲荷神社の掃除だけは何も言わなくてもやってくれる。もっとも、参拝に来た氏子さんが、油揚げや稲荷寿司をくれるのには小薄と萱は閉口していた。雑食とはいっても、夕飯に鶏の唐揚げを出せば取り合って喧嘩するほどに肉の方が好きなのである。それでも、親切心からくれるというものを拒否するほど子供ではなかった。
半日ほど時間ができたので、間食用に、おからと豆乳で作ったプレーンのクッキーやアーモンドクッキー、落花生クッキー、クルミクッキー、胡麻入りのおからクラッカー、小麦粉の代わりに蕎麦粉を使ったクッキーとか、作り置き用に作っていた。入手難のバターの代わりにオリーブオイルなどの植物油を使ったり、同じく入手難の牛乳の代わりに豆乳を使ったりして工夫している。出来立ての物をつまみ食いしていた緑と幸恵と福恵を睨んだら、3人揃って何か慌て始めた。
「直人、ごめん。」
「緑、俺は何か謝られることでもされたのか?」
「牛乳不足でミルクチョコレートが異常に高かったのもあるけれど、バレンタインデーに何もしなかったなと、今さらながら気が付いて……」
「俺は、作り置き用に作っているのに、適量以上に食べ尽くす勢いでつまみ食いしているから睨んだだけだぞ。」
「……そっちだったか。食べ始めたら止まらなくなっちゃって……」
「まあ、いいんだがな。食べて欲しい相手が食べているんだから。味の方は合格でいいんだな。」
「ごめんなさい。」
「あと、好み的にあまり食べないかもしれないが、小緑と小薄と萱の分は残しておいてやれよ。」
「……」
「作っておいて何だが、それ、炭水化物の塊だからな。片付けたら境内を散歩でもするか。」
「ご主人様、今の体型をあまり知り合いに見られたくなのだけれど……」
「月次祭や節句の行事が1月から何度あったと思っているんだ。氏子の皆さんも、近所の人も、俺が女の子を孕ませて責任を取らされているのは知っているから、手遅れだぞ。」
「お父さん達に頼んだのに、どうして、そこまで知れ渡っているのよ。」
「そりゃ、いつも境内を掃除していた可愛い跡取り娘の巫女さんがいなくなれば、どうしたのかって騒ぐ人も多いのさ。ダンジョンのこともあるし、跡取りがいなくなったら神社はどうなるのかって心配するのは当然だろう。」
「それでも……」
「宮司はやっぱり男の方がいいという古い考えの人も多くてな、縁切りして疎遠だった分家の跡取りである俺が代わりに掃除しているのを見て、祖父母の分まで責任を取って働けって人が多いぞ。」
「あの人たちは、勝手なんだから。」
「そう言うな。一番の原因は、問い合わせて来た氏子さんたちに、悠人さんと静恵さんが孫馬鹿を発病して、10年早いとは思うけれど、これで後継ぎも心配ないなんて惚気ていたのが原因だから仕方あるまい。」
「お父さん……」
「緑も他人事ではないぞ。」
「何があったの。」
「18歳の誕生日に緑と俺が法律婚するのを許す代わりに、それと同時に夫婦で神山家の養子になって神山姓を名乗れって言われている。せめて生まれてきた子供が物心つく前に親子で同じ姓になってくれってな。」
「それ、初めて聞いた。」
「やっぱり生活費や学費を神山の家で負担するというのが大きかったようで、うちの親と緑の親は了承済みで、俺が緑を説得しろって言われたからな。緑が法律婚に拘っていたから、そこまでは妥協してくれってことみたいだ。2カ月の間、俺のことや氏子さんたちの反応を見ていて、やっと合格が出たということかもしれない。後出しの追加条件で気に入らないが仕方ないかとも思う。」
「さすがに、静恵さんも強かね。私の条件さえ満たせば、直人は断らないと思ったのでしょうね。もう一度、佳恵さんと静恵さんに話をしておいた方がいいわね。」
「お姉様、ごめんなさいね。うちの両親も十分考え方が古かったようです。」
「お姉様と、姉さんが面倒なことを引き受けてくれるなら、子守でも何でもするからお願いします。」
「福ちゃん、あなたねえ、他人任せが過ぎると痛い目に遭うわよ。」
「さあ、暖かい格好をしておいで。寒さの方は、この時間なら暖かくなってきたから大丈夫だと思うけれど、多少は運動しておかないと、お産が大変になるよ。」
平日の昼過ぎの午後とあって、境内は閑散としていた。散歩を開始すると、小緑が陰から出てきて一緒に歩きだした。飯縄上池の方から巡って本殿に参拝してから、水路沿いに裏手に回ると稲荷神社までの参道が桜で彩られていた。あと1週間ほどで満開になるだろう。
「ご主人様とは、学校行事以外で一緒に歩いたことは無かったよね。」
「いや、幸恵とは2回だけあったはずだ。小学校の卒業式の前の2月と、中学校の卒業式の前の2月だったか。確か、用事があるから来いって言われてきたら、境内を散歩して、参拝した後、梅の花を見ただけで何も話さずに終わった。」
「それ、姉さんがご主人様に告白して新しい学校ではカップルとしてスタートしようとして、告白もできずに、お参りだけして終わったやつだ。」
「仕方ないじゃない。いつも福ちゃんが一緒だったし、二人だけになったら、頭に血が上ってしまって、何も話すことが出来なかったんだからさ。」
「へえ。初々しかったんだ。」
「そういう緑と出かけた時って、初詣に来て出店で奢らされたり、買い物に行って荷物持ちさせられた記憶しかないのだがな。」
「仕方ないじゃない。学校も違うし、たまにしか会えないから、好きな本とかテレビ番組のことぐらいしか共通の話題が無かったのだもの。話題が尽きると顔を赤くして面倒くさそうにしているから、引っ張りまわしただけよ。」
「学校で幸恵と福恵に使い走りにされていたから、苦手意識はあっても、女の子の我儘に付き合うのには抵抗が無かったのだけれど、自分から何かしようとすると言い出せなくて……」
「でも、何回か付き合ったら、私の方で主導権を持たないと、間が持たないと分かったからいろいろ付き合わせた。その方が私も楽だったからなおさらね。」
「もっとも、『格納(ハーレム)』のスキルで相思相愛であることを認識して、緑にプロポーズを強制されるまで、告白らしい告白はお互いにできなかったから、俺は幸恵のことは笑えない。」
「お姉様も結構不器用じゃない。」
「俺から言わせれば似た者同士だと思うぞ。行動タイプこそ違うが、やっていることは似ている。」
「ご主人様は、普段は付き合いが悪いのに困った時には力になってくれて、自分が主導権を以って甘えるには都合がよかったんだよ。姉さんが、鈍感な相手に、苦労して気を引き続けている様子は面白かった。でも、気が付いたら自分も好きになっていて慌てたけれどね。」
「もしダンジョンが現れず、ご主人様が『格納(ハーレム)』のスキルを得ていなかったら、どうなっていたかな。」
「緑、幸恵、福恵の三つ巴の争いに巻き込まれて、刺されている気がしてならない。」
「そうね。何かの拍子に直人に襲われて肉体関係になって……それをきっかけにでヤンデレ化して刺していたかもしれないわね。」
「やっぱり、緑には自覚があるんだ。」
「告白してくれないから、わざと挑発していたからね。幸恵と福恵が直人のストーカーをしていたのを知っているから危機感があったの。」
「幸恵と福恵が、そんなことしていたの知らないぞ。」
「ご主人様は、変なところで鈍感だから……でも、お姉様と私たちが揉めていたのはさすがに知っていたでしょう。」
「その揉めた結果が俺の所に全部来て、俺が使い走りにされていたわけだ。」
「現在の状態になったことには感謝しないとね。その分、直人には苦労を掛けるけれど、私たち3人ともあなたに後悔させる気はないからね。」
みんなで幸せになればいいという彼女たちに、面倒な俺を見守ってくれる彼女たちに、幸あれと祈らずにはいられなかった。
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