第43話 慣れてくれば話も弾む
飯縄ダンジョン第3層を2日かけて移動して、やっと遠方に第3層の脱出ゲートの近くにある巨木が見えてきた。明日には第3層の脱出ゲートの警備事務所にたどり着けるだろう。母さんと美保叔母さんには疲れが見えるものの、笑みもこぼれるようになった。母達は、俺の予備の服を着た小薄と萱を可愛がっていた。小薄と萱は夕食にもらった鶏の唐揚げと御飯が気に入ったようである。
隼人叔父さんには、ダンジョン内での植生を気にする余裕まで見えている。
「こうして改めてみると、この辺りの草原というのは、面白い植生をしている。」
「叔父さん、それはどういうことですか?」
「このぐらいの気候で湿潤な気候で草原なら、簡単に森になってしまうのだよ。」
「第4層のようなということですか?」
「そんな感じだ。」
「植生と言えば、セイタカアワダチソウやススキやクズの類による侵略が進んでいると聞きました。」
「あれらは侵略的外来種として有名だからね。」
「植生遷移的には、葦の原が乾燥して、ススキなどの草原になっていき、低木が目立つようになった後、アカマツやシラカンバなどの陽樹に変わっていき、最期にブナやカシなどの陰樹に変わっていく。日本の場合、草原として維持されている場所は、草刈りしたり、年に一度焼き払ったりすることで低木を意図的に排除していることが多い。」
「ここも、環境が変わっていく可能性があるということですか?」
「何かが維持管理しなければ、植生遷移は起きていくものだ。」
「そもそもダンジョンが作り出した環境ですから、ダンジョンが維持しているのかな。」
「ダンジョン自体が生物であるという説もよく聞く。人間が捕食される側になったという意味ではあまり歓迎したくないがね。ダンジョン内部にテラリウムとして人間を含めた一定の環境を作ろうとしているのは確かだろう。観察して研究してみるのも面白そうだ。」
「この突然発生したダンジョンというのは、何なのでしょうね。」
ダンジョンが何であろうが、確実に地球上に住む人間を含む大型哺乳類の数を減らしているのは確かだ。種類によっては、もはやダンジョンの中でしか見られない動物もいるようだ。カルト教団の中には、ダンジョンをノアの箱舟だと言い出してダンジョンへの移住を推進している終末論的教団もあるようだ。
食事が終わったら、小緑が小薄と萱を連れてきた。
「ご主人様、余剰分のオーブです。」
「今日も頑張ったね。お疲れさま。預かっておくね。」
「ご主人様、褒めて、褒めて。」
小緑も子供っぽいところがあるが、小薄と萱はさらに幼い感じがする。
「小薄と萱はどういう付き合いなの?」
「ゲートの周辺半径20kmぐらいが僕の縄張りだったのですが、ある時、黒犬の大移動があって逃げてきたのが萱だったのです。」
「ごめんなさい。時期的にその黒犬って、たぶん私と眷属の子だと思う。一時期、第3層の縄張りで餌を狩りつくしてしまって第4層に遠征したことがある。」
「やっぱり、小緑姉様だったのね。こっちは一人なのに大勢の集団で怖かった。でも、そのおかげで、小薄と出会えて夫婦になったのです。」
「急激に生物の増減があると、ダンジョンが補充してくれるのですけれど、いつ補充されるのかは、ダンジョンの気まぐれなので、行動範囲が広い種は結構移動していたのです。」
「種族的に犬と狐で仲が悪いのか?」
「縄張り争い的なもので、群れの規模が大きい犬を、単独行動か、せいぜい家族しかいない狐の方が苦手にしているだけです。同じ体格でも狐の方が細身であることが多く、狐は犬に狩られることが多いです。」
萱が小薄の後ろに隠れて、小緑をじっとりと半眼で睨んでいる。
「そういえば、昔話の『狐女房』でも、狐が犬の群れに吠えられて、住処を追われていたなあ。」
「小薄と萱は、ご主人様の下で、もう私の家族なのだから、そんなに警戒しないでよ。私、身内は大切にするよ。仲良くしてよ。寂しいじゃない。」
「僕らは、親から独立するのも早いし、夫婦以外ではあまり群れないからね。身内でもあまりべたべたしない。」
「意地悪しないで。」
「身内と言えば、他の黒犬を見かけないなあ。」
「たぶん、私の次にボスになった子が、私の存在を感知して逃げちゃったのかな。追いたてられた大鼠や毛玉がこっちに来て、得した気分。」
「ダンジョンの中でも、いろいろあるのだなあ。」
「生存競争もあれば、縄張り争いもありますからね。」
翌日の昼過ぎに、俺たちはゲートの近くにまで来ていた。身元証明が面倒であるため、小緑と小薄と萱には俺の陰に入ってもらった。ゲートの近くにある巨木には、前回来た時には無かった巨大な注連縄が巻かれていた。第3層の警備事務所は、8月に見た状態からあまり変わっていないようだった。中に入ると、8月に俺と緑を叱責した職員がいたので、声をかけた。
「8月にお世話になった相場直人です。市のダンジョン対策課課長の相場尚人の息子です。」
「ああ、思い出した。今日は、こんなところまでどうしたのかい。」
「実はですね。3月2日に市立飯縄高校で卒業式が行われたのですが、その会場でダンジョンに捕獲されまして、第4層に落ちました。今、ここに、やっとたどり着いたのです。」
「第4層?よく生きていたな。詳しく事情を説明してくれるかい。」
「同行者は3名です。市立飯縄高校の教師で私の母の相場志保。前回俺と一緒だった相場緑の両親で市立飯縄高校の教師をしている相場隼人と相場美保になります。3月3日に第4層で移動中に12名の遺体を確認して遺品として生徒手帳を回収してきています。」
「分かった。本部に速報するとともに、前回同様に調書を取らせてもらうよ。定期連絡便で帰れるように手配はしておこう。それにしても生還する男というか何か持っているのかねえ。」
「『格納(アイテム)』でキャンプ用品と非常用食料と、戦闘用の装備を持っていただけですよ。武器といっても『刀樹の木刀』ですけれどね。」
俺は、第4層で遭遇したモンスターの種類と数から始まって、第4層へのゲートの情報、ここまでに第3層で遭遇したモンスターの種類と数まで、質問されるがままに答えていった。
情報提供に対する見返りとして、市立飯縄高校で起きた今回の行方不明者の状況が分かってきた。3年生と俺とで生徒が281名、教職員と来賓で30名、合計で311名が行方不明になっていた。第1層と第2層ではドローンによる捜索が行われたものの行方不明者は発見されておらず、第3層ではリソース不足で十分な捜索が出来なかった。しかし、行方不明事件発生後72時間を以って、捜索が打ち切られたのだという。そもそも第3層では全域を未だに探索しきれていない上に広すぎるのだから、仕方あるまい。生還者は、俺たち4人だけであるようだ。母達は、行方不明者のリストを見て、改めて涙を流した。
日本国内では、国公立の受験会場や各種の卒業式で、ダンジョンによる集団行方不明が同時多発的に発生しており、ダンジョン対策が甘かったのではないかという批判が盛り上がっているようだ。110万人以上いた18歳の人口がこの1年で半分以下になったというから、影響の大きさが分かる。高校の教師の数も半分以下になっており、来年度は人材不足でリモート授業を前提に複数の学校で教師を共有することを余儀なくされている。市立飯縄高校の場合、生き残った教師が母達の3名しかいないので、県の方に臨時に教員の派遣やリモート授業による授業の共有を打診しているようである。このままでは、学校は部活をするためのクラブ組織になって、リモート授業がメインになってしまいかねない。
その日は、第3層の警備事務所の休憩室で仮眠をとらせてもらった。翌朝の定期連絡便で第2層の脱出ゲートに行った。夕方の定期連絡便で、第1層の脱出ゲートに行った。
第1層の警備事務所まで父が迎えに来ていた。父の顔を見た母が父に抱き付いた。母を父の所に連れ帰れて良かったと思った。
「父さん、母さんを無事に連れ帰ることが出来ました。」
「直人、ありがとう。では、全員で神山の家に行こうか。緑ちゃんも心配しているだろうからな。」
「そうですね。」
今は、ただ、緑を安心させてあげたい。
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