第42話 木々の間で踊る影

 土地鑑がある小緑に本来の大きさの黒犬に戻ってもらって斥候役を頼んだ。

 本当は川の水面が見える場所を移動したいのだが、日当たりがいいところは蔓のある植物に覆われていて移動には難があった。泉から流れ出ている幅2-3mの細い川であるので、移動に都合がいい広い石の河原が広がっているなんてことはなかったのである。山を行くなら川伝いではなく尾根伝いと言われるのが、よくわかる状況だ。もっとも緩やかな高低差があるだけで、尾根なんか見当たらない。移動の目印になるものが川ぐらいしかないので、仕方ないのだ。広範囲に森が広がっているようだ。比較的移動しやすい場所を選んで進む小緑を後を、邪魔な蔓草を切り分けながら移動した。移動距離が短いわりに体力が消耗した。


 ザワッと木々が揺れた。立ち止まると辺りには静けさが漂った。数歩進むと、また、ザワッザワッと木々が揺れた。何かがいる気配はするが姿が見えない。辺りを警戒していると、バリバリッと枝が折れる音がする。

 小緑が立ち止まったので、周囲を警戒した。

 比較的明るい森の木々の上に、何かがいた。前方30mぐらいの所を木々の上を伝いながら、何かの集団が移動していた。黒い猿だった。子供なのかバスケットボールほどの小型のものと、身長が1m近くありそうな中型のものと、1匹だけ身長が2m近い大型のものがいた。小型のものと中型のものは、いったいどれだけいるのか数が多い。

 通過しているのを待っていたら、後ろでドンという鈍い音がした。隼人叔父さんが盾代わりに持っていた鉄板に中型の黒猿が、上から襲ってきて激突した音だった。鉄串で応戦して怪我をさせたのが悪かったらしく、仲間の中型の黒猿が騒ぎ始めて、一気に煩くなった。木々の間をガサガサと揺らしながら高速で移動して威嚇して来た。立木が邪魔で切り払うことが困難なので、接近して来た敵には、『刀樹の木刀』による突きで対応していく。黒猿は突かれて負傷すると、一目散に木に登って後方に下がるのだが、しばらくすると、上から襲ってくるのできりがない。魔法で重力場をいじって地面に激突させると、地面で動かなくなるものが、出てきた。突かれるだけなら回復魔法で復活してくるが、地面に激突して転落すれば、さすがに死ぬようである。小緑に母たちを守るように魔法で牽制するように指示した。

 中型の黒猿の数が減ってくると、大型の黒猿がバキバキと枝を折りながら近づいてきた。木から木へ移動するタイミングで重力場をいじって地面に激突させてやったが、多少ふらついただけで、地面を突撃してきた。回り込んで母たちの方に行こうとしたので、立木をよけながら『刀樹の木刀』で袈裟切りにしてやった。負傷しても木に登って上に逃げようとする大型の黒猿を、魔法で地面に激突させる。地面に落ちて動きが鈍ったところに、突きを放って離脱する。大型の黒猿が、咆哮をあげて、威嚇してくる。腕を痛めたようでもう木に登ろうとはしなくなった。俺は、突きを放って離脱するのを繰り返していった。動きが鈍くなってきたところに、『刀樹の木刀』で頭を強打してやると、動かなくなった。念のため首を落としておく。大型の黒猿を斃したことで、残りの黒猿は去っていった。

 母たちは、肩で息をしていたが、大きな怪我はしていないか既に回復魔法で治療されていたようである。念のため回復魔法をかけていった。

「あれだけ数が多いときつい。」

「直人、できるだけ戦闘を回避してくれ。牽制しているだけでもきつい。」

「それは、相手次第ですね。見過ごして去ってくれるならそれが一番いい。」

 スポーツ飲料を少量づつ配って、喉を潤してから、再出発した。


 黒猿の襲撃があってからしばらく進むと、市立飯縄高校の制服を着た数人の男性の遺体を見つけた。そのうちの一人は、塚田洋二先輩だった。母さんと美保叔母さんは、声を出さずに抱き合って悲しんでいた。

「隼人叔父さん、申し訳ありませんが、生徒手帳とか身元が分かる物があるかどうか確認して、回収していただけませんか。早く遺品を回収しないと、亡くなってから24時間で遺体とともにダンジョンに吸収されて消えてしまいます。以前に木村たちの遺体が目の前で消えてしまったので、触れるのが怖いのです。」

「わかった。」

「ここは地獄です。モンスターの撃退に失敗すれば、すぐそこに死が待っているのです。」

「ダンジョンなんて現れなければ良かったのに……」

「塚田先輩……大学でも、仲間と一緒に映画を作るんだって言っていたのになあ。」

 しかし、悲しんでもいられなかった。黒い猪が現れたからである。

 黒い猪は、俺を迂回して、後ろにいる母達に襲い掛かろうとしていた。俺は黒い猪に合わせて移動して母たちを庇った。位置取りの攻防をしているうちに、黒い猪の方が焦れて、俺の方に突撃してきた。『盾樹のラウンドバックラー』で衝撃を受け流したところで、『刀樹の木刀』を撃ち込んでやった。黒い猪は一旦俺達から離れると、方向転換して再び突撃してきた。受け流しては、撃ち込むのを何回も繰り返して、やっと斃すことが出来た。

「悲しんでいる暇すらない……」


 その後も、黒猿の群れに2回襲撃され、黒い猪からの襲撃も1回あった。森が切れた先には大きな池が広がっていた。対岸に巨木が見え、その根元に特徴的な古墳のような塚と鳥居が見えた。夕方近い時間になっていたが、何とか今日の目標を達成できそうだ。母たちの間にも安堵した様子がうかがえる。


 先行して鳥居に近づいた小緑が、同じぐらいの大きさの黒い犬のようなものに襲われた。よく見ると尻尾が太く長くて、靴下を履いたように四肢の先が白かった。黒い狐のようである。俺は、黒い狐が小緑に気を取られて威嚇し合っている隙に回り込んで、黒い狐の尻尾を掴んで腹を蹴り飛ばしてやった。甲高い悲鳴のような鳴き声を上げた後に地面に這いつくばって、飛びかかる機を伺っている。『刀樹の木刀』を撃ち込んでやろうとしたら、何かに背後から圧し掛かられた。小緑がそれに襲い掛かって、俺から引き離した。黒い狐は2匹いた。最初に蹴り飛ばした方を先に斃そうと攻撃するのだが、それをもう1匹が邪魔をしようと攻撃してくる。2匹目は小緑の存在を完全に無視していた。そこを小緑に横から排除された。跳躍力が小緑よりも高いようで、距離が開いていても安心できなかった。跳躍してきたら、『盾樹のラウンドバックラー』で受け流して着地して伏せたところを『刀樹の木刀』を撃ち込んでやった。ただ攻撃パターンが単純であることが分かってきたので、徐々に優勢になっていた。1匹目が弱ってくると1匹目を庇うように2匹目の攻撃が捨て身の攻撃になってきた。最期は2匹は寄り添うように死んだ。最初の1匹目が雌で、後から来た2匹目が雄だったようだ。それぞれ大きなオーブを残して消えていく死体を見て、夫婦か何かだったら可哀そうなことをしたと思ってしまった。そもそも襲ってこなければこんなことにはならなかったのだが……。

 二つのオーブを手に取ると、二つのオーブが同時に光り出して、疲労が消え、体の内から力が湧いてくるのを感じた。どこかで似たようなことがあったなあと思っていると、左右から何かに圧し掛かられた。慌てて、後ろに下がると、目の前に小緑と同じぐらいの大きさの真っ白な狐が2匹座っていた。四肢の先が靴を履いたように黒く、ふさふさとした太い尻尾の先も黒かった。近づくと腹を見せて伏せてしまった。何なのかとじっと見ていたら、体が光り出して、次の瞬間に緑そっくりの黒髪の女の子が出現して裸できょとんとしていた。その隣に黒髪の男の子が出現して女の子を抱きしめていた。女の子の方は中学生時代の緑にそっくりで、男の子の方は中学生時代の俺にそっくりだった。首に黒いチョーカーをしているのは小緑と同じだった。

「君たちは誰?」

「僕は小薄(こはく)です。この子が妻の萱(かや)です。僕たちは、ご主人様の使い魔になった狐です。ご主人様、言うことを聞きますので、もう萱をいじめないでください。」

 こいつら、卑怯だ。これでは、こちらが悪役にしか見えないではないか。

「安心しろ。使い魔になったからには、二人はこれからもずっと一緒だ。小緑、お前と同じ扱いでいいのか?」

「どうやら、夫婦一組で単純に使い魔になっただけみたいですね。さすがに既に番がいる夫婦をどうにかしてしまうほど『格納(ハーレム)』のスキルは無粋ではなかったようですね。」

「どういうことだ。」

「私は、幸恵や福恵と同じく側室枠の使い魔ですけれど、この子たちは違うということです。私が種族の枠を超えてご主人様に恋した結果と思ってください。この子たちは、『格納(ハーレム)』のスキルによる恩恵がない分だけ、より奴隷に近い立場で束縛が強くて逆らえないので扱いには気を付けてあげてください。だからこそこんなに怖がっているのです。」

「お前の方が先輩だから、仲良くしてやれ。」

「わかりました。」

 俺は小薄と萱に『格納(アイテム)』のスキルオーブを渡した。

「これから仲良くしようということで、これをあげる。」

「ありがとう。ご主人様。これ、欲しかったの。」

 それを聞いて安心したのか、小薄と萱は、白狐の姿に戻った。

 一連の流れを遠巻きに見ていた母が声をかけてきた。

「その子たちは、何だったの?」

「小緑の本性が黒犬の使い魔であるように、白狐の夫婦が新しく使い魔になったのです。小緑がどちらかというと内縁の妻のような立場に対して、この子たちは、子供のような立場です。」

「あなたも家族が増えて大変ね。」

「まあ、神山の家ではこの子たちを大事にしてくれるでしょう。飯縄神社の境内社に飯縄稲荷神社がありますし、俺が世話をしている白い狐を邪険にすることはないでしょう。」


 付近にモンスターの気配がないことを確認してからゲートに近づいて、脱出ゲートがある石室に入っていった。

 第3層に転送されてから、石室の外を伺うと、近くを6匹のリビングメイルが徘徊しており、100匹以上の大鼠の群れがいた。少し離れたところには、毛玉の群れが移動しているのも見える。

「ねえ、ご主人様、あれって全部狩っていいの?」

「萱、食い意地が悪い。ご主人様、ごめんなさい。」

 小薄は、これまでも萱に振り回されて苦労してきたようだ。

「だって、せっかく『格納(アイテム)』のスキルをもらったのだもの、全部狩って取っておけばいいじゃない。」

「自分が狩った分の魔石は自分のものにしていい。スキルオーブの余剰分は俺に寄こしてくれ。」

「わかった。」

「小緑、せっかくの群れだ。無駄にしないようにな。リビングメイルは、俺の方で引き付ける。」

「分かりました。」

「さあ、行け。」

 母達にはゲートに戻ってもらって、第3層のゲートの外を小緑と小薄と萱と俺で殲滅することにした。黒猿や黒い猪に比べれば、斃し慣れた相手である。分散していたので一気に殲滅できず1時間ほどかかってしまったが、日没までには殲滅することが出来た。これで今晩はここでキャンプができるだろう。


 リビングメイルが残した具足樹の群生以外にも、ゲートの近くには盾樹や刀樹が生えていた。俺は自分が身に着けている装備を見せながら、母達に装備を身に着けてもらった。スキルオーブについても、『生命力操作』や『魔力操作』など回復魔法を構成するのに必要なスキルのスキルオーブを確保できたのでスキルを取得してもらった。回復魔法の簡単な使い方を講義して母達に使えるようになってもらった。これで明日以降は、今日よりは楽に対処できるようになるはずだ。

 今夜のキャンプ地の準備と、夕食の準備が終わった後、夕食前の話題は自然と亡くなった生徒たちの話になった。犠牲者の冥福を祈って黙祷してから夕食が始まった。

「俺は、ここまで頑張ってきた生徒たちのことを思うと、無念でならない。」

 隼人叔父さんが拳が白くなるほど握りこんだ。

「結局回収できた生徒手帳は12冊。他の先生方や生徒さんたちも絶望なのでしょうね。」

「母さん、ゲートをくぐってきた後の状況を見たでしょう。生き残って、俺達より先にゲートを通過していたとしても、あれでは難しいでしょう。」

「さっき身に着けた装備と、スキルがあれば、何とか出来る可能性はあるのでしょう?」

「緑でも対処できるようになりましたから、俺だけが特別というわけではないでしょう。必要なのは、装備と、スキルと、探求心です。」

「直人、探求心と簡単に言うが、これは難しいよ。魔法も使い熟せれば便利なのだろうが、スキル自体はエントロピーの操作であったり、力場の操作であったりで、仕組みをイメージできなければ、実戦で使うのは無理だろうね。ゲームのようにファイアボールと唱えればいいとかいうのではないからね。」

「でも、『生命力操作』や『魔力操作』、『身体防御』、『身体強化』なんかは生存率に直結するので、鍛えた方がいいですよ。生還した後も使えれば便利な魔法です。」

「『格納(アイテム)』……これも便利ね。地上に戻ったら、緊急時の備品を入れておきましょう。」

「装備は揃えられたし、小薄と萱の戦力が増えた分、危険度はだいぶ下がるだろう。」


 こうして、2日目の夜は暮れていった。

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