第41話 災いは忘れた頃にやってくる
2月も半ばを過ぎると、各地で入学試験が行われた。ダンジョンによる捕獲事件や襲撃事件が話題にならなくなっていた。受験会場で多少人の密度が高くなっても問題が起きなかったので、徐々に警戒が緩んでいたのではないかと思う。
3月2日土曜日仏滅、国公立の大学入試日程の合間を縫うようにして、市立飯縄高校の卒業式が執り行われた。状況を鑑み、1-2年生の出席は俺のみで、3年生と教職員のみの卒業式になった。生徒副会長である俺は、生徒会長である緑の代理で在校生送辞を読み上げた後、教職員席の後ろの方に座っている母と叔父夫婦の席の後ろにある自分の席に戻った。先代の生徒会長である塚田洋二先輩が卒業生答辞を読み上げた。答辞の中でダンジョンに巻き込まれて卒業式の場に立てなかった友人たちの名前を読み上げて追悼するとともに、ダンジョンがある激動の世の中を力強く生きていくことを宣言して締めくくられていた。
塚田先輩が演壇から降りようとした時に、グラッと嫌な揺れを感じ、その後に足場が消える感覚があった。いくつかの悲鳴が聞こえたような気がして、視界が暗くなった。
どれだけ時間が経ったのか、誰かに揺り起こされた。緑かと思ったら、小緑であるようだ。
「ご主人様、ご主人様、起きてください。」
「ここは?」
「飯縄ダンジョン第4層です。」
「おい、おまえは緑に付き添っていたはずだろうが。」
「お姉様が、嫌な予感がするので今日だけは、ご主人様の陰に隠れて行けって言われたのです。」
「ちょっと待て……緑、幸恵、福恵……全員、自宅で無事にいるようだな。OK。」
周囲を見渡すと、森の中にある大きな泉の横に広がっているちょっとした草原といった場所だった。市立飯縄高校の制服を着た男性が一人と女性が二人見える。
「あの人たちは?」
「志保様と、美保様と、隼人様です。周囲で失神していましたので、集めておきました。回復魔法をかけておきましたので間もなく目を覚ますでしょう。」
「第4層であるのは確かなのか?」
「一度来たことがあります。森の中で集団で襲ってくる黒猿が厄介なので注意してください。森を避けて、この泉から流れ出ている川沿いに10kmぐらいでゲートの近くにある御神木の横の池にたどり着くはずです。直線では5kmぐらいですが、森を横断することになるので止めておいた方がいいでしょう。」
「森の中を彷徨う必要が無いのは幸運だな。」
「水を飲みに川に出てきた黒猿の群れに遭遇しなければそうでしょう。」
「そんなに危険な相手なのか?」
「群れで行動する上に、木の枝を伝って三次元的に移動するので、頭上を制圧されると不利なのです。」
「わかった。無事に脱出することを優先しよう。」
俺は母たちを起こした。
「母さん、起きてくれ。美保叔母さんも、隼人叔父さんも、起きてくれ。」
3人とものそのそと起き上がると、周囲を見渡した。
「直人、直人だよね。ここは何処なの。」
「小緑によると、飯縄ダンジョン第4層で、脱出ゲートまでここから川沿いに10kmぐらいの場所です。脱出ゲートに近いという意味では運が良かったですが、群れで襲ってくる黒猿という危険なモンスターに遭遇する可能性がある場所であるようです。」
「ここは安全なの?」
「小緑がモンスター除けの結界を張ってくれたようなので、しばらくは安全です。」
「他の人がどうなったか分かるかね。」
「叔父さん、難しいでしょう。これまでの傾向から推定すれば、体育館にいた全員、もしくは校内にいた全員が飯縄ダンジョン第4層に送り込まれ、現在、死線を彷徨っている可能性が高いです。」
「直人は、意外と落ち着いているのだな。」
「それなりに戦闘能力がありますので、黒猿の群れを避ければ、俺と小緑だけなら、おそらく生還できる可能性が高いからでしょう。伊達に何回もダンジョンに落ちていません。」
「直人君だけならか……」
「他の人というなら、第3層より上の開けた草原ならともかく、森の中なので視界は利きにくいですし、動物やモンスターの気配が多すぎてわからないです。小緑がいなかったら、自分の位置も分からなかったでしょう。両手の届く範囲でベストを尽くすしかないのです。たまたま両手の届く範囲に母と叔父さんたちがいて、手を差し伸べたというのが現状です。」
「直人君の見込みはどうなんだ。」
「現状で、4人の人間が1週間ほどキャンプできる資材はあります。4人分なのは、もともとが俺と緑の2人の2週間分で想定して用意していたからです。プラン的にも他の人を救えるとは考えないでください。」
「4人で脱出するのにどれだけかかると見込んでいる。」
「現在、飯縄ダンジョン第3層までが既知の到達範囲で、第3層から第4層へのゲートの位置は、俺がだいたいの方向と距離を把握している程度で世の中には知られていません。完全な未踏破地域なのです。小緑が、俺と関わる前にこの辺りに来たことがあるというだけです。第3層に抜けるまでに2日、警備施設がある第3層の脱出ゲートにたどり着くまでに3-4日。物資的にもギリギリです。」
「結構かかるのだな。」
「徒歩ですし、途中で戦闘があるからです。ちなみに、俺のスキルの効果で、現時点で緑は俺が母と叔父さんたちと合流していることを知っています。だから、俺だけで脱出した場合、緑に顔向けできないので、自分たちを見殺しにしろなんて言わないでください。」
「……」
「現在は、多くの人間がダンジョンに落ちた影響で、モンスターが興奮状態になっていて危険な状態です。奇しくも野営可能な場所なので、今夜はここで野営して、明日の未明に出発して一気に第3層を目指します。」
「では、何から始める?」
「テントを張って、飯にしましょう。叔父さんが母と美保さんを庇うのに使えそうな何かがあればいいのですけれど。例えば、バーベキューセットの鉄板を盾に、鉄串を刺突剣代わりとか使えそうな気がしませんか?」
「小緑、大変申し訳ないが、この周辺を警備するついでに、自分の分の食い扶持を確保してきてくれ。」
「今まで魔石を全部もらっているので、そこまでする必要はないですよ。でも、帰ったら何かご馳走してくださいね。」
小緑は、黒犬の姿になって周囲にある藪の中に入っていった。隼人叔父さんに手伝ってもらってテントを設営が終わった頃に小緑が戻ってきた。魔力の放射が何度かあったところを見ると、マーキングするついでに小物を狩って来たということらしい。人化すると、美保叔母さんの横に腰かけた。
周囲を忙しなく警戒していた母が俺の所にやってきた。
「直人、食事の準備は私がしましょう。何もしていないと怖いの。」
「食事の準備といっても、防災用保存食セットのレトルトを温めるぐらいしかないですよ。」
「それでいいから。」
「カセットコンロと、鍋と、水のペットボトルと、開封済みのセットを先に消費したいので、『おでん』のレトルト2人分と、『肉じゃが』のレトルト2人分と、缶入りのパンですね。2人分なのは緑と消費したセットの残りだからです。アルファ米のご飯もあるけれど。」
「缶入りのパンは残しておいた方がいい。これから火が使えない状況もありえるでしょう?」
「後、配膳用の丼と、洗浄用の雑用水のポリタンク。」
「準備がいいのは、直人らしいわねえ。」
「去年、最初にダンジョンに落ちた時にコンビニからの帰りで、飲料と食料を持っていたことで、精神的に楽だったのが教訓になっているのです。その後、緑と一緒にダンジョンに落ちた時も持っていて良かったというのがあります。」
「緑が、直人君にべったりな理由が分かるわねえ。」
「ちょっと残念なのが、肉類や乳製品が入手難なので、ここで使ってしまうと再入手が難しい料理がセットの中に混じっていることでしょうか。」
「それでも、小遣いをあげるので、戻ったらすぐに補充しておきなさいね。」
「必要になる日が来なければ良かったのですけれど。」
日没後に先に隼人叔父さんに不寝番をしてもらって後で起こしてもらって交代することにする。小緑がいるから大丈夫だろう。明日は強行軍になるので、母たちには十分休んでもらうことにした。深夜を過ぎたあたりで小緑に起こされた。隼人叔父さんと不寝番を交代して、小緑にも眷属を召喚して警戒してもらいながら休んでもらった。
毛布に身を包みながらLEDランタンの光を見つめる。時折、風が吹くと木々が揺れて枝が擦れる音がする。遠くから猿の遠吠えらしきものが聞こえてきた。
在庫のスキルオーブを確認して、母達に使ってもらう分を選別した。母たちの体力が疑問だが、スキルオーブによる『身体強化』などのスキルで多少でもましになることを期待したい。盾樹や具足樹などの装備になるものが見つかるまでは、やはり、バーベキューセットの鉄板と鉄串でなんとかしてもらうことになりそうだ。
一緒にいるのが、より危険度が高くなるであろう妊婦である緑たちではなく、母達であったことには不幸中の幸いと感謝しよう。
携帯のアラームで5時になったのに気が付いて、母たちを起こした。隼人叔父さんとともにテントを片付ける一方で、母達に朝食の準備を頼んだ。食事をしながら、今日の方針を改めて説明した。スキルオーブを配布して、スキルの使い方も説明しておいた。
こうして帰還に向けたサバイバルが始まった。
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