第38話 新たな日常へ

 テレビやSNSでのダンジョンの話題は減少傾向にある。未だに大規模イベントができなかったり、公共交通機関の定員制限などもあったりする。主要な都市圏に集中していた人口がごっそり消えた影響が、世界経済の縮小を引き起こしていた。ダンジョンの浅い層における開発という明るい話題はあるものの、ダンジョンごとに分断されている場所の開発なので波及効果が出てくるのに時間がかかっている。過激な自然保護団体やカルト教団による迷惑行為が深刻化しているものの、その日の生活をどうするかという身近な問題の方が深刻になってきたのだ。ダンジョンという存在が日常化してきた証拠なのだろう。

 特に大きいのが食料問題だ。肉や乳製品……牛肉や豚肉、牛乳やバターやマーガリン……食料量販店ではほとんど買えなくなった食品である。もちろん関連したレトルト食品や加工食品、総菜の類も売っていない。パンや洋菓子の類も特殊なものを除いて売っていない。鶏肉と卵は買えるが価格は去年の4倍以上になっている。魚介類の価格も、需要増加に加えて中国や韓国による違法操業が活発化した影響を受けて遠洋物は6倍以上に跳ね上がっている。救いなのは、野菜類の供給がダンジョン産野菜が順調に増えてきているので豊富なことぐらいだ。


 土曜日の夕食に、アスパラとシメジとニンジンの豆乳によるホワイトシチューに焼き鮭をトッピングした鮭のホワイトシチューを作ったのだが、乳製品によるコクがないからどうしても一味足りない。鮭が煮込みではなく焼き鮭のトッピングなのは、高価な鮭を平等に分配するためである。緑に相談したら、在庫が少なくなったコーヒー用の粉ミルクを入れるか、同じく在庫が少なくなったコンソメスープの素を入れるか、だしの素で和風に振るか、ダメで元々の変化球で油揚げを刻んで入れるかなどと提案された。何か負けたような気がするが、だしの素を投入して、豆乳鍋にしてしまった。

「幸恵と福恵が調理しているのを見たことがないが、どうなっている?」

「あなたが帰ってくるときには、最後の仕上げをしているから私が全部やっているように見えるだけで、材料の下拵えなんかは3人で分担しているから心配しないで。」

「それならいいが、幸恵と福恵が思っていた以上にお嬢様育ちなので、心配になっただけだ。」

「実際お嬢様だよ。神山家の資本が入っている会社や宗教法人は多いからね。日蓮宗の法華寺とプロテスタントの飯縄教会は神山家の分家がやっている宗教法人だそうだよ。飯縄ブライダル、飯縄葬祭、飯縄進学塾、飯縄不動産なんかは神山家の経営で、飯縄貸衣装、飯縄写真館、飯縄霊園、飯縄温泉、飯縄観光、飯縄宝飾、仕出し弁当の飯縄食品、飯縄こども園、飯縄建設、飯縄ファーム、特別養護老人ホームの飯縄の杜や飯縄の里なんかも分家の経営で神山家の資本が入っているそうだよ。文字通り揺り籠から墓場までをグループで賄える。」

「俺にとってはいじめっ子のイメージが強いけれど、地味に財閥令嬢なのか。」

「佳恵さんと静恵さんがほとんどの家事をしていて、手伝いより学校の勉強をしろという方針だったみたいね。」

「その割に成績は……」

「上の下ぐらいだから目立たないだけで、いい方だからね。私とあなたがトップクラスだからって自分を基準にしないように。」

 緑と駄弁っているうちに、幸恵と福恵が台所にやってきた。

「何の話をしているの。」

「直人が、幸恵と福恵が調理しているのを見たことがないなんて言うから誤解を解いていたところ。」

「酷いなあ。福恵はともかく、私は、牛肉や豚肉や乳製品が使えれば、それなりに作れるわよ。」

「姉さんは、私がお菓子しか作れないと思っているでしょう。」

「福ちゃんが作るのは、ケーキとかチョコレート菓子とかじゃない。」

「ところで、今日はご主人様が作ったのでしょう?楽しみ。」

「姉さん、話を誤魔化さないで。私も楽しみだけれどさ。」

「鮭のホワイトシチューにしようとしたが、一味足りなくて鮭の豆乳鍋になりました。乳製品が手に入りにくいのは地味に辛い。」

「では、いただきましょう。」

「「いただきます。」」

「最初から鍋にするなら、具にジャガイモを追加して、白味噌も追加したのだがなあ。」

「これは、これでいいよ。直人はホワイトシチューが好きだからね。でも、無いものは無いのだから、無駄なあがきはしない方がいいかもね。」

「うん、おいしい。」

「鮭の代わりにホンビノス貝でもいいかも」

「ホンビノス貝はクラムチャウダーか酒蒸しがいいね。」

「ハマグリ信仰の人が目の敵にしているけれど、ホンビノス貝はホンビノス貝として食べる分には十分においしい。でも、一部の店が偽って紛い物商法をするのはいただけない。」

 特段何かがあったわけでもない日常がこうして過ぎていった。


 2月4日日曜日、前日に行われた節分祭で散らかった境内の掃除を午前中で終えて家に帰ってきたら、神山姉妹の所に来客が二人来ていた。昼食も一緒に摂るというので、小緑と来客分と合わせて7名分の昼食を用意した。メニューは醤油味のキノコパスタである。小緑の食事については、嗜好品というだけあって犬として特別な配慮をしなくていいのが楽でいい。出来上がったところで女性陣を呼んだ。

「幸恵、そちらの方は?」

「ご主人様は、初めてでしたね。緑には先ほど紹介したけれど、拂山法恵さんと拂山法香さんの双子の姉妹です。神山の家の分家で、法華寺の住職の娘です。こちらが私たちの内縁の夫の相場直人です。」

 拂山姉妹は短めのボブの髪型にしている身長160cmほどで、幼い感じの女の子だった。緑は175cmぐらいあるし、神山姉妹も170cmあってバストラインまで伸ばしたワンレンのロングヘアーにしているので、比較するとどうしても幼く見えてしまう。

「初めまして、直人です。」

「法恵です。宜しくお願いします。」

「法香です。宜しくお願いします。」

「法恵と法香は、夏にダンジョンに捕獲されて、しばらく入院していたそうです。入院中に通っていた県立飯縄高校で、例の大量同時行方不明事件が発生しました。高校自体は、来年度からは教職員が新規に補充されて一年生から平常化するそうですが、二年生が法恵と法香だけになってしまい、他校への編入することが求められました。そこで私たちが通っている市立飯縄高校に編入することになったのです。分家のお嬢様なので私たち姉妹とはそれなりに付き合いがあったのですが、小学校から高校まで別の学校だったので、ご主人様とは縁がありませんでした。」

「それは大変だったねえ。俺も何回かダンジョンに落ちたり、ダンジョンでトラブルにあったりしたから、大変だったのは分かる。ダンジョン関連のトラブルと、神様の早とちりもあって、3人の内縁の妻ができてしかも妊婦になっているという状況ですが、責任を取る形でこうやって家族として生活させてもらっています。」

「幸と福は、こんな状況になって本当に幸福なの?」

「言い訳させてもらうと、俺が鈍感だったせいもあって、小学校時代から幸恵と福恵が俺に片想いする一方で牽制し合って俺を下僕扱いしていまして、俺自身は緑に片想いし、緑は俺に片想いするというややこしい関係だったのです。高校に進学してから、緑が俺を下僕として独占するようになりまして、幸恵と福恵が緑に八つ当たりするという関係になりました。俺がダンジョンで得たスキルの影響で、俺と緑が両思いであることが判明して両親公認の婚約者というか内縁の夫婦になったのです。その後ダンジョンで使い魔として小緑を得ました。幸恵と福恵は、正月にテロの被害に遭いまして心肺停止状態になったのです。俺が治療と蘇生を試みたのですが手遅れだったようで人間を辞めて俺の使い魔になってしまいました。その後いろいろあって神山家の成人の儀を受けたのですが、俺と小緑が大量に持っていた魔石やオーブに神々が過剰反応して過分にして過剰な夫婦和合と子孫繁栄ご利益を賜り現在の状況になっています。後手後手で当事者および関係者に追認してもらう形になっていますが、負った責任はこれから果たしていくことになっていますので、ご理解いただけますようお願いします。」

「大丈夫なの?」

「まあ、スキルの影響で彼女たちに頭の中を双方向で24時間監視されている状況なので、どうせ逃げたり裏切ったりすることはできないのです。実際、幸恵と福恵が使い魔になった後には緑が暴走して大変な目に遭いました。」

「夫に浮気された女の子としては当然の反応だと思うけれど……」

「ごめんな。緑は使い魔ではないから余計にもストレスを感じやすいけれど、緑が悪いわけではない。でも、もう家族なのだから、お互いに少しづつ我慢して、お互いに幸せになれるよう努力していくしかないからね。」

「正妻は私だから、私と法律婚する約束だけは守って。その代わり、使い魔だからって、幸恵と福恵を奴隷扱いしたら私が承知しないからね。」

「まあ、複数の愛人を囲っているとみるか、複数の女性に貢いでいる下僕とみるか、どちらにしても外聞が悪いのは覚悟していますが、ご内密に願います。」

「友達である幸と福のことが心配になっただけだから、責任を取るならいいわ。」

「それより、入院していたというけれど、何があったの?」

「それが、あまり覚えていないの。いきなりダンジョンに落ちて草原の中にいて、混乱しているうちに毛玉に蛸殴りにされて気を失って、気が付いたら病院で入院していて何カ月か経っていた。リハビリしているうちに学校がああなってしまったってところです。」

「塞翁が馬とはいうが、こうして生きている以上は運が良かったのだろうね。毛玉なら何千と数えきれないほど斃してきたけれど生命力や魔力を吸うので厄介な存在であることには変わらないからね。」

「あれって、斃せるものなの?」

「スキルがあってコツが分かればなんとかなるよ。ある意味、超人扱いされても仕方ないけれどな。ところで、先に食事にしようか。今、温め直して盛り付けるから。」

「法恵、気にしてくれてありがとう。ご主人様は、家事ができて、私達にも優しくしてくれて、私も福ちゃんも今幸せなの。」

 昼食にして、男の子の家庭料理にしてはおいしいと次第点をもらった後、俺が用意したホットのレモネードとおからのアーモンドクッキーでお茶会に移行していった。俺は、話を聞きつつ後片付けを開始した。

「今、自由登校でリモート授業がメインだから、新しい友達ができにくいのが寂しい。」

 法香がつまらなそうに呟いた。

「だったら、うちの書道同好会に入ってくれない。」

「姉さん、いいアイデアね。ちなみに書道同好会の会長は姉さんで、他のメンバーは私。あと、お姉様とご主人様が文芸同好会との掛け持ちで参加している。ちょっと前までは書道部だったのだけれど3年生が抜けたり、ダンジョンのせいでメンバーが減ったりして、人数不足で困っているの。」

「部活はまだ決めていなかったし、県立でも書道部だったからいいわよ。姉さんはどうする。」

「居心地は悪くなさそうだからいいわ。」

「直人、書類を用意して。」

「はい、生徒会長。」

 自室に戻って、パソコンで必要な申請書をプリントアウトした。

「公認同好会設立趣意書……書道部の規定人数違反による解散に伴う後継部活の設立ということでの申請になりますので、幸恵が代表者として署名して、他のメンバーが設立メンバーとして署名して、書道部の顧問だった長谷川先生に裏書してもらうことになります。緑も生徒会長として承認署名して。あと、通常の入部届けがこっちになる。こっちが書道準備室の部室使用許可申請で、幸恵と管理者で顧問の長谷川先生の署名が必要になる。あとは、今日中に幸恵が長谷川先生にメールで経過説明しておいてくれ。再来年は来年度の一年生の入部状況次第だけれど、来年度は書道部から多少減ったぐらいの予算は確保できるはず。」

「ご主人様、ありがとう。仕事が速くて頼りがいがあるわあ。」

「えっ何なの?」

「緑が生徒会長で、俺が副会長だから、さっそく生徒会の仕事をしただけなんだが。」

「ねえ、みんな、署名して。月曜日に提出してくる。」

「幸恵、嬉しいのは分かるが、提出するのは俺がやっておくからな。そんな体で登校したら過剰反応した教師が面倒なことになるだろうが。母の志保先生や、緑の両親である隼人先生と美保先生にも根回ししておくから安心しろ。」

「ご主人様、ありがとう。」

「なんとなく、4人がどういう関係なのか分かった気がする。直人君、あなた、大変ねえ。」

 法恵と法香に、気の毒なものを見るような憐みの目で見られた。俺は間違ったことはしていないはずだが、どうしてこうなったのだろうか?

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