第37話 ご機嫌斜めな妻たち
テーブルの上に6冊の母子健康手帳を並べて、緑と神山姉妹の3人が寄り集まって溜息をついている。
「直人、『男子、三日会わざれば刮目して見よ』とはいうけれど、1週間もしないうちに3人の内縁の妻に6人の子持ちだよ。そりゃ、あなたとの子供は欲しかった。でも、それは今じゃない。子供は10年後ぐらいで良かったのにね。」
「そうだよね。お姉様に姉さん、少なくとも、高校、大学と自分一人で独占できないまでも、普通のカップルとして恋愛を楽しめる可能性はあったものね。デートにドキドキして、ファーストキスにドキドキして、素敵な初体験をなんて、普通に期待していた。それなのに、全部吹っ飛ばして、お母さんだものね。4Pの上にお相手は神様に体を乗っ取られて、私自身も体を乗っ取られて、事実上の輪姦……あれはないわあ。」
「福恵、ちょっと時期が早くなっただけで、願いはこうして叶えてくれたのだから、罰当たりなことを言うものではないよ。それに、ご主人様との子供であることには変わらないでしょう。」
「そのちょっとが問題でしょう。お姉様、ご主人様を鍛えてくれてありがとう。最初にお姉様がご主人様にお風呂の世話をさせていると聞いた時にはドン引きしたけれど、自分が身重になって世話をされる側になると、やっぱり便利だわあ。」
「直人は、家事が一通りできるし、身重になって多少身動きしにくくなったと言っても、4人で分担すれば負担にはならないでしょう。料理の味付けの傾向とか家庭料理の傾向が同じで気を使わなくて済むのもいいわね。」
「じゃあ、時間だから仕事に行ってくる。」
「私と福ちゃんの仕事だけれど、さすがに妊婦がやるわけにはいかないの。お願いします。」
幸恵と福恵を使い魔にしてから俺の中で渦巻いていたもやもやとしたものが晴れて、俺は前向きに開き直っていた。
あの日、飯縄夫婦神社から戻った俺たちは、神山家と付き合いがある産婦人科病院に行って、無理を言って当直ではなかった医院長先生に、緑たち3人を診察してもらった。医師の診断によると、胎児の大きさから推定すると出産予定日は3人とも5月あたりになりそうとのことだった。超音波診断での性別判定では、緑が男の双子を、幸恵と福恵が共に女の双子を身籠っていた。こんなになるまで受診しなかったのは親として自覚があるのかとお叱りをいただいたが、幸恵と福恵の父親である神山悠人さんがやんわりと収めてくれた。正直に事実を話したところで、今の時代に神の奇跡なんて言っても納得する人は少ないだろう。
その後、俺と、俺の両親と、緑の両親と、幸恵と福恵の両親とで話し合いが行われ、俺と緑は、神山家に夫婦として居候することになり、俺は飯縄神社で学生の身分のまま出仕をすることになった。神山姉妹が言っていたように、高校卒業後に大学で神職の資格を取れとのことである。その代わりに神山家で生活費や学費を負担してくれるそうだから、選択の余地はなかった。両親達からは自分の家族のためにしっかり勉強してしっかり働けと送り出された。
1月13日に、神山家の離れに俺と緑は引っ越してきた。幸恵と福恵も母屋から離れに引っ越してきた。これまで離れで半ば隠居生活をしていた飯縄神社の先代宮司の彰人さんと佳恵さんの夫婦は逆に母屋に引っ越した。3人の妻をできるだけ平等に扱って4人で夫婦生活するようにということである。引っ越し作業が終わって、ホットのママレードでお茶をしているというのが、俺が仕事に出かけた時の風景だった。
出仕と言っても、実際には助勤の巫女と同じような扱いで雑用係でしかない。宗教法人飯縄神社の非常勤職員という扱いになる。学校もあるから常勤できないので、それは仕方ないことだ。そもそも担当する基本業務が清掃作業である。神職の仕事は当然勉強をしてからということになる。
働くようになってから知ったのだが、飯縄神社の常勤の巫女については二種類の人がいて、宗教法人飯縄神社の神職と、神山家が経営する飯縄ブライダルつまり結婚式場の常勤の社員の人とに分かれていた。結婚式場の社員の方は、結婚式関係と授与所関係のみを担当しているそうだ。同じ神社で働いているのに、宗教法人飯縄神社の本来の神職とは、別であることには驚いた。税金の関係で、宗教活動ではなく営利事業とみなされかねない部分を飯縄ブライダルに委託しているという扱いだそうである。飯縄ブライダルでは、20代の内は神社側の結婚式場の担当で、結婚したり30代以上になったりすると教会側の結婚式場に配置転換されるか関連企業の飯縄葬祭に出向することが多いそうだ。だから、正確には正月の授与所の販売員は、飯縄神社の助勤ではなく、飯縄ブライダルのアルバイトになっている。そういう意味では、今年の緑と幸恵と福恵は飯縄ブライダルでアルバイトをしていて給与振り込みがされて、俺は飯縄神社の氏子の一員として勤労奉仕をしてご祝儀をもらったことになっていた。
仕事から帰ると、緑が夕食の準備をしていた。幸恵と福恵は、台所の食卓で何だか疲れて駄弁っていた。
「ただいま。」
「直人、おかえり。」
「どうしたの?」
「あなたと入れ替わりで、さっきまで佳恵さんと静恵さんが来ていたの。」
「お小言でも言われていたのか?」
「そうね。嫁としてどうするべきとか、妊婦としての心得とか、母親としての心得とか……親としてこれから10年ぐらいかけて教える予定だったことをスパルタで伝えていくって言って、延々と話していったの。」
「その割に緑は平気そうだな。」
「私は優等生だから……というより、あなたに何度も直接マッサージされたり魔法をかけられたりして失神していたから、気が付いたら事後で子供ができていたなんてことがあってもいいように、それなりに勉強していたからね。」
「信用無かったんだな。」
「信用していなかったわけではないのよ。あの日の夢の印象が強烈で、最初から、万一、子供が出来たら産むつもりだっただけです。初めから結婚前提の重い女でごめんなさいね。」
「そういうことにしておこうか。」
「あなたに浮気されたくない一心で、ちょっとサービスし過ぎていたところは自覚していたから、あなたが我慢できなくなって事故が起きる可能性を予想していただけ。その努力も無駄になってしまったけれど、学んだことは無駄にはなっていなかったってこと。」
「お姉様が優等生過ぎるの。良妻賢母って、お姉様みたいな人なのかもね。」
「姉さん、私たちが女としてお姉様に負けているということを母さん達に指摘されたからって不機嫌になっても、事実だから仕方ないでしょう。」
「福ちゃん、そうはいっても悔しくて、自分が嫌になってくる。」
「姉さん、私も悔しいけれど、不貞腐れても状況は変わらないでしょうが。」
「幸恵にしても、福恵にしても、今までやっていなかったからできないだけだろう?これからできることを増やしていけばいい。何せ4人もいるのだから、ワンオペでする必要なんてないのだからな。」
「ふぅ。福ちゃんと私って、片想いしていたご主人様をお姉様に目の前で取られて荒れていたけれど、最初から勝負にならなかったのね。」
「幸恵に福恵、妻の座の序列の1位を明け渡す気はないけれど、内縁の妻であることは私たち3人とも同じだし、直人の子を身籠っているのも同じなのよ。しっかりして頂戴。先は長いし、楽をさせる気もないから、協力してね。」
「あまり卑屈になる必要はなかろう。逆に神職のことは、俺も緑も一般の参拝客程度の知識しかないのだから、これから教えを乞う立場なのだから自信を持てよ。何もしてこなかったわけではあるまい。少なくとも一般常識のレベルが違うだろう?」
「そうなんだけれど、私も福ちゃんも、境内を掃除したり、授与所を手伝って小遣いを稼いだりしていただけで、あまり勉強なんてしていなかったんだ。」
「姉さん、私は、神職になるために参考書を読む程度だけれど、多少は勉強していたよ。一緒にしないで。」
「……福ちゃんが裏切った。」
「でも、実技的な書道の腕前は幸恵の方が上なのだろう?夏に県の何とかって賞を取っていたんじゃなかったか?」
「でも、私一人賞を取っても、書道部は人数不足で解散になった程度だよ。一年生二人しかいないから同好会としても残れなかった。」
「個人の能力と部活は別だろう。緑、同好会の構成要件は一つの学年で4名以上または、学年に関係なく6名以上だったか?」
「同好会の掛け持ちは0.5人としてカウントするから、私と直人が掛け持ちで書道同好会に所属すれば、あと一人だね。一人または掛け持ちの二人ぐらいどうにかできないの?」
「えっ入ってくれるの?」
「だって、私も直人もこれから書道が必須になるでしょう?」
「確かに、最近はパソコンを使って毛筆プロッタやプリンタで誤魔化す宗教家もいるけれど、基礎教養の一部だしね。」
「約束よ。少し元気が出た。」
「私たちは家族なのだから、一人一人が長所を生かして頑張って、足りないところは支え合えばいいの。さあ、夕飯にするわよ。直人、配膳してね。」
「了解。」
俺は、食後にやらなければならない家事作業を指折り数えながら、食卓に着いた。
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