第35話 夫と妻と使い魔

 いつの間にか眠ってしまったようだ。

 目が覚めたが、俺は、身動きが取れなかった。ここは夢空間の俺と緑の寝室だと思うのだが、上から縦四方固で絡みついている女性がいる。両足を俺の足に絡ませて、開けた胸を俺に密着させて張り付かせ、俺の頭を抱えて抑え込んでいる。逃れようとするとなおさら足の絡め方を変えて密着してくる。寝惚けて抱き着いているとかでなく、意図的に抱き着いて密着して俺を拘束しているようだ。

 何を考えているのかと思って緑の記憶を探ってみても、何も考えていないようだ。ただ、そうしていたいからそうしている。

 俺は、彼女の魔力を感じ取り、それに同調させて、俺の体と緑の体に一つの肉体であるかのように魔力を循環させた。同調が出来たら一気に包み込んでやった。魂と魂が直接触れ合うと、抱え込んだ言語化したくない辛さが伝わってくる。

 念話で彼女に話しかけた。


「しんどいって言えなかったんだよね。しんどいって言ってしまえば、俺までしんどくなってしまうから。」

「すべてが見えてしまうというのは、逆にしんどいよね。相手を詰問するまでもなく、相手のことがすべてわかってしまうから。期待と現実の差は辛いよね。」

「緑は、頑張っているじゃないか。俺にとって十分素敵な女の子だよ。」

「でも、頑張ってもうまくいかないよね。大事な人と一緒に過ごせればそれだけで良かったのにダンジョンに巻き込まれて怖い目に遭ったね。本当はやりたくないのに頼まれごとは次から次へとくる。俺のことを独占したいのに邪魔者が増える。……でも、うまくいかないのは、あなたのせいじゃない。」

「本当は嫌なのに、周りからいい子だと思われるように我慢するのはしんどいね。」

「俺にとっていい子であるために、言いたいことが言えなかったのはしんどいね。」

「だから、嫌われないための選択を最初からする必要はないんだよ。本当にやりたいことを相談してくれればいい。全部ができるわけではないけれど、妥協することはできる。その代わり俺も言わせてもらう。お互い様なんだよ。」

「いい子であるために、誰かのために動かなければいけないなんてことはないんだよ。緑にだって、やりたいこともあれば、夢も、希望もあるのだから、そちらを優先することがあったもいい。」

「自分の容量を超えてしまうことには、反発してもいいんだよ。あなたが悪いわけではないのだからね。」

「緑が緑らしく、俺が俺らしく、それでいて一緒に寄り添っていけるのがいいと思うのだ。自分が自分であるためにすることは、必ずしも我儘ではない。誰でもない自分が自分であるために必要なことなんだ。」

「嫌いなことは嫌いでかまわない。そこで歩みを止めてしまうことの方が問題だ。」

「過ぎてしまったことは変えられないけれど、今までの状況を把握できれば、少しづつ変えていくことはできる。」

「周りがかわらないのは、君のせいではない。相手が変わりたくないから変わらないだけなのだ。」

「そりゃ、多少のことは寛容になるべきだけれど、何にでも限度というものがある。指摘されないと気が付かないことも多いのだ。指摘されても変われないこともある。その時には、正直に怒ってもいい。でも無駄に怒るのは止めよう。自分が辛くなるだけだ。まあ、君に愛想を尽かされないように努力はするので、見捨てないでくれると嬉しい。これは俺の我儘。」

「しんどい自分を責めなくていい。泣きたい時には泣けばいい。俺が、できるだけこうやって付き合ってあげる。俺がしんどい時に付き合ってくれると嬉しいな。お互い様だからね。」

「新しいことをやろうと思えば自分自身を変えなければならないこともあるけれど、君らしい変えなくてもいい部分だって沢山あるんだよ。」

「あなたはもっと自信を持っていい。新しい一歩を踏み出して幸せになっていいんだよ。そのために必要であれば、あなたの背を押してやろう。あなたと一緒に歩んでいこう。歩み出してみなければ分からないことも多いからね。」

「先に進めなければ立ち止まってもいい。今やれることをやればいい。両手が届く範囲でベストならそれでいい。」

「あなたは頑張っている。結果を気にして立ち止まるのはもったいない。」

「人生は暗闇ばかりではない。その道は、君の輝く希望で照らされている。道を塞ぐ茨があれば、俺がそれを切り裂く鉈になろう。道を塞ぐ岩があれば、俺がそれを乗り越えるロープになろう。襲い来る敵あらば俺が盾になろう。その道に海あらば俺が船になろう。豊かなる時を共に祝い、貧しき時を共に乗り越えよう。夢を諦めるのは君の人生への冒涜だ。その熱き心で道を貫けばいい。それが生きているというものだ。振り向くな!我が道を行け!君は一人ではない。俺が共に歩んでやる。君の夢は、未来に向かって果てしない。俺の隣に君の笑顔があることこそが俺の希望なのだから。緑、愛しています。そこからもう一度歩み出そう。」


 だんだん、緑に言っているのか、自分に対して言っているのか、分からなくなってきた。

 ふっと、緑の存在が消えた。俺の中に引き籠ってしまった。

「心配かけたね。ごめんなさい。今の私の顔を見られたくないの。明日の朝には復帰するから、このままでいさせて。やっぱり、あなたには小説家は無理そうね。趣味の範囲にしていた方が幸せだよ。ダメなりに努力してくれるところは大好き。」


 ベッドの状態が酷いことになっていたので、シーツを交換して洗濯することにした。ついでに風呂にも入ってしまおうと準備をしていたら、人化している小緑が、お姉様がいないと言って俺を付け回すので一緒に風呂に入って洗ってしまうことにする。小緑に着替えを持ってくるように指示した。シャワーの温度がちょうどいいのを確認して、先に自分の体を洗い終えたら、小緑が情けない顔をして風呂に入ってきた。濡れるのが嫌なのでお風呂は嫌だというので、手早くざっと洗ってやった。この夢空間限定とはいえ、緑と一緒に風呂に入って緑を洗ってやることも多いので、女の子の長い髪を洗うのもだいぶ慣れてきた。俺が先に風呂から出て、最低限のものを着た後で、小緑を呼んで下着を着せて髪を乾かしてやった。下着に「コノリ」と名前が刺繍されているのを見かけて、小緑の世話を緑に押し付けてしまってほとんど面倒を看ていなかったことに今さらながらに気が付いた。緑に念話で謝罪しておいたが、返事はなかった。

「緑には優しくしてもらっているか?」

「お姉様が遊んでくれるのが楽しい。」

「この後、外で狩りをするか?追加のスキルオーブが必要になりそうなんだ。」

「ご主人様、いいの。嬉しい。」

 人化している時の体の大きさは緑と同一だが、会話している時の感じでは精神年齢が小学校高学年ぐらいであるように感じる。緑とのことを話す小緑は楽しげであった。

 緑から一方的にあれこれ注文されているつもりになっていても、実際には緑にも負担をかけていたようだ。一事が万事で、いろいろありそうだな。緑に甘え過ぎていたのかもしれない。


 人の気配がしたので、後ろを向いたら、幸恵がフリーズしていた。

「直人君、何をしているのかな?」

「小緑と一緒にお風呂に入って洗ってやったので、小緑の髪を乾かしているところ。」

「女の子に対して何をしているの。」

「女の子と言っても、緑とは内縁の夫婦だし、小緑も家族だから、この夢空間であれば、一緒にお風呂に入って体を洗い合うぐらいのことはしているのだよ。平気でパートナーの下着を洗濯するぐらいには、所帯じみた関係でもある。現実世界でも二人で二家族分の家事の大部分をこなしている。」

「何言っているの?」

「見た見られたとか、触った触らないで、騒ぐような関係は遠い昔に卒業しているってこと。本番行為こそしていないけれどね。俺だって家族以外の女の子にこんなことする気はないよ。相手も拒否するだろうし、プロの理容師でも、マッサージ師でも、エステシャンでもないからね。家族計画の関係もあって本番行為にのめりこみたくないというのもあり、スキンシップとしてお互いにやっているところがある。緑の場合、機嫌が悪い時なんか1時間ぐらい付き合わされるぞ。整髪やムダ毛処理、爪切りまでやらされているし、高校に進学してから美容室に行っていないのではないかな。その手の美容雑誌なんかを見せられて、実践するのに付き合わされて勉強したから、おかげで、プロほどではないが、そこそこできるようになったぞ。デートに誘えば、出かける前の準備から付き合わされる。過保護で我儘に付き合い過ぎと思うかもしれないが、この夢空間では時間がないという言い訳はできないからな。」

「直人君、大変ねえ。」

「さすがに現実世界では、時間がないから自分のことは自分でやってもらうさ。緑は、素直で優しくて一途なとってもいい子なんだけれど、裏返すと、頑固で独占欲が強くて嫉妬深い娘だからね。ダンジョンが現れる前も下僕扱いされているところがあったのだけれど、あの頃はまだ遠慮があったんだと思うよ。まあ、直接俺の記憶を覗き放題になっているので、ストーカーされて質問攻めにされることがない分だけ気が楽だな。」

「……」

「メイド服……おい、小緑、この服は初めて見るけれど、どうしたんだ?」

「お姉様が、演劇部の衣装係の人に作ってもらったんだって。カチューシャもあるよ。」

「幸恵さん、双子の妹がいる君に聞きたいのだが、上下関係がはっきりしている自分と全く同じ容姿をした相手にメイド服を着せたがるのって、どう思う?」

「私にはそういう趣味はないからわからないかな。でも、妹が自分と同じ格好をしていると目障りではあるわね。」

「そういえば、幸恵さんと福恵さんは学校では微妙に違う髪型にしていたね。」

「姉妹は一番身近な他人だからね。ましてや容姿だけでなく、性格や趣味まで同じな双子だけに距離感が難しい。微妙に価値観が違うところで喧嘩することもあるね。」

「ほい。小緑、出来上がりだ。可愛いぞ。」

「ご主人様、お姉様は何処なの?」

「緑は、幸恵と福恵が使い魔になって、俺の近くに他の女の子がいるのがストレスになって、自爆してしまったんだよ。何とか復帰させたのだが、自爆したのが恥ずかしいって、俺の中に隠れて引き籠ってしまったんだ。だから緑が出てくるまで好きにしていていいよ。俺の方の準備ができるまで向こうの部屋で待っていてね。」

「わかった。」

「やっぱり、私たち邪魔なの?」

「位置づけが変わってしまったから俺自身混乱しているが、腐れ縁とはいえ、付き合いが長い友達じゃないか。それより、幸恵は大丈夫なのか?自分の行動に違和感があるなら、違和感があるのが人間として正常だ。使い魔としての呪縛で趣味嗜好が変わっているのが原因だろう。小緑はもともとモンスターの黒犬で精神年齢が幼いからあれで済んでいるが、幸恵と福恵はそうではなかろう。」

「ご主人様は、私たちをどうしたいのかしら?」

「心肺停止状態で見つけた時には、ただ単純に生きていて欲しかっただけなのさ。俺にとっては幸せになって欲しい女の子であることには変わりないからね。こんなことで失いたくなかった。でも、できたのは蘇生や治療というより黄泉返り。たぶん、蘇生するには手遅れだったのだろうね。結果として『使い魔』として魂を拘束し、魔力で仮初めの体を与えることになった。人間としては、もう死んでしまったのさ。」

「酷い話ね。」

「『使い魔』であるだけならただの奴隷契約なのだが、幸恵と福恵が女性で多少なりとも俺に好意を持っていて、俺が『格納(ハーレム)』なんて一夫多妻・一妻多夫を司るスキルを持っていたから、奴隷である代わりに従順な妻であることを強制する契約になっている。『使い魔』である幸恵と福恵の方がより強く呪縛されているが、俺の方も呪縛されている。だから、困っている。」

 俺は、幸恵を強引に抱き寄せると、抱きしめた。

「……でも、緑は私達とは違うのでしょう?」

「緑は、使い魔ではないよ。もっとも、俺のことを下僕扱いして、俺の部屋で無警戒に居眠りできるぐらいで、最初から結婚して尻に敷く気が満々だったようだよ。自分の親にも俺の親にも俺に片想いしていることを公言していたようだ。そんな状態で日頃の恨みと、寝ている緑をスキルオーブの実験台にしていたら、『格納(ハーレム)』が発動して火に油を注いでしまってな、これ幸いにと内縁の妻に収まったというわけだ。実際、父方の祖母の親戚である神山家とは事実上絶縁状態だったから違うが、母方の親戚にも公認されて披露宴までやって、入籍していないだけで緑とは本当の夫婦なんだよ。」

「それじゃあ、勝てるわけないじゃない。」

「でも、無関係でもいられないよ。言っておくけれど、『格納(ハーレム)』には貞操帯の機能があってな。生命の危機や貞節の危機を感知すると、俺の中に強制転送されて俺が召喚するまで閉じ込められる。呪縛による心理的誘導もあるから、俺以外の相手と恋愛することは無理だろうね。そうでなくても、毎晩のようにこの夢空間で生活を共にすることになる。俺には、折り合いをつけながら共に人生を歩んであげることしかできない。」

「この人でなし。」

 幸恵は、俺の頬を平手打ちすると、緑と同じよう俺の中に引き籠ってしまった。途方に暮れていると、誰かに反対側を平手打ちされた。福恵だった。

「ご主人様、あなたはもう少し女心というものを知りなさい。緑も、姉さんも、私も、あなたのことが好きで、あなたのことは全部記憶を覗いて知っているよ。」

「俺の方も、同じように緑のことも、幸恵のことも、福恵のことも知っているよ。だからこそ、上辺だけの言葉なんて意味がなかろう。」

「抱きしめて、愛していると囁いて、その瞬間だけでも、目の前の女の子だけを幸せにできる甲斐性もないわけ。」

「大丈夫。福恵のことも十分好きだから。」

 福恵を抱きしめ、俺の思いを回復魔法とともに福恵に注ぎ込んでやった。

「えっ……何……嫌……酷い……狡い……堕ちちゃう……ごめんなさい……堕ちちゃう……ごめんなさい……私が消えちゃう……ごめんなさい……この女誑し……」

 福恵は、力が抜けるとともに、何度も体をビクンと痙攣させ喘いだのちに、俺の中に引き籠ってしまった。

 緑と幸恵が、俺の中で抗議しているので、3人同時に失神するまで同じように魔力を注ぎ込んでやった。快楽堕ちさせて、黙らせたのはいいが、この後に正気に戻った時の反動が怖いな。多少はストレスを発散できただろうが、何の問題も解決できていない。俺の立場をより悪くしただけだ。妥協点を探るしかないのは分かっているが、それが一番難しい。ズルをしても、問題の先送りにしかならない。復帰してきたら、少なくとも当面の間の妥協点が決まるまで、4人できちんともう一度話し合いをするしかあるまい。


 俺は、小緑とともに狩りをして、魔石やオーブを確保するとともに、ストレスを発散した。

 狩りから戻ってきた後で、幸恵と福恵を従えた緑の前で正座させられて、改めて説教されたのは言うまでもない。

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