第4章 冬は心の棚卸
第31話 輪廻
12月24日、父に頼まれて、知人たちと飯縄ダンジョンの第1層にある特別養護老人ホーム『飯縄の杜』にボランティアに来ていた。作業の内容は、大掃除と蕎麦の提供である。8月にアルバイトで作付けを手伝った蕎麦が収穫され、その一部が『飯縄の杜』の入居者に振舞われることになったのだ。
『飯縄の杜』は、併設されている診療所を合わせると、定員128名、職員55名の規模を誇る飯縄市による公設民営の特別養護老人ホームである。ダンジョンによる市民の捕獲を阻止するために急遽作られた施設である。第2層にも、同じ規模の『飯縄の里』が作られていた。
第1層の脱出ゲートに隣接した『飯縄の杜』の周囲には、市営住宅、こども園、小学校及び中学校の分校、コンビニ、農業法人『飯縄ファーム』の事務所などがあり、第2層に通勤している人の住宅もあることから今や2000名近い人口の下社新町という町内会が形成されていた。『飯縄の里』の周辺整備は現在進行中といったところである。いずれも災害復興支援で作られるプレハブの簡易住宅が並んだような感じになっているのは、設置を急いだがゆえに仕方がないところがある。気温の変化が20-25度であまり変化がないのと、世帯ごとに市営住宅の家賃相当の危険手当が支給されているので、事実上家賃が無料になっているのが救いと言える。全体としては、東日本大震災の津波で壊滅した地域にできた復興村落という雰囲気になっていた。
『飯縄ファーム』が、8月にアルバイトしたところである。『飯縄ファーム』には飯縄農協と飯縄市が出資しているので、天下りした市役所の関係者も多い。初年度としては、蕎麦の作柄が良かったようで、来年度には畑作を中心にさらに規模を拡大する予定だそうだ。ゆくゆくはお米も作りたいらしい。
現地には、俺の一家と緑の一家の6人で出かけた。緑の両親や俺の母にとっては、初めてダンジョンに入ることになった。ゲートの近くで佐野祥子と加藤晃と合流した。アルバイトで作付けした蕎麦のお裾分けがあると言って俺が誘ったのである。
「相場、おはよう。」
「佐野さんに加藤も、おはよう。」
「父さん、こちら、手伝ってくれる佐野さんに加藤君。」
「佐野さんと加藤君、今日は参加してくれてありがとう。」
「いえいえ、こちらこそダンジョンに落ちた時にお世話になりました。」
「緑や相場君の所は家族で参加すると聞いていますし、蕎麦も期待しています。」
晃は照れているのかぶっきらぼうだったが、祥子は晃の腕を抱きかかえながら挨拶を返してきた。リモート授業やチャットばかりで実際に会うのは久しぶりだが、晃と祥子は変わらずに仲がいいようだ。
ゲートを通過すると、暖かな風を感じた。木枯らしが吹いて寒い地上に比べると、ダンジョンの第1層は上着が要らないほど暖かだった。
しばらく歩いて『飯縄の杜』に到着すると、父は俺たちを担当者に紹介した。ロッカーに上着などの手荷物を預けて、午前に予定されている大掃除を始めた。父は市の職員が呼びに来たので、仕事だと言ってその場を離れていった。教師をしている親達のグループと、俺たち生徒のグループに分かれて作業を行うことになった。職員が入居者を集会所に誘導した後で、俺たちは割り当てられた窓掃除を行った。親達のグループは、さっそく蕎麦の準備を始めた。
掃除が終わって、イベント会場の方に行くと、父も戻ってきており両親達が蕎麦を作っていた。俺に気が付いた父に声をかけられた。
「直人、いいところに来た。」
「何ですか?父さん。」
「このお膳を裏手にある祠にお供えしてきてくれるかい。友永さん、息子に持たせますので、案内していただけませんか?」
「ここの職員の友永です。ついてきてください。」
お膳には、今日作った蕎麦が盛り付けらえていた。
「友永さん、祠って何ですか?」
「飯縄神社の分社で、『飯縄ファーム』の人達が、外部とのフェンスの近くに豊作を感謝して小さな祠を建立したの。」
「農業関係の信心深い人って、そういうところがありますね。場所が場所だけに神頼みもしたくなるのももっともか。」
「それはいいのだけれど。問題が一つあってね。ただ、祠ができたあたりから、フェンスの外側に大きな黒い犬の一家が二組住み着いたの。フェンスの外だし、人間に対しては大人しいので危険はないのだけれど、大きいからちょっと怖くてね。」
「大きいと怖いかもしれませんね。」
「みなには人気なのよ。毛玉のモンスターがフェンスに近づくと追い払っているのを見た人がいてね。今では、黒犬様なんて言われて、犬小屋までもらっているの。」
「そういえば、飯縄神社には、疾病次郎って疫病退散の白犬の伝説がありましたね。」
「飯縄神社の分社に犬がやってきて、モンスターを追い払っているとなれば、氏子の人たちはお犬様と言いたくなるのもわかる気がするの。私は苦手だけどね。」
友永さんについていくと、居住区と外部とを分断する高いフェンスの壁の近くに、50cm四方ぐらいの真新しい祠が祀られていた。その祠のフェンスを挟んだ外側から少し離れたところに4つの大きな犬小屋が見えた。俺は、友永さんに指示されて祠の前にある台にお膳を置いた。
友永さんは、賽銭箱に小銭を投げ入れると、「これからも無事に生活していけますように」と祈って、柏手を打った。俺もそれに倣った。そのタイミングで犬小屋の中にいた黒い犬が出てきて、分かったとばかりにワンと吠えた。シベリアンハスキーに似た漆黒の犬である。黒い犬から魔力の放射を感じた。よく見ると少々小型ではあるが第3層にいるモンスターの黒犬ではないか?
「ねえ、相場君でしょう?」
女性の声で、念話で話しかけられた気がした。周囲を見渡しても黒犬の他は友永さんしかいない。
「友永さん、ちょっと犬を見ていきたいと思います。」
「じゃあ、私は先に戻るわね。気を付けてね。」
俺は、やっぱり通じないかとしょげ返っているように見える黒犬に念話で話しかけた。
「誰?黒犬の知り合いなんて、俺がテイムした小緑ぐらいしか知らないのだけれど。」
「通じた。私、こんな姿になったけれど、清水菖蒲だよ。ねえ、みんな、相場君が来たよ。」
目の前の黒犬が尻尾を振りだすとともに、残りの3頭の成犬もやってきて、2組に分かれてこちらに向かって座った。
「まさか、木村と清水さん?そっちは、工藤と鈴木さん?」
「相場、お久しぶり。木村だけど、生まれ変わりって本当にあるものだな。」
「あのカラオケに行った日、俺たち6人はダンジョンに捕獲されて第3層に転移させられた。佐野さんと加藤はたまたま第3層の脱出ゲート近くに転送されて無事だった。俺と緑は別の所に転移されて、一晩過ごした後に第3層の脱出ゲート方向に移動していたら、お前たち4人の亡骸を発見した。ただ亡くなってから24時間たっていたようで、緑が触れた瞬間に亡骸がダンジョンに吸収されて消えてしまったんだよ。緑が取り乱して慰めるのに一苦労した。その晩はその亡骸のあった場所で弔いの火を灯したんだよ。佐野さんと加藤も悲しんでいたぞ。」
「あいつら、悲しんでくれたんだ……」
「木村たちはどうしたんだ?」
「ダンジョンに捕獲されてすぐに毛玉に襲われてな。菖蒲を庇いながら追い払おうとしたのだけれど、どんどん力が抜けて意識が落ちてそれっきりだよ。気が付いたら黒い大きな犬3頭に囲まれていてな、自分たちの状況を認識するまでに、ひと悶着あったよ。俺は菖蒲と一緒に同じ種族で生まれ変わったことには感謝している。工藤と鈴木もそうだろう。しばらく彷徨っていたのだが、子供ができてな。いろいろあったが、出産場所を探しているうちに、ここに居ついて、こうして犬小屋をもらっている身分になったわけだ。近くにいる子犬は俺たちの子供だから。」
「それなりには暮らしているんだ。良かったよ。木村たち、毛玉を追い払っているためか、飯縄神社の黒犬様なんて言われて、疾病次郎と同じ扱いにされているぞ。」
「疾病次郎かあ。まあ、毛玉の連中には、こんな姿になった恨みもあるからな。」
「すぐそこに来ているのだが、緑たちに会ってみるか?念話で会話はできると思うぞ。」
「どうしようかな……」
「わかった。食事をしに一旦離れるから、会いたくなければ陰に身を隠していてくれ。」
俺は、食事をしに仲間たちの所に戻った。
俺たちは、天麩羅と掛け蕎麦で昼食を取った。アルバイトしていた時に佐野さんと加藤も『念話』のスキルを獲得していたので、話の内容的に念話の方が良かろうと、緑と佐野さんと加藤に念話で話しかけた。
「オカルト的な話をするが、亡くなった木村と清水さんと工藤と鈴木さんが発見された。最も人間ではなくなっていたがな。」
「直人、それ、どういうこと。」
「『飯縄の杜』の裏方に『飯縄ファーム』が建立した飯縄神社の分社がある。その神社のフェンスを挟んだ外側に二組の黒犬の家族が住み着いて、黒犬様と呼ばれている。住み着いた黒犬が、居住区に近づく毛玉を追い払っているうちに、疾病次郎に絡めてそういわれるようになったらしい。」
「それが、どう菖蒲たちにつながるの?」
「さっき、神社に蕎麦をお供えするついでに見に行ったら、黒犬に念話で話しかけられた。黒犬に転生したそうだよ。4人とも一緒だったので、今や二組の家族になって子供までいたよ。犬の妊娠期間は60-70日と言われるから、いてもおかしくはないな。ただ、小緑のように人化することはできないようだから、黒犬の姿で念話で話すことになる。」
「生まれ変わりねえ……」
「もし黒犬の姿を見られたくないなら、陰に身を隠すように言っておいた。会いに行くか?」
「本当?菖蒲や早苗たちと話ができるの?」
「佐野さん、彼女たちと俺たちは、もう住む世界が違ってしまっている。彼女たちにも、彼女たちの生活があり、新しい家族もいる。そこは覚悟しておいてくれ。おそらく価値観もだいぶ違ってきている。もし会いに行くなら、最期のお別れをするつもりでいた方がいい。」
「そうね。連れ帰るわけにもいかないものね。」
「俺の親父には、彼女たちの存在を正確に伝えて、人の言葉が理解可能で、念話のスキルがあれば会話も可能な存在であることを強調して、討伐してしまうような悪い処遇にならないように相談してみる。直接には何もできにあからね。」
「直人なら何とかできないの?」
「緑、たぶん、小緑は雌だったから何とか出来ただけだぞ。俺が背負えるのは、緑と小緑で精いっぱいだ。せっかく幸せに家族で自由に暮らしている彼女たちを引き裂くような趣味はない。小緑の眷属にしたとすれば、人格を失いかねない。」
「……」
「それに子供まで入れると数が多いからな。」
「子供?」
「子犬が二家族合計で12頭ぐらいいた……犬だからな。」
「さすがに子沢山だねえ。」
緑と佐野さんと加藤は、自分たちの気持ちにけじめをつけるために、彼ちに会いに行った。たまには遊びに来ると言って、友情を確認しつつ、お別れすることが出来た。
父も木村たちの状況にびっくりしたそうだが、モンスターに襲撃されることによる車の修理代を考えれば安いものだと、『飯縄ファーム』の社員犬として採用してもらったそうだ。会社の社長が大の犬好きで既に犬小屋を与えていたぐらいで、もともと飼うことも考えていたそうである。いつの間にか『黒犬印の飯縄ファーム』として、会社のトレードマークになっていた。
後日、祠の傍らには、飯縄ダンジョンで亡くなった人の慰霊塔が建てられた。慰霊祭には、慰霊塔に線香を手向ける木村たちの遺族をじっと見つめる4頭の黒犬の姿があったという。
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