第29話 過ぎ去った嵐

 10月9日月曜日になると、地上で猛威を振るっていた宝箱やダンジョン産のモンスターは、唐突に消えていた。もはや地上から奪うべきものが無くなったからかもしれない。家畜は、屋内に保護されていた家畜以外は、そのほとんどが失われていた。自然動物を含む屋外にいた体重3kg以上の哺乳類の8割以上が失われたようである。人間が生き残れたのがむしろ奇跡かダンジョンの意思であるようだ。豚や牛などによる肉の供給が元に戻るには16年以上かかるのではないかと予想する専門家もいる。鶏舎で飼われていた鶏の多くが無事だったのは不幸中の幸いだったと言える。

 そういった情報を受けて、流通市場から肉製品や乳製品が消えた。十分生産を継続できる鶏すらも、肉の需要が鶏に集中したために高騰し、市場から消えたのである。食料品物価は、異常な状態になった。数百円で買えていたビーフカレーのレトルトがネットで1食分20万円なんて値が付いている。もはや買える値段ではない。夏のアルバイトで稼いだお金の大半を非常食の購入に充てておいて正解だったようだ。カレーやシチューのレトルトもケースで買っておいた。緑と大事にこっそり食べることにしよう。穀類と野菜は普通に買えるのだが、肉も魚も鶏卵も乳製品も高すぎる。地味に納豆や豆腐が生産量不足で品薄なのも辛い。動物タンパク質系食品が高くて買えないとなれば、皆、考えることは同じということなのだろう。ちなみに、今朝の我が家の朝食はモヤシの味噌汁と肉なしのキノコ入り野菜炒めだった。一汁一菜とかいう日本の伝統料理を勉強し直した方がいいかもしれない。


 学校の授業は、結局、当分の間はリモート授業に戻すことになったようだ。ダンジョンの気まぐれには付き合っていられないということのようである。通常の通学に戻すのが早すぎたという批判もあるので、ひょっとしたら、今年度はリモート授業のままになるかもしれない。


 両親達が休日出勤の帰りに食料品店に寄って来たのだが、見事に肉製品や乳製品がなく、野菜ばかりである。コンソメスープの素や鶏がらスープの素といったものが多めに買えただけ運が良かったのかもしれない。母たちと緑が買ってきた食材に肩を落としている。

「美保さん。あなたの所もダメだったのね。」

「志保さんはうまくやったわね。コンソメスープの素や鶏がらスープの素があるだけ多少はましね。」

「スーパーは悲惨な状況だったわね。」

「総菜コーナーは空、乳製品も空、肉やハム・ソーセージも空、魚も空……冷凍食品やレトルト食品やインスタント食品まで空。あるのは、果物と野菜ばかり。」

「お母さん。これだと作れる料理が限られるのだけれど……」

「緑ちゃんや直人が作るのは、乳製品や肉がないと作れないものが多いからね。」

「和食って難しい。」

「そんなことはないでしょう。簡単よ。基本は、野菜を煮るか、蒸すか、炒めるかで、汁は味噌か醤油をベースに出汁を投入、あとは、さ・し・す・せ・そで味を調整。単純よ。素材のバリエーションでやり繰りするしかないけれどね。」

「それで、今晩はどうするの。」

「冷凍してあったソーセージとコンソメスープでポトフにでもしましょう。」

「鶏肉と卵の流通が早く元に戻るといいね。被害は少なかったと聞いた。」

「豚や牛に対する需要が鶏と魚介類に移って、消費量が増えているから全く足りていないようね。」

「これも、あれも、ダンジョンが悪い。直人、お父さんたちと一緒にテレビなんか見ていないで、ジャガイモの下拵えをしなさい。」

 俺が重い腰を上げると、入れ替わりに母たちがテレビの前で父たちと世間話を始めた。

「緑、母さんたちが既に帰宅しているのに、俺たちがする必要あるのか?」

「そう言わないで。連休で休めると思ったのに、休日出勤だったのだから……」

「和食料理でも勉強するか?」

「精進料理でもやろうというなら別でしょうけれど、家庭の総菜レベルなら、煮物と汁物なら大差ないでしょう。志保さんが言うほど単純ではないけれどね。」

「呼び方を変えたんだ。」

「お母さん達、私たちを基準にして両家族で一つの家族みたいに思っているからね。お父さん達はもともと兄弟だからなおさらね。伯父さんとか伯母さんとかいうと最近は微妙な顔をするの。」

「いっそのこと、お義父さん、お義母さんとでも呼んだらどうだ。」

「姪と嫁の差は大きいから、直人に遠慮していたのだけれど、それでいいのね?」

「……お前の親と俺の親とどちらも同じだろう?」

 両親達は、暗いニュースが多いせいかテレビを見るのをやめて、ビールでカラオケ大会を始めたようだ。緑の父の隼人叔父さんがさだまさしの『関白宣言』を歌えば、母の志保が平松愛理の『部屋とYシャツと私』を歌い、俺の父がさだまさしの『関白失脚』を歌えば、緑の母の美保叔母さんが平松愛理の『部屋とYシャツと私~あれから~』を歌った。両家の夫婦関係を反映しているのがなんとも微妙ではある。歌詞の内容的にお互いの記憶を覗き放題の俺たちにとってはシャレにならない歌なのだが、今日はどういうテーマで宴会を始めたのか気になるところではある。緑が夕食を配膳しながら、Dream Come Trueの『未来予想図II』なんて歌い出した。配膳が終わって食事を始めようとした時に俺以外の5人が俺を期待を込めて注目していた。飯を食う前に一曲歌えと……この流れだと選曲が難しいのだけれど……困った末にDream Come Trueの『ア・イ・シ・テ・ルのサイン ~わたしたちの未来予想図~』で勘弁してもらった。話を聞いたら、俺の母の従姉弟が、緑の母の従姉妹と結婚することになったのだという。4月のダンジョン発生時にたまたま同じ場所に転移させられて、助け合って脱出をしたのをきっかけに交際を開始して、今日、結婚を決めたのだという知らせが届いたそうだ。木村尚武と清水菖蒲、工藤勇武と鈴木早苗の二組を思い出し少しせつなくなった。


 翌日から、新しい日常が始まった。朝になると、制服にエプロン姿の緑に叩き起こされて、緑と二人で6人分の朝食と両親4人分の弁当を作って、両親達を送り出した。昼間は緑と並んで仲良くリモート授業を受けて、昼はチャーハンか蕎麦か、うどんを二人で作って一緒に食事した。午後の授業が終われば、夕食の準備を二人でした。就寝後も、夢空間で、俺と緑と小緑で、鍛錬したり、読書したり、創作したり……一緒の時を過ごした。


 ダンジョンについては、地上への被害が無くなったためか、ダンジョン内の開発に関する話題が多くなっていった。ダンジョンの出現に影響を受けたカルト教団が世界各地で問題を起こしたり、ダンジョンの第4層の開発について自然保護団体が問題を起こしてダンジョンの犠牲が増えたりと新しいニュースには事欠かなかったが、世の中が前向きになっていくのは感じられた。


 11月になって、父からは、8月にアルバイトで作業をした蕎麦が収穫期を迎えたと聞いた。飯縄ダンジョンでは第1層を農地としての開発をより進めるのだという。母からは、臨時に職員会議の指名で選挙が省略されて、緑が生徒会長になり、俺が副会長に指名されたことを知らされた。実際の活動は通学が再開されてからになると思うが頑張れと励まされた。


 何があっても、ゆっくりと、確実に世の中は動いていくものだ。

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