第18話 星空のデート

 アルバイトの2日目の火曜日、集合場所に着いたら、加藤が木刀で素振りをしていた。小学校時代は剣道をしていたそうで、昨日の俺たちの様子を見て木刀で何とかなるならと、自前の物を持ってきたのだという。佐野が勇者を見つめるお姫様のような状態で頼もしげに加藤を見つめていた。吊り橋効果もあって、二人の距離が近くなったように感じる。

 月曜日の帰りの襲撃ほどではないが、この日の帰りにも3分の1ぐらいの規模のモンスターの襲撃があった。数が少なかったのと、加藤が佐野の護衛に加わったことで、緑が自由に戦えるようになったので、前日より短時間で楽に撃退することができた。強いて言えば、リビングメイルのボスが2匹いたのが面倒だったが、俺と緑で1匹づつ撃退した。春の頃の毛玉だったら素手でもなんとかなったが、最近のモンスターは丈夫になってきており、何らかの得物が無いと撃退が難しくなってきている。行方不明者の生還率が下がったのは、そんなところにも原因がありそうだ。そのうえ、転送先が第3層以降だと、さらにモンスターが凶悪になる。

 襲撃を撃退した後、加藤と佐野は、具足樹のプロテクターの不足していたパーツが揃ったと喜んでいた。残りのアイテムの回収も任せてしまう。加藤の表情が明るいのを見れば、苦労をした甲斐もあろう。佐野は以前の姉御肌な雰囲気が消えてしまい、加藤に依存し過ぎているのが気になるが、野暮にはなりたくないので機会を見て加藤にそれとなく伝えておこう。

 俺と緑は、今回軽トラックが停止した原因を確認した。複数の毛玉が軽トラの下に巻き込まれて軽トラックが亀の子状態になっていたのが原因だった。車で押しつぶして逃れようとした軽トラックの運転手の気持ちは分かるが、無茶をしないで欲しい。俺と緑は、軽トラックの下に残っていた毛玉を撃退していった。


 アルバイトから帰ると、定時で仕事を切り上げた母たちがそれぞれの家で夕餉の支度をしていたので、二人で夕食の支度をするつもりでいた緑は不満そうに自宅に帰っていった。俺は俺で、母の家事を手伝った。


 就寝後、いつもの夢空間に入ったと思ったのだが、様子がいつもと違っていた。周囲は暗く、テントの中で寝袋で寝ていたのである。隣に空の寝袋があったので、俺はテントの外に出てみた。外は河原で、空には満天の星空が広がっており、東の空に下弦の月が昇ってきていた。ダンジョンのどこの星空か分からない空ではなく、頭上には夏の大三角形が西に傾いており、秋の四角形が高く昇りつつあった。土星もあれば、北の夜空にはカシオペアと北極星もあった。この季節の知っている夜空が広がっているだけでも安心できるものだ。緑は、テントの裏側で、カセットコンロでお湯を沸かしていた。耳を澄ませると緑は一青窈の「ハナミズキ」を口ずさんでいた。歌が終わるあたりで、近づいて声をかけた。

「こんばんわ。月が綺麗ですね。」

「ずっと、百年続いても一緒に月を見てくれますか?」

「あなたと一緒に、月が欠けたる日も満ちたる日も、乗り越えていけたらいいですね。」

 緑の横に座ったら、紅茶のカップを差し出してきたので、受け取って肩を抱いてやった。

 緑がGReeeeNの「キセキ」を口ずさんでいたので、返しに俺がGReeeeNの「オレンジ」を口ずさんだら、大塚愛の「プラネタリウム」と緑が繋いでいった。たまにはこんな時間があってもいい。何より緑の機嫌がいいからね。緑は何曲かループさせながらメドレーした後に「涙そうそう」で終止符を打った。歌詞カードなしに歌える曲は意外と少ない。俺たちは日の出を拝んだ。


 食事を終えて、この後どうしようかと考えていたら、緑がテントの中でごそごそと何かを始めていた。テントから出てきた緑は紺の競泳用風のワンピースの水着に着替えていた。緑のスタイルはいい。グラビアを飾るモデルの色気というより、スポーツ雑誌を飾るアスリートの力強さを感じる。本人は胸を強調して、細いんだぞとポーズを極めているつもりなのだろうが、筋肉質であることを強調する結果になっていた。運動といえば、家事と風呂前の木刀の素振りぐらいしかしていないのに、よくもこの体型を維持できているものである。体力の回復や疲労回復目的で体脂肪率を下げる方向で体を活性化する魔法を俺が度々かけている影響もあるのかもしれない。健康的で素敵だと褒めてやると、紙袋を俺に投げてきた。川で泳ごうと言う。水着なんか持っていたかなあと思うのだが、紙袋の中を見たら、俺の知らない男物のビキニの紺の水着が入っていた。緑によると、この水着を買った時にセットで買ってきたという。ありがたく使わせてもらう。それにしても、なんでビキニなんだ? 互いの下着を洗濯したことがあるまでに所帯じみた関係にはなってきていたが、トランクスの方が買いやすかったのではないか?


 この夢空間は、緑がプロデュースした夏の想い出にしたい山遊びということのようだ。アルバイトの期間が終われば、夏休みは半分以上終わっている。8月の下旬の登校日には、8月度の定期テストが待っている。ここは大いに楽しんでおいた方が良いだろう。夢空間で勉強したり、部活の創作活動をしたりすれば時間は稼げるとはいっても、時間が有限であることには変わらない。楽しめる時に楽しんだ方がいい。そういえば、緑と一緒にいる時間は長くなっているが、普通のデートというのはしたことが無かった。アルバイト料が出たら、一緒に買い物に出かけるのもいいだろう。


 そろそろ正午といったところで水遊びを切り上げると、緑が雑多な道具を取り出してきた。こね鉢に、めん棒、こま板、蕎麦包丁、のし板、まな板、篩・ふるい受け・刷毛・粉とり・すいのう・生舟・打ち粉入れ・土たんぽ・つゆ入れ・湯筒・薬味入れ・升・釜ゆで棒・揚げざる・ためざる・スクレーパー・メジャーカップ・鬼おろし・そば紙……つまり、ここで蕎麦打ちをしろということですか? 父たち兄弟は蕎麦が好きで、時間があれば、蕎麦粉から自分で蕎麦を打つ。それを俺たち子供も手伝わされているので、それなりに作ることはできる。そういえば、紹介してくれたアルバイトもソバの作付けがメインだったな。

「緑、どうしたの?わざわざ用意したのか?」

「そうだよ。機会があったら直人に打ってもらおうと思って準備していた。こんなところで蕎麦が食べられたら素敵でしょう?」

「結構、欲望に忠実だよな。」

「茹でるのと、薬味や付け合わせは私の方でやるから、麺打ちだけやってくれない?」

 お願いと手を合わせられれば、仕方ないと応じた。ここまで準備しているということは、断れば面倒なことになる。最近、緑はどうすれば俺が断らず要求を引き受けてくれるのか見切っているところがあるので、断りにくいのだ。

 俺は、のし板を固定できる平らな場所を確保すると、作業を始めた。それを確認した緑がカセットコンロを二つ用意して、調理を始めた。天麩羅を作るつもりのようで、本格的にやるつもりのようだ。少量の蕎麦粉に湯をかけて練ってやりツナギにする。ツナギを使うのは邪道という人もいるが卵とか小麦粉のツナギではないだけ進歩したともいえる。父なんかツナギを使わなくてもできるのだが、俺がやると失敗することが多い。この時点で失敗してもリカバリーする方法はあるが、作る量が増えてしまう上に微妙に味が落ちる。水を入れては混ぜを繰り返して、水を入れ過ぎないように注意する。小さな固まりにまとまってきたら、本格的に練っていく、菊練りして均等に練り上がったら、へそ出しして円錐状の塊にしてそれを圧し潰すことで空気抜きをする。乾燥しないように布巾で包んだ後、こね鉢などこの後の工程では使わない道具を片付けてしまう。のし板に蕎麦粉を振って、ソバの記事の玉を延していく、丸出しして丸くのした後、角出しで四角に延していく。四角く伸ばした生地を適当な大きさに切って畳んでから、一息入れる。まな板の上に畳んだ生地を置いてこま板をかぶせ、幅に注意しながら蕎麦を麺に切っていく。緑の方を見たら、天麩羅を揚げ終わって、片付けを始めていた。お湯の準備はできているようだ。緑に出来上がった蕎麦を見せたら、「切り方がいまいち80点」などと言われてしまった。まだまだ父親たちのようにはうまくいかない。茹でるのは緑に任せて俺の方は片付けに入った。片付けが終わってしばらくすると、茹で上がった後に冷水で締められた蕎麦が揚げ笊に盛り上げられていた。

 一つの笊を二人で突いて食べる蕎麦もいいものだ。少し緑が食べている量の方が多い気もするが、材料は緑が用意したものであるし、あえて言わないでおく。蕎麦は準備する時間は長くても、食べる時間は短い。蕎麦湯を飲みながら、のんびりするのも良かろう。


 午後になって、緑を背中から抱きしめた状態で河原に腰かけて、川の流れを見ながら駄弁っていたら、いつの間にか眠ってしまったようで、気が付いたら、現実の俺の部屋で、俺を起こしに来たら抱き着かれて藻掻いている緑の姿があった。

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