第17話 波紋の広がり
時期に多少のずれがあったが、飯縄ダンジョン以外のダンジョンでも、ダンジョンの拡大に伴う集団行方不明事件が発生していた。日本国内だけでも推定1200万人もの行方不明者が短期間に発生しては、ただでさえダンジョンの発生で人手不足気味になっている行政では対応しきれない状況になっていた。いや、行政が崩壊して無政府状態になったと言った方がいいかもしれない。勤務時間中の官庁街で庁舎の中にいた人間すべてがダンジョンに捕獲されて帰らぬ人になった例も多く、政府が行政を維持できなくなっていたのである。企業も本社機能が停止したり、工場が操業を停止したりするなどの影響が出ていた。
ダンジョンの拡大は、飯縄ダンジョンのように第1層と第2層が同時に拡大していたところもあれば、第2層のみが拡大したところもあるようだ。この数日で分かってきた新たな傾向として、第1層と第2層の別々に単位面積当たりの最低滞在人数を満たしていないと、ダンジョンによる捕獲が発生する傾向が見えてきていた。行方不明者が転移された先は、数少ない生還者からの推定で第2層より下の階層がほとんどだったようだ。
世論の中には、何も準備をしていない状態で未開の場所に転移されてモンスターに襲われるよりは、多少の危険はあっても第1階層にいた方がむしろ安全なのではないかという憶測すら流れていた。そのため、ダンジョンに対する入場制限ができていない海外のダンジョンでは、第1層に難民キャンプができる状態となっていった。しかし、農業が可能な条件がそろっているとはいえ所詮は未開拓のただの草原である。木材資源が不足気味であることに加えて、ダンジョンが動物の死体と認識している物は24時間で消滅することから食肉関連の流通が十分にできず、次第に困窮するようになっていった。
友人の遺族からの仕打ちに愚痴を言っていたのが悪かったのか、俺の父である尚人が、気晴らしをして来いと俺と緑に夏休み中のアルバイト先を紹介してくれた。飯縄ダンジョンの第1層に土地を借りた農家が実験的にソバを栽培するのでその作業の手伝いだった。100haの土地に秋ソバの播種をするというから、結構大規模だ。これがうまくいったら、より大規模に農地として開発を行うのだという。俺たちの作業は、主に資材を積んだ軽トラックとロータリーシーダーを装備したトラクターの間で荷物を運ぶのが主な作業になる。
日の出前に飯縄ダンジョンのゲートをくぐって集合場所に行ったら、佐野祥子と加藤晃も同じアルバイトに来ていた。今回の集団行方不明事件で部活動が停止になったのと、数少ない生還者だということで迷惑行為をする人たちがいたそうで、そこから避難する意味もあったようだ。そういう人たちはダンジョンを危険視しているので、ダンジョンの中であればちょっかいをしてこないようだ。俺たちの両親も同じことを考えたのだろう。ダンジョンの脱出ゲートから4kmほど離れたところに、高さ3m全周4kmのフェンスの柵に囲まれた耕作地が広がっていた。もう既に面積にして半分程度は作業が終わっているという。体を動かして作業をしていれば余計なことを考えずに済むのはありがたい。
昼休みになって、佐野祥子と加藤晃が俺と緑の所に昼食を一緒に摂ろうとやってきた。提供されたのは、コンビニ弁当にお茶のペットボトルというものだった。彼らに清水菖蒲と木村尚武、鈴木早苗、工藤勇武の4名の最期と、遺族への事情説明であったことを説明した。
「相場達には貧乏籤を引かせてしまったみたいだな。生還できたのは俺たちも同じなのに。」
「菖蒲と早苗は幸せだったのかな? 生きて帰ることはできなかったけれど好きな彼氏に身を張って庇ってもらっていたんでしょう。」
加藤は涙ぐむ佐野の肩を抱きしめながら、俺たちに申し訳なさそうにしていた。
「祥子と加藤君は、運が良かったことを感謝しなきゃね。」
「緑はどうだったの?」
「私は直人に感謝するしかないよ。春にダンジョンに捕獲されたときにスキルと装備をいくつか拾ってきていて、そのスキルで食料やらキャンプ用品とかいろいろ持っていてくれたから助かった。」
「そうなんだ。」
「簡単にゲーム的に説明すると、アイテムボックスと身体強化と念動力みたいなものかな。魔法もあるけれど、回復系以外は実用的ではない。加藤、ほい、疲労回復。」
「直人、楽になった。ありがとう。」
「使い熟せるかどうかわからないが、『格納(アイテム)』のスキルオーブなら2つ在庫があるからお前らに渡しておく。このオーブを触ってみてくれ。触るだけで体に取り込まれる。」
「遠慮なく、祥子ももらっておきなさい。使い方は感覚で分かると思う。手に持っているものを仕舞いたいと思えば仕舞えるし、出したいと思えば取り出せる。鍛えれば容量を増やせるみたい。」
加藤と佐野はさっそく持っていた箸を消したり出したりしている。
「防災用非常食ぐらいは入れておいた方がいいよ。私たちはそれで生き延びた。」
「スキルオーブがあまり話題にならないのは、『鑑定』のスキルを持っていないと何のスキルを自分が取り込んだのか分からないうえに、しっかりイメージしないとスキルが使えないからだね。スキルオーブ自体が希少であるけれど、自分が持っていないスキルのスキルオーブを触ってしまうと体に取り込まれるから流通も難しい。」
「スキルもいい物ばかりではないよ。スキルの一つが厄介な代物で、直人から結婚指輪をもらって事実婚の夫婦になった。」
「夫婦って?」
「24時間いつでもどこでも双方向で浮気チェックができるストーカー的なスキルと言えばわかるかな?」
「スキルの影響で俺と緑がお互いにお互いのことを理解し過ぎて、事実婚をするという形でけじめをつけないと気持ち的に身動きが取れなくなった。」
「法律婚はまだできないしね。」
「とっても素敵で、とっても残酷なスキル。直人、ことあるごとに言っておくけれど、きっちり夫としての責任を果たしてもらうからね。」
「俺たちの両親も交際を認めてくれたし、俺が夫としての責任を果たした分だけ、緑が妻として責任を果たしてくれればそれでいい。」
額を突き合せて睨み合う俺と緑に、佐野と加藤はあきれていた。
その日の作業が終わって帰る時に、俺たち4人のアルバイト組は荷物が無くなった軽トラックの荷台に便乗していた。タイヤがパンクして軽トラックが止まった時に、毛玉の200匹以上の群れが近づいてくるのを感知した。
俺は、具足樹のプロテクターなどの装備を召喚した。各装備が装備されるべき場所に現れて装備されていく。左手に『盾樹のラウンドバックラー』が現れ、右手には『刀樹の木刀』が現れた。装備を確認しながら緑に声をかけた。
「緑、俺が引き付けるから、緑は車の方を頼む。」
緑が具足樹のプロテクターなどの装備を召喚して、準備ができたのを見届けてから討伐に向かった。
突撃してくる毛玉を『盾樹のラウンドバックラー』でいなしながら、『刀樹の木刀』で毛玉を潰していった。木刀を振りぬくついでに緑に目をやれば、緑が『盾樹のタワーシールド』で佐野達を庇いながら奮戦している姿が見える。車の前から毛玉がいなくなったのを確認してから後ろを見ると、車の後方で再び毛玉が集団になっているのが見えた。毛玉の群れを地面に縫い付けるように威圧して、俺も車の後方に移動する。威圧が効いたのか、いつもはボンボンと跳ねている毛玉が地面に縫い付けられたように動かなくなっていた。この隙に殲滅していく。
「直人、こっち。」
緑の声の後にガツンと鈍い音がした。リビングメイルと押し合いをしている緑の横から突撃して、リビングメイルの弱点である脇を刺突する。胴体を失ってバラバラになって転がったリビングメイルのパーツに緑が止めを刺していった。
「直人、毛玉の群れにリビングメイルのボスの組み合わせって初めてだねえ。」
「モンスターの側も変わってきているということなのだろう。面倒だなあ。」
具足樹のプロテクターなどの装備を送還してから、緑を抱きしめて、そのついでに回復魔法をかけた。
周囲を見ると、魔石やオーブがいくつか転がっており、残骸が消えていった後に具足樹が生えてきて群落になっていった。軽トラックは車体の鋼板が凸凹になっており、フロントガラスにも蜘蛛の巣のような罅が入っていた。ドアが開かないようで、運転していた農家の人がフロントガラスを内から砕いていた。彼は、窓から車を降りると変わり果てた車の姿に肩を落とした。
「加藤、もったいないからアイテムを拾ってくれ。」
「おいおい、お前ら、いったいどこの特撮戦隊に所属したんだ?おかげで助かった。ありがとう。」
「それなりに鍛えないと、あんなのが何度も襲ってくるダンジョンで生き残れないよ。」
「俺たちは、本当に運が良かったな。」
佐野祥子は、すっかり怯えてしまって加藤の背に張り付いていた。
「加藤は、佐野のことを守ってやりたいのだろう。今、ここに、俺たちが使っているプロテクターの元になっている具足樹が群生している。スキルオーブも何個か転がっているのが見えるだろう。使って強くなれ。大切な人を守るには力がいる。」
加藤と佐野は、ドロップ品の品定めを始めた。
「いいこと言うじゃない。」
「守られるだけでは嫌な女もここにいるがな。」
「だからって、無断で実験動物扱いした恨みは忘れていないからね。」
緑は俺にデコピンをして、そこに口づけをするとともに回復魔法を俺にかけた。ひどいマッチポンプだ。
軽トラックは、パンクを直せば動くことはできそうなことが分かって、俺たちはタイヤの交換を手伝った。少し時間が遅くなったが、第1層の脱出ゲートに着いた俺たちは、警備事務所に事の顛末を報告してから帰宅した。
加藤達を守れたことで、少しだけ気持ちが軽くなった。
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