第16話 帰還
膝枕をしてくれていた緑は、俺が起きたのに気が付くと、申し訳なさそうに謝ってきた。
「直人、昨日はみっともないところを見せて、ごめんなさい。」
「友達の死を目の前にして、ましてやその亡骸が自分の手の中から消えていくのを見れば、感情が高まるのは仕方がないよ。」
「でも……」
「緑は悪くない。一時的に、動揺していただけだよ。それを受け入れるぐらいの甲斐性はあるつもりだ。」
「私、直人の負担になっていない?」
「お互い様だろう?」
「どういう意味?」
「緑が俺の負担になっている程度には、俺が緑の負担になっているだろう?」
「狡い答えね。」
「究極に重い女と究極に重い男のカップルなんだから仕方あるまい。」
「やっぱり自覚があったんだ。」
「スキルのおかげで、互いを知るのに相手を拘束する必要が無い。俺は緑のことを自分のことのように把握できているし、緑は俺のことを自分のことのように把握できているはずだ。知りたければ、心を開いて感じるだけでいい。必要なのは理解して受け入れること。敵意を剥き出しにすれば、ヤマアラシのジレンマになるだけだ。」
「距離感って難しいね。」
「肯定するだけでもダメ。否定するだけでもダメ。心配し過ぎても、尽くし過ぎても、拘束し過ぎてもダメ。」
「だから、一緒に理解し合う意味がある?」
「かえって、緑のことを理解するより、自分のことを理解する方が難しいかも?」
「やっぱり、狡い。」
「俺たちは狡い。他のカップルなら相手の自由を拘束してでもいろいろ知りたくなっただろうが、わざわざ何か行動してチェックするまでもないからね。」
「ああ、開き直った。でも、これもお互い様か。」
「結局は、抱きしめ合って、顔を見て語り合う必要があるのは業が深いね。」
緑が選んだ朝食は、缶詰のパンにビーフシチューだった。レトルトを湯煎するだけには多すぎるお湯を沸かしていると思ったら、さすがに2日も風呂に入っていないので、体を拭いて欲しいのだという。食事の後にテントを張って、中で拭いてしまうことにする。
さっそく緑を脱がそうとしたら、匂いを嗅ぎつつ先に俺のことを拭いてくれるというので、任せてしまう。温かいタオルで拭かれるのが心地良い。髭を剃ってくれたのはいいがそのカミソリって緑のムダ毛処理用だよねって言ったら、新品だから先に直人に使ったと言われた。緑が言いたいことを理解して、ここでできるフルコースで対応することにする。昨日のこともあって気分転換もしたいのだろう。背中から始めて、手足、デリケートな部分に至るまで丁寧に拭いてやった。魔力も活用して、ストレッチとマッサージも行い、ムダ毛を処理し、爪も整えてやった。お湯が余ったので、可能な範囲で髪も濯いだ。緑の着付けを手伝った後に、俺も予備の服に着替えた。
テントと結界を片付けたら、緑と俺でそれぞれダンジョンのゲートがある方向を探ってみた。だいぶ近くにはなっているようだ。
出発してから間もなく、20匹ほどの毛玉の群れに襲われた。今まで後衛に徹していた緑が前衛をやりたいというので、任せて支援してやった。仇を打ちたいのは分かるが、それでは過剰攻撃だ。追撃が来ないか警戒しつつ、緑の攻撃のペースを調整するように動いた。
2時間ほど移動したら、巨木の下に塚があってその前に鳥居があるというダンジョンのゲートが見えてきた。でも、記憶をたどってみると、飯縄ダンジョンの第1層の脱出ゲートではないようだ。それでも、近くにプレハブの建物があって、ゲート前には警備の人が見える。完全なハズレではないようなので安堵した。
具足樹のプロテクターと盾樹の盾に刀樹の木刀と完全武装していたのがまずかったらしく、プレハブの庁舎で事情聴取されることになった。前回は、身元確認と健康診断だけで解放してくれたのに、状況が変わったようだ。氏名、住所、ダンジョンに入った経緯、ダンジョン内での行動、持っている装備、スキルについてと、細かく事情を聴取された。完全に不審者扱いである。
「だから、すでにダンジョン内での戦闘経験済みでスキルがあったうえに、格納スキルで装備とか物資を持っていたからこそ、ここまで生き延びることができたのです。緑については、俺のスキルの巻き添えで、疑似的にダンジョンを経験してスキルと装備を獲得していたのが大きいです。俺たちの事情は理解していただけたでしょうか?現在の状況ってどうなっているのですか?」
「まず、ここは、飯縄ダンジョン第2層の脱出ゲート前の警備事務所です。今回、4月より大規模に4000人以上の行方不明者が出ています。ダンジョンが成長する時に最低滞在人数が変わって、ダンジョンによる人間捕獲が発生することがあります。今回もその類の状況だと認識されています。今日までに第1層も第2層も規模が大きくなったことが確認されています。ただ、4月の発生時と違って、生還者がほとんどいないのが今回の特徴です。清水菖蒲と木村尚武、鈴木早苗、工藤勇武の4名については、あなた方の証言で初めて死亡が確認された人物になります。佐野祥子と加藤晃の両名については、幸運にもこの事務所の前に転移され、すでに保護されています。」
「佐野と加藤は無事だったんだ。」
「この後ですが、夕方の定期便で飯縄ダンジョン第1層の脱出ゲートに移動していただきます。念のため、脱出ゲート前の診療所で健康状況の確認をしてもらいます。そこまで保護者である相場尚人さんが迎えに来るそうです。」
警備員に誘導されて第2層の脱出ゲートを通過すると、第2層への下降ゲートの前にもプレハブの庁舎があり、サファリパークの園内観光バスといった感じで、アニマルガードが付いた大型バスが待っていた。ゲート間は移動の幹線として未舗装の道路ができており、ダンジョン内に部品を持ち込んで組み立て直した車両で移動しているのだという。そこから、未舗装道路特有の振動と、たまに突撃してくる毛玉を弾き飛ばす振動とが混じっていたが1時間ほどで第1層の脱出ゲートに着いた。
第1層の脱出ゲートの付近には多くの建物が建てられていた。ダンジョン内の最低滞在人数を満たすために特別養護老人ホームなどの滞在型の福祉施設が建設され、すでに運用開始されているためである。一部で、本格的に鉄筋コンクリートで施設を建設開始している工事の現場も見える。建物の近くにはソーラーパネルが軒を連ねており、その外側にトウモロコシ畑が広がっていた。
診療所で簡単な問診と受けて、診療所のロビーに戻ってきたら、父が待っていた。
「よく無事に帰ってくれた。あまり心配をかけるものではない。」
そういって、俺と緑の二人を左右に抱きしめてくれた。
父に連れられて帰宅すると、母と緑の両親が待ち構えていた。再び心配をかけてしまったことを謝罪するとともに、いろいろあったものの緑を連れて帰れたことを報告した。
抱き合って涙する緑の家族の様子に、4月に俺がダンジョンに捕獲されたときもこうだったのだろうと、改めて自分の両親や緑の両親に心配をかけたことを謝った。
翌日、清水菖蒲と木村尚武、鈴木早苗、工藤勇武の4名の家族が面談を希望したため、会うことになった。俺と緑が出席し、念のためと言って、俺の父が面談に付き添ってくれた。時間を追って、カラオケ店で出会ってから、ダンジョンに捕獲され、4名の亡骸を発見し、その亡骸が目の前で消滅したところまで俺は説明した。「お前たちは何で生還できたんだ」という怒りに満ちた追及を遺族たちから受けた。しかし、俺がダンジョンに捕獲されたのが2回目でモンスターに対処できるだけの能力があって、格納スキルで装備や食料を持っていたからこそ俺たちは生還できたのだ。佐野祥子と加藤晃が生還できたのは転送された場所の位置の運が良かっただけのことである。友人を亡くした悲しみを共有することはあっても、直前に同行していて、たまたま亡骸の消滅に遭遇しただけの俺たちが殺人犯扱いされる筋合いはない。4名を捕獲したのはダンジョンだし、ダンジョン内では行動を共にしていなかったし、彼らを殺したのはダンジョン内のモンスターである。俺たちに何ができたというのだ。面談は後味が悪いものになった。
今回の飯縄ダンジョンによる集団行方不明事件による被害者は、最終的に生還者4名、行方不明者4088名、死者4名となった。もっとも、亡くなってから24時間以上が経って亡骸がダンジョンに吸収された後だろうから、行方不明者が発見されることはもはやないだろう。
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