第10話 体力測定
登校が再開されたクラスでは、何処か空気が変わっていた。緑を目の敵にしていた後藤貴代のグループがいなくなった影響がそれなりにあったようだ。それでも、緑がクラス委員の委員長で、俺がその下僕であることは変わらない。根拠もなくマウントして下に見ようとする圧力が無くなっただけでも過ごしやすい。何か怯えのようなものが混じっているなと思ったら、「クラスメイトを威圧して何をしたいの。」と、緑にコツンと殴られた。それと同時に周囲の変な気配も消えたような気がする。
放課後になると、緑とともに図書室に行った。文芸同好会の仕事として、本の貸し出しと整理をするためである。作業自体は、図書室の司書をしている俺の母の手伝いである。
文芸同好会の顧問は、俺の母である志保先生で、本業は国語の教科担当である。母は非常勤講師なので、別途、緑の父である隼人先生が正規教員として部長になっている。隼人先生は、同じく音楽の教科担当の非常勤講師である緑の母である美保先生が顧問をしているブラスバンド部の部長でもある。隼人先生は生物の教科担当で生物部の顧問もしていたはずだが、教員の人事にも正規と非常勤との関係でいろいろあったらしい。
文芸同好会の図書室関連以外の活動は、週に一度行っている市販作品の読書感想やメンバーの作品評価を行う討論会と、個人の創作、それらの成果をまとめた同人誌の発行である。同人誌は、文化祭向けの公式のものと、アニメや漫画の二次創作を中心とした非公式なものとを作っている。夏休みを前にした時期は、3年生の引退作品を受け取って校正作業をしている。夏休みになったら、各自がそれまで温めてきたプロットで自分の作品を書く予定になっている。読書感想文コンクールや、各種ラノベのコンクールなどにも応募しているのでやることは多い。OB/OGにプロの作家こそいないが、作品が書籍化されたことがある一発屋の先輩なら数人いるというなかなか硬派な同好会である。1年生が俺たちを含めて4人、2年生が4人、3年生が4人……いくつかある同好会の中では最大規模だが、1学年5人以上で2学年以上いることが部の条件なので部に昇格しきれないでいる。
部活は、高校でもバスケットを継続しても良かったのだが、俺の方は同じ中学だった先輩に邪魔だからマネージャーならいいぞと言われたのが癇に障り、緑の方も部活でまで後藤貴代と関わりたくないと入部を諦めたので、緑とともに文芸同好会に入会したのである。母が歓迎してくれたので、良かったとしておく。
7月になって、延期になっていた体力テストが行われた。
夢空間から帰還するのに毎度大量の毛玉を斃しているためなのか、中学で部活をやっていたころ以上に動けている気がしたが、長座体前屈が50cmで7点だった以外は10点で77点だった。中学の時60点ぐらいだったのでだいぶ向上している。緑に確認したら、緑は長座体前屈が54cmで8点だった以外は10点で78点だった。勝ち誇られたのがなんか悔しい。家に帰ってから、緑に直人は体が硬すぎるといって、ストレッチをやらされたが、ここぞとばかりに68kgほどある体重をかけられたのは痛かった。そこで一言余分なことを言って、「失礼な!BMIは22ぐらい。腹に贅肉なんてないことをその身をもって味わえ。」と上四方固めにされて、圧し潰された。
体力測定で一緒のグループで回ったのをきっかけとして、緑のところに佐野祥子が休み時間によく来るようになった。祥子は、バレー部で、身長160cmぐらいで既にレギュラーとして扱われている期待のリベロだという。犬でいうと豆柴がはしゃいでじゃれているような感じがする瞳がきれいな娘である。既視感があると思ったら、小学校5年生ぐらいの時の緑に容姿がよく似ていた。緑の体力測定の記録を見て興味を持ったらしい。
昼食の時に俺の弁当と緑の弁当内容が同じことに気が付いて、近くにいた俺を揶揄ってきた。
「相場君と相場さんって仲がいいけれど、お弁当を作ってもらったの?」
「半分正解。俺と緑の二人で作った昨夜の夕飯の残りと朝食用に下拵えしてあったのを、それぞれの母親が弁当に仕立てたから同じになったんだよ。俺の両親の弁当も、緑の両親の弁当も、同じ内容のはずだ。」
「相場さんは相場君と交際していると……いいねえ。」
「直人は、彼氏というより家族ね。もともと従兄妹ではあるのだけれど、いろいろあって、内縁の夫婦として家族になっている。」
「高校に進学したときに緑の一家が引っ越してきて、家が隣同士になったというのもあるが、ここ数か月は寝ている時と風呂に入っている時以外、俺の家にいて同棲しているようなものだったしな。」
「あれは直人が悪い。ダンジョン中に捕獲されて心配させた直人が悪い。」
「結局、仲がいいんじゃない。」
「祥子だって、加藤君と仲がいいと聞いた。」
「家が隣同士で、腐れ縁なだけだよ。」
「幼馴染っていいね。」
「生活圏が同じで、よく鉢合わせしているだけ。」
祥子は、藪蛇になったとばかりに照れて、そそくさと逃げていった。
その様子を近くで見ていた加藤が俺のところにやってきた。
「相場君、佐野と俺は、そんなのじゃないから、いじめないでやってくれ。」
「まあ、二人の関係を詳しく知っているわけではないから、そういうことにしておこう。」
「佐野を揶揄っているのを見かけたら、俺がおまえを揶揄ってやろう。」
「でも、大事な友達なのだろう?本命の彼女ができるまで、女の子の扱い方を覚えるための練習台になってもらえ。いい思い出ぐらいにはなる。」
「相場さんは、明るくなったな。」
「緑は、自信を取り戻して素に戻っただけだよ。そういえば、緑と同じ中学だったか?」
「ボッチな優等生という印象しか残っていないな。」
「緑は、ちょっと融通が利かないだけで、素材はいい子だよ。苦労しがいがある相手だよ。」
「直人は、私をその気にさせたのだから、責任を取らないとね。家族なのだから。」
「生涯、大切にさせてもらいます。」
「加藤君、言葉で伝えて、行動で証明しないと、相手に気持ちなんか伝わらないのよ。」
流れが悪くなったと、加藤は自分の席に戻っていった。
夕方18時。運動部は練習を終えて下校する時刻である。図書室で自習していた3年生の先輩方も下校の時刻である。俺と緑は、図書室に誰もいなくなったことを確認してから、志保先生に報告して図書室を施錠してもらった。教員も終業時刻であるはずだが、あと1-2時間は残業代が出ない残業をしていくことが多い。野球部も18時で練習を終了する必要があるので、市立飯縄高校野球部の看板を下ろして、OB達をメンバーに加えて草野球チーム・飯縄サンダーズの看板を掲げて、2時間ほど練習を続ける。
図書室を後にした俺と緑は、一緒に帰ることにした。両家の冷蔵庫にある食材を思い出して、今日の夕食と翌日の弁当のメニューを相談しつつ歩いていく。
「直人、あそこ見て。」
「どこ?」
「次の交差点の横断歩道の所。」
佐野祥子が加藤晃の腕を抱きしめて、楽しげに会話しながら信号待ちをしていた。
「幸せそうね。自覚が無いのかしらね。羨ましい。」
「あれは、本人たちが自覚していないから、自然にできているのだと思うぞ。」
緑は何か逡巡して何事かブツブツ言っていたが、俺の腕を抱きしめてきた。
「意識してやろうと思ってやると、恥ずかしいものねえ。」
「普通は、ちょっと出ししながら距離を詰めていくものだろう。理性では否定しても、自然と腕を抱いてしまえるほど心理的な距離が近いのだよ。」
「そうね。いつかの夢では、あなたは、交際開始からプロポーズまで10年もかけたものね。」
「カップルごとにカップルの事情というものがあり、自分達のペースで絆を築くしかないのかもな。」
そんなことを話しているうちに、ポツポツと雨が降り出した。俺は人目から緑を隠すように体勢を入れ替えると、そっと頬を合わせてから、「濡れないようにね」と囁いてから、緑を『格納(ハーレム)』で収納した。緑が混乱して慌てているのを感じるが無視する。俺自身は、折り畳みの傘を出して差した。本降りになる前に帰ろうと道を急いだ。
「……突然抱き寄せるのって狡い……」
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