第7話 再開された授業

 5月8日月曜日、今日からリモート授業で授業が再開されることになった。新型コロナの騒動の副産物でリモート授業を行うインフラはそろっていたからである。もっとも、一部の学校ではもうしばらく休校が続くようである。


 ニュースによると、ダンジョンの第一階層にいる人口が64人未満になると、ダンジョンから10-20km以内にある人口密度が一番高いところから一定範囲にいる人が全員転送されるということが分かってきたそうである。どれだけの人数が一度にダンジョンに捕獲されるかはダンジョンの規模に依存するようだ。駅、列車、バス、学校などの人が集まって一定以上の密度になる公共施設はすべて危険地帯となってしまった。

 5月7日までに日本国内で確認されたダンジョンの数は、3510個にも及んだ。公立の高校が日本に3521校あるそうだから、その数に匹敵する数である。最低でも22.5万人の人員をダンジョンの第一階層に居住させておかないと、いつダンジョンの中に引きずり込まれるか分かったものではない。しかし、自衛官の数が約24万人、警察官の数が約26万人なので、交代で投入したとしても、自衛官と警察官では通常業務もあるので数が足りない。現在は、市区町村の福祉関係を除く一般行政職の公務員まで動員している状況だという。

 そこで厚生労働省の事務次官が、常駐していれば安全が確保できるのだから、防御をしたうえで、特別養護老人ホームなどの居住型福祉施設や刑務所をダンジョン内に設置することで人員を確保したいと発言をしてしまった。ダンジョン内には土地だけはふんだんにあるし、壁で物理排除可能な毛玉ぐらいしか生息していないのだから、常駐している人間が特別な資格を持っている必要もないということである。それを受けて、現在の『姥捨て山』だと野党は、一斉に与党を攻撃し始めている。

 どういう解決策にするにしても、安心して学校に通学できるのはだいぶ先になりそうである。


 一方で、ダンジョンからエネルギー資源が得られるのではないかという話が話題になっていた。ダンジョン内のモンスターを斃した時に死体が崩壊してダンジョンに吸収されても比較的長時間残っているアイテムのうち、鉱石的なものを魔石、透明度がある結晶状のものをオーブと言っている。これらは、構成する元素が魔力を受けて未知のバリオンにより原子核が特殊な相転移をした状態である魔力粒子が集まったものである。魔力粒子化しやすい元素は、ホウ素、炭素、アルミニウム、珪素が代表的で、次いで窒素、酸素、燐、硫黄となっている。魔力粒子となった元素を含む結晶が、魔力を放出する魔力崩壊と魔力を吸収する魔力粒子化とで持続可能な平衡状態が取れて結晶構造を持つと魔石/オーブになる。結晶構造にはフラーレン型やナノチューブ状の複雑な構造がある。生命活動や精神活動との干渉が観測されているが詳細は分かっていない。魔力粒子化した酸素原子には触媒効果があり、詳細な反応は調査中であるものの、魔力粒子を不可逆的な魔力崩壊させて水素やヘリウムと光子に分解されエネルギーを放出することが分かった。これを利用して、特定の条件で水に反応させることで高効率な高熱原体として使えそうということである。

 もっとも、魔石の継続的な取得とか、発電するためのプラントとか、いくつも問題があるので、気の長い夢のような話である。


 両親が勤務先に出かける時刻になって玄関で送り出そうとしたら、制服に着替えた緑が、ノートパソコンを片手に俺の家にやってきた。

「尚人伯父さん、志保先生、おはようございます。」

「おはよう。緑ちゃん。今日はなんかかわいくなっているわね。」

「先生、直人とこちらで授業を受けようと思って、来たのですけれどいいですか?」

「いいわよ。しっかり直人を監視しておいてね。」

「母さん、俺は監視されていなくても勉強するぞ。」

「直人、交際を始めたからには、しっかり勉強して、稼げるようになってもらわないと、将来的に夫婦になる私たち自身が困るの。」

「なんだ。直人は、もう妻の尻に敷かれているのか。それぐらいの方がいい関係が長く続く。」

「私が一人でリモート授業を受けるのが寂しいだけなのだけれどね。」

「それでは、緑ちゃん、お願いね。」

 両親は笑いながら、仕事に出かけて行った。


「緑、制服である必要があるのか?」

「メールをしっかり読んだの?」

 さっそく、緑に叱られた俺は、緑に紅茶を淹れるように頼んで、着替えることにした。


 市立飯縄高校の制服の第一印象を問われれば、紺色のリクルートスーツという答えが返ってくるだろう。変わったところでは、生徒だけでなく教師にも同じ制服が適用されている。制服はフォーマルであるとのポリシーで着崩しや変形には比較的厳しい。教師にも同じ制服が適用されているので、教師が着崩しの基準になっている。ラフな服装でいたいなら学校指定の体操服にジャージでいろと言われる。

 制服は、男女共通でリクルートスーツ風のジャケットとスラックスが基本で、ネクタイかリボンが必須になっている。リボンは教師が単色の紺で、生徒は学年ごと赤、青、緑の色違いのラインが入っている。選択可能なオプションでジレ、カーディガン、パネルスカートが設定されている。

 ジャケットかジレ、カーディガンを着ていれば何も言われないが、ブラウスやワイシャツ姿、体操服でいると、白抜け以外で服の上から模様や色が透けて見える下着については注意対象になっている。スカート丈についても、座った状態で半月板が隠れるかどうかの長さにするように言われている。髪については、髪型には規定がないが、染髪については脱色が原則禁止で、黒または暗い褐色系の染髪は許容されている。化粧も禁止されていないものの女性教師の化粧を基準にして華美にならないようにという基準がある。職業学校と言われた時代の名残で、1年生と希望者には4月に化粧講座とマナー講座が開かれている。


 今日の緑は、昨日までのノーメイクとは違って、薄化粧をして髪もきっちりとまとめていた。制服とも相俟って面接に挑む就活生という印象である。優等生モードといったところだろう。きりっとしているところが魅力的だ。

 紅茶を淹れてもらったお礼に、緑のパソコンに我が家のネットワーク設定を追加して、俺個人で使っているNASの共有フォルダへのショートカットをデスクトップに追加しておいた。緑のユーザー権限では、ダウンロードしたネット小説のPDFファイルや、俺たち二家族の記念写真や記念動画などを参照できるようにしておいた。一部、緑に参照されると怒られたり削除を要求されたりされそうな微妙なファイルもあるが、さすがに軽蔑されそうなものは昨日のうちにすべて消去したから大丈夫だろう。


 時間が来て、クラスのチャット画面に担任教師が登場してホームルームが始まった。ホームルームでは、連休中に合宿するために校内にある学生会館に宿泊していた野球部48名が、飯縄神社の西側にできたダンジョンに捕獲されて、16名亡くなり、32名が生還したことが発表された。それ以外にも、16名が死亡し、俺を含む32名が捕獲されたが生還したことが確認されたのだという。担任教師の号令で黙祷が捧げられた。過密を避けるため、政府による対策が行われるまでは、リモート授業を継続する予定で、登校再開は未定であるという。

 そんな暗い空気の中で授業が開始された。学生の本分は学業なのだから仕方ない。


 昼になって、友人たちとのチャットをしていた緑を急かして、昼食の準備を始めた。上着を脱いでエプロンをつけて、二人で分担して調理をした。緑がわかめの味噌汁を作りつつご飯を配膳する傍ら、俺はボローニアソーセイジとモヤシをメインにした野菜炒めを作った。緑が友人たちとのチャットのプログラムを起動したままだったらしく、一緒に調理をしていた様子がチャットをしていたクラスメイトに中継されていたようで、食事を始めた途端に緑は揶揄われた。「直人が急かしたのが悪い」と照れた緑に俺は殴られた。


 午後の授業が終わり、そのままの流れで緑と一緒に授業の課題を終えてしまう。区切りのいいところで、紅茶とクッキーを用意して差し入れたら、緑は怒っていた。

「直人、あなたが、どうしてこの写真データを持っているのかしら。」

「緑に彼氏ができたら売りつけようと同じクラスの後藤貴代が隠し持っていた。緑のことが好きなら買えって脅されてな。中学時代のセーラー服姿に、運動着姿に、水着に、下着姿とかを含めて一括で3000円で買わされて、原本を消させた。そのうえで、美保伯母さんに通報したら、さらに3000円カツアゲされた。水着に着替える途中の上半身裸とかもあったけれど、さすがにもう消してしまってあるよ。」

「消しなさい。」

「それ以外は、美保伯母さんにもらった小学生の時の写真とか、中学に進学したときの制服姿とか、中二の夏の家族旅行の水着姿とか、いろいろ。」

「欲しいなら別のを私が選んで渡すから全部消しなさい。」

「緑の権限でも消せるようにしてあるから、ダメなのを消していいよ。」

「そうさせてもらう。」

「どんなのをくれるのか楽しみにしておく。」

 緑が泣きそうになっていたので抱きしめたら、胸を強調するように胸を押し付けてきた。後藤貴代にさんざ揶揄われて、中学三年生の夏まで男子生徒と見紛うほど胸が絶壁だったのがどうもトラウマになっていたようだ。去年のゴールデンウィークの時に着替えている緑の所に俺を蹴り上げてくれたのも彼女だったらしい。緑のことを目の敵にしていた4人ほどのグループのリーダーだったが、あのグループは深夜にカラオケボックスで遊んでいたところをダンジョンに捕獲され、全員亡くなっていた。俺に写真データを売りつけて得た資金で遊んでいたようだから、何が災いするのかわからないものだ。


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