掌編小説・『秋を感じた瞬間』

夢美瑠瑠

掌編小説・『秋を感じた瞬間』

(これは、#秋を感じた瞬間の、ブログネタで、アメブロに投稿したものです)


掌編小説・『秋を感じた瞬間』




「…このお題だと、有名な俳句と短歌が浮かびます。「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」と、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」です。どちらもまさに「秋を感じた瞬間」を截りとった抒情詩ですね?前者は戦国時代の武将・片桐且元の句で、豊臣時代の終焉を予感した意味に解釈されています。後者は古今和歌集の藤原敏行の歌で、立秋が来てもまだ秋が来た感じがしないけど、という意味で…」

 国語教諭の静かで優しい声が響いている。

 微かに緑色がかった黒板には「秋を感じた瞬間」と達筆の文字が板書されている。


 国語教諭はまだうら若い、瑞々しい乙女だった。彼女は着任して3年目だったが、さる地方の素封家に見初められて、近々花嫁として迎えられることになっていた。


 だから今日が彼女にとっても教え子たちにとっても「最後の授業」だったのだ。


 誰とも口づけすらしていない、初々しい唇にも今日は最後の授業なのでうっすらと紅を引いていた。


「新古今集には名高い「三夕の歌」というのがあって、寂蓮の「さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ」、西行の「こころなき身にも哀れは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」、それから藤原定家の「見渡せば花も紅葉も無かりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」の三つです。最初の歌の意味は…」


 粛々として、「最後の授業」は進行していった。


 窓外には秋の気配が垂れ籠めた、田舎町の風景が展開していた。


 陽は傾き、全てが少しづつ色褪せつつあった。


 印象派の絵画のような、静謐で物寂しい世界だった。


「平安時代の末期は末法思想が流行して「法滅」の時代と言われて、戦乱で世の中が乱れました。それゆえに「南無阿弥陀仏」を唱えただけで極楽浄土へ行けるという浄土宗が大衆の支持を集めました。十億万法土の彼方にある西方浄土にいませる阿弥陀如来への信仰が、西行の雅号の由来です。こうした「秋の夕暮れ」の美を愛でる歌が多くこの頃に作られた背景には、こうした西方、彼岸信仰が存在していると思われます…今日はここまで」


 優雅な身のこなしで、女教師は生徒たちに一揖して、それから短く退任の挨拶をした。


 感謝と惜別、生徒たちの前途への祝福のこもった、感動的なスピーチだった。


 生徒たちはみな泣いた。


 号泣する生徒もいた。


 女教師もつられてもらい泣きした。




 明日は彼岸であり、その「お彼岸」の由来がさっきの話で語られていることは、頑是ない無邪気な生徒たちは誰も気づいていなかった。


 しかし、学校の本義は寧ろ女教師の挨拶にこもった真情や言葉の美しさに深く心を動かされる、そうした体験を通じて人格が育っていく、そこにあるのだと思う。




 今日は忘れがたい記念すべき一日…一刻値千金で、千紫万紅の秋の日…


 一日千秋のこの日に因んで、女教師は身ごもったばかりの子供の名前を「千秋」にしようと秘かに決めたのだった…




<了>


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掌編小説・『秋を感じた瞬間』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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