第4話 翡翠色の瞳をもつ女
少女は背中を覆う程大きな鞄を背負い、前を歩く一団に離されまいと歩を進める。
ゴトゴトとリズムを刻む馬車の車輪。荷を運ぶ奴隷達はもう半日に迫った都への道を一列に並ぶ。最後尾の少女を気にかけるのは同じく後ろを歩く男がただ一人。
落ち着きなく後ろを振り向くわりに声をかけることもなく、代わりに荷物を持つわけでもない。ただ少女の視界に入るだけ。気にかけることで少女の疲労が軽くなると信じているのか、誰かに隠れるように歩幅を小さくしてみたり、歩みを遅らせたりを繰り返す。
「おい、ちんたら歩いてんじゃねぇぞ」
周りに比べると綺麗な服を着て髭の整った男が肩で風を切る。
告げ口でもあったのか、本来いるはずのない列の最後尾で馬車用の鞭をしならせる。ヒュッと風を切る音が列をなす者達の喉をグッと締めつける。それぞれ身体をさすりながら荷物を抱え直す音があちこちから聞こえて来る。
「チッ、だからガキなんか買ってもお荷物になるだけで嫌なんだよ。あんなヒョロヒョロのガキがいいなんて変態がいるなんて信じられねぇな」
ため息を一つ、ヒュッと風を切る音が二つ、少女の呻き声と啜り泣く声が三つ。
感情の込もらない規定通りの鞭打ちが終わると、卑しく手を出す者に一枚の硬貨を放り投げ面倒くさそうに馬車に戻る。
列は進む。予定を狂わすこともなく都に物資を運ぶ。
膝を着き呻く少女の胃袋からは何も出てこない。絞り出す嗚咽で息は浅くなり、立ち上がろうとする腕に力が入らない。
痛みと苦しみで身体は重いが、視線は列を見失わないよう必死に食らいついていたが、最後尾となった男が後ろを振り向くことはもう無かった。
都に到着した奴隷達はその足で家畜小屋に入れられる。
動物の糞尿の臭いに混じり、汗や吐瀉物といった悪臭が奴隷商人と兵士達の鼻を曲げる。
「今回はざっと五十ほどだ。言われた通りガキは別にしておいた」
奴隷商人が馬車を指差すと、辛うじて立てているものの表情のない少女が項垂れていた。
涙と鼻水、反吐や小便で汚れきった顔や衣服は既に乾き、乱れた髪の本来の光沢は想像もつかない。
「あいつ一人か?」
兵士達が顔を見合わせる。奴隷商人の目が丸くなったかと思えば、すぐに眉間に皺を寄せ捲し立てる。
「おいおい、侯爵様から何を聞いているんだ。こっちは言われた通りにアントーカーをまとめて捕まえてやってんだぞ。それに『翡翠色の瞳をもつ女』なんてこのガキ以外にいる訳ないだろ!」
少女の小さな顎を掴み、力無い瞼を指でこじ開ける。陽の光に当たるように顔を傾け、宝石のような虹彩がぬらりと輝いた。
「成長した女達はすぐに薄緑色になっちまうし、生まれたばかりだともっと暗緑色だ。どれだけ貴重かわかってんのか」
顔を赤くし唾を飛ばしながら奴隷商人は兵士達に考える隙を与えない。
あんな苦労をしてようやく納品するんだ。ケチをつけられ約束の報酬を減らされるなんてたまったもんじゃない、と。
詳細を知らされていない兵士達は奴隷商人に気圧されて金貨の入った袋を渡そうとーー
「いけませんねぇ。ビジネスにおいて感情的になるのは不利な立場だと自覚しているからですよ」
渡そうとするもそれを制される。
兵士達の列は瞬時に整い、奴隷商人の顔からは血の気が引き、髪の生え際からは汗が吹き出す。
「いやはや、やはり大事な商談は人に任せてはいけませんねぇ。勉強になりました」
「……これはこれはウイングマン侯爵ともあろうお方がお出迎えまでしてくださるとは。約束の物を届けに参りましたよ」
「彼女一人ですか?」
「頼まれたのはアントーカーを五十と『翡翠色の瞳をもつ女』ですよ。注文通りのはずです」
奴隷商人の綺麗だった服を冷や汗が染み始める。返答を間違えれば罰金や叱責ではすまない相手に対しても引かずに商談を進める姿に、兵士達に奴隷商人への尊敬の念が芽生え始める。
ウイングマン侯爵は少女の瞳を確認する。僅かに揺れ動く瞳が辛うじて少女が生きていることを示している。
「まぁ、いいでしょう。彼女が本物なことに間違いは無さそうですしね」
金貨の袋を持った兵士に目配せをし、奴隷商人に渡させる。
奴隷商人はようやく手に出来た報酬に小さく息を吐き胸を撫で下ろすも、客の前だということを忘れず小躍りしたくなる気持ちは靴の中だけに留めた。
社交辞令として次回も利用していただけるように愛想笑いをし、さっさと都から立ち去ろうとする奴隷商人に不幸が訪れる。
血相を変えて息を切らせた一人の兵士の姿が報告するより前に異常事態を告げる。今すぐここから立ち去らねば、と奴隷商人は思いつつ背中に感じる侯爵の気配に身動きがとれず呼吸が浅くなる。
「ほ、報告します!人喰いがっーー」
兵士の声は喉を掴み上げられたことで遮られてしまった。どこからともなく現れた掌が兵士を宙に浮かべる。
「★2のやつが何を怖がってるんだ」
突然浮いた兵士はハズレくじのように放り投げられる。全身を鎧や布に包まれ肌の見えない何者かが唯一露出した右の掌をぶらぶらと揺らす。
「やっと会えたな、ウイングマン侯爵」
声の主が顔を覆う布を剥ぎ取ると、眉間に傷のある男が現れる。今すぐ飛びかかろうとする身体を制するように息を吐く傷の男を見て、侯爵は黄色い歯を剥き出しにして笑う。
「神はここまで私は愛してくださるか!」
少女の肩を抱き寄せ、傷の男との壁にする。
「さぁ、存分に腹を満たすがいい!」
兵士達は剣を手に傷の男を取り囲む。巻き込まれた奴隷商人は馬車に隠れるも、騒動を見逃すまいと幌から覗く。
何が起こっているのか少女にはわからない。
わかるのは自分が神に愛されていないということだけだった。
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