14 転換

「誠二くん」

 待合室に戻ると、太田さんに声をかけられた。

「ふーむ」

 太田さんは僕の顔をじっと見て――破顔した。

「こう言うと偉そうだけど、僕が言ったことの意味、わかったみたいだねぇ」

「………………はい。すみませんでした」

 頭を下げる。今度こそ、本当の意味で。すると太田さんは、「いやいや、いいんだよ」と頷いた。

「で、これからどうするんだい?」

 試されるように、質問を受ける。

「………………由美のそばにいます。その資格を探します」

 おじいさんから示された一つの道筋を、僕はそのまま太田さんに話す。

「――資格ね。なるほど」

 口の片端をわずかに上げる太田さん。

「ところで、由美ちゃんが出るはずだったレースは四日後なんだが」

「はい」

「当然、今のままじゃ出られない。ほかに誰か、出られる人間を探さなきゃならない。わかるよね?」

「…………はぁ」

 めぼしい人間を一緒に探せということだろうか。

「ミニバイクの経験があって、ウチのマシンの特性と、由美ちゃんの走り方をよく理解していて、なおかつモチベーションが高いライダー……知らないかな?」

 ……………………。

 それ、は。

 そんなやつは。

「――たぶん、ひとりしか、いません」

「へぇ、誰だい?」

「ですが……」

 降って湧いた話。

 これは――試練なのか?

 足が震える。怖気づいて、いる。

 由美がこんな状態なのに、レースに出てくれ、だと。

 いや――いや、それは言い訳だ。由美を理由にした、汚い言い訳だ。

 単に僕は――怖いだけだ。

 レースが――サーキットが。あの場所で、走ることが。

 とても、怖い。怖くて怖くて――恐ろしい。

 僕が黙っていると、太田さんは、

「誠二くんは……随分と大人のやり方に嫌悪感を持っているみたいだけど」

 よくわからないことを言い始めた。

「……はい?」

「仕事ってのは、お互いにとってメリットがあって初めて成立するものでねぇ。まぁ、実際には上手いこと口車に乗せたり、資金に物言わせたりして、強引に進めるケースがほとんどなんだけど」

「……はぁ」

「その人物に乗ってもらうと、僕にもメリットがある。あのサーキットの最終レースに、うちのバイクが出走しないなんて――常連からすれば、興ざめなんだよねぇ。エースライダーが出られないと言うなら、代役の一人や二人、すぐに用意するべきなんだ。そんなこともできないなんて、うちの評判が落ちる。しかし、その彼に走ってもらえれば、それを防ぐことができる――これが僕のメリット」

「…………はい」

「そして――君のメリットは」

 太田さんは――はっきりと、僕を見た。

「けじめを着けることができる。これ以上なく、わかりやすい形で」

「――けじめ」

「これは、君のためにもなるんじゃないか? さっき言っていた、由美ちゃんのそばにいる資格――。まずはその、サーキットで走ることができない、情けない『弱さ』。克服するべきなんじゃない?」

「……………………」

 ここであえて、『弱さ』という言葉を使うのが――本当にオトナらしくて、嫌だ。

 そうやって、僕の敵愾心を煽ろうとするのだ。悔しかったらやってみろと、そう言うつもりなのだ。

 本当に――嫌気がする。

「由美にも……いつもそう言っていたんですか」

「何のことだい?」

 とぼけた様子ではない。本当にわかっていない、自覚していないんだ、この人は。僕のようなガキが、あなたのようなオトナに対して抱く嫌悪感を。全くわかっていないで――。

 でも。

 悔しいけれど、それが正しい事なんだと、僕にもわかる。わかってしまう。

――けじめ、か。

 なんだか、古い言葉だな。

 でも、それが一番、しっくりくるのかも知れない。僕がしてしまったこと、それから目を逸らして、逃げ続けてきた結果が、今の状況なのだとしたら――僕が自分で決着をつけなくてはいけない。

 過去との決着――だなんて、そんなカッコイイことを言うつもりはないけれど。

「太田さん、俺……」

 これは試練で――チャンスなんだ。

 これからも、由美のそばにいるための。

 これからも、僕が生きていくための。

「俺、やります。……………………やらせてください」

 周囲の都合メリットに合わせて、でもその中で、自分の生き方を探していく、擦り合わせていく。あいつが、「女子高校生レーサー」だなんて広告塔になったのと同じように。

――由美。

 お前はいつも、こんな中で走ってきたんだな。生きてきたんだな。

 すごいな、本当に――。


 数時間後、一般病棟へ移った由美のお見舞いに行った。

 ベッドに横になる彼女は、ついこの前までの元気な姿からは想像もできないほど、弱々しかった。マスクは外されていたが、たくさんの管には繋がれているし、身体のあちこちに巻かれた包帯は、とても痛そうで、可哀想だ。ただ、昨日付いていた血の跡は、今日はかなり無くなっていた。看護師さんが拭いてくれたのだろうか。

 由美の代わりにレースに出ても良いか尋ねると、にっこり笑って言った。

「…………頑張って――誠二くん」

 あちこち痛いだろうに、そんな風に、僕を応援してくれた。夢で聞いた台詞、そのままに。

「それから……ありがとう……。あたしの、代わり……引き受けてくれて」

 かすれがちな声で、ゆっくりと礼を言う。

「……俺のせいだしな」

「そんなことない」

――あるよ。

「宗太に、怒られちゃうね……」

 あいつとの勝負も、うやむやになっちゃったな。

「……代わりに怒られとくよ」

「…………へへへ」

「どうした?」

「誠二くんと、また、話せて……嬉しい……」

「………………そっか」

――それはこっちの台詞だ、とは恥ずかしくて言えなかった。

「昨日……言ってくれたこと……。夢じゃ、ないんだよね……」

 う。

 思い返すと、更に恥ずかしい。羞恥の上塗りだった。でも――その気持ちは、本当だ。

「…………まぁな」

「……『ずっと、そばに、いる。死ぬまで、お前のそばにいる。』……ふふふ」

 くすぐったそうに笑う由美。

「……いるよ。ずっと、由美のそばにいる」

「えへへ、へへ、へへへへ……いたた」

「あんまし笑うなよ、まだ傷ふさがってないんだから。大丈夫か?」

「嬉し、すぎて…………死んじゃう」

「やめろ」

「でも、誠二くん。……そばにいてくれるなら、ひとつお願いが、あるんだけど」

「なに?」

「…………笑って?」

「え?」

「そんな、深刻そうな顔ばっかり……しないで。責任を、感じてくれてるのは……わかるんだけど」

「………………」

「どんより、してるよ?」

「……どんより」

「ハゲるよ?」

 と、由美が微笑む。

「お前に言われたくないんだよ……デコ娘」

 仕方なく、笑ってみせる。

 こいつみたいに、無邪気に笑えないかもしれないけれど。でも、そうだな。太田さんや宗太にもさんざん言われた「そんな顔するな」という言葉。

 確かに、僕がいつまでも落ち込んでいたら、由美も気にしてしまうかも知れない。

「誠二くんが……そばに、いてくれるのは……あたしが、怪我したから、なの……?」

「…………え?」

「…………違う、よね……? そうじゃないって、思って、いいんだよね……?」

「……………………ああ。違うよ、そうじゃない」

 由美がこうなってしまったのは僕の責任だ。それは確かだ。おじいさんとした約束、それもある。けれど。

「俺が……お前のそばにいたいって、思うからだ」

 上塗り――どころじゃない。むしろ、穴を掘りたいくらい恥ずかしい。

 でも、それでもまだ許されなかった。

「………………もっと、簡単に、言えるんじゃない? 二文字、で」

「…………………………………………」

 ちくしょう。

 本当に、女ってのは恐ろしいな――。

 僕は腹をくくって覚悟を決めて、その言葉を、言ったのだった。

「由美。俺は、お前のことが――」


 ……………………。

 などと。

 思い返すだけで恥ずかしい。

 恥ずかしいのに、やたら嬉しいのは、なんでだ。

 ともかく、由美からも承諾を得て、僕は太田さんのチームで走ることになった。時間は無い。わずか三日だ。その間にやらなければならないことは、山ほどある。

 ライダー変更の手続きなど細やかなことを太田さんがやってくれている間に、僕は一度自宅へ戻り、ツナギやグローブ、ブーツなどの装備を持ってこなくてはいけなかった。

――一日ぶりの我が家か……。

 玄関を開け、自室へ行く。一番大きいドラムバッグを引っ張り出してみたが、装備一式を全て入れるには心もとない。僕は逆に、普段着ている服と靴を中に入れ、ツナギを着ることにした。街中を走るのは少々恥ずかしいが、ツーリングでも同じような格好をしている人はたまに見かけるし、まぁいいだろう。

 ツナギを出して、足を突っ込む。少し窮屈だが、無事に着ることができた。なんとか入る。

 二年前から体格が変わっていないことが助かった。高校に上がるころにはもう、ほとんど身長は伸びなくなっていた。

 荷物を入れたバッグと、レーシンググローブにブーツ、ヘルメットを持って、玄関へ行く。苦心してブーツに足を入れたところで――玄関が開いた。

 スーツ姿、白髪交じりの髪、疲れた表情。

 親父だった。

「――誠二、帰ってたのか」

 驚いた様子で尋ねられる。

「…………また、出てくる。四日くらい戻らない」

 それだけ言って、横を通り過ぎようとして、

「春奈は……」

 背中に、声をかけられた。

「春奈は、なにか言わなかったか? 喋らなかったか?」

「……………………っ!」

 姉ちゃん、は。

「…………さっき、部屋を覗いたけど、いつも通りだった」

 また昨日のようなことを言われるんじゃないか、そう思った。けれど、そんなことはなかった。姉ちゃんは、僕のことなんかわからないように、忘れてしまったかのように、ぼんやりとこちらを見て――興味をなくして、すぐに窓の外を見た。

「そうか」

 落胆したような、親父の声。 

 話すべきだろうか、昨日のことを。

 しかし――と逡巡する。自分の娘が、弟に言った言葉が、あんなものだったら、親父はどう思うだろう。知りたくないんじゃないだろうか。

――いや、違う。

 そこまで考えて、思い出した。

 僕はあの時も、親父に何も言わなかった。何も教えなかった。

 全てが終わって、何もかも手遅れになって、それでも自分からは言わなかった。ただ、露見しただけだ。蚊帳の外――と、言うならば、この人が一番そうなのだ。

 僕なんかよりも、ずっと。

「………………昨日、喋ったよ」

「本当か…………!」

「あまり、いい言葉じゃない。でも、喋った。それでも聞きたい?」

「いい言葉じゃない……? ああ、構わない。聞かせてくれ」

 深呼吸、する。

 昨日の、姉ちゃんの顔が、声が。自分の体の震えが、蘇る。

「あんたが死ねば良かったのに。って、そう言われたよ」

 自分を、追い詰めた言葉を、話すのは――意外と、辛いんだな。でも、

「――それは……!」

 親父が、怒ったように首を振る。否定する。

「それは違うぞ、誠二。お前は何も、悪くない」

 間髪いれず、なんの思考もなく、即座にそう言ってくれた。

――ありがとう。

 話して良かった。話すことができるようになって、本当に良かった。

「……俺にはわからないけど」

 顔を上げて、親父を見る。

「大事な人がいるんだ。だから、俺はまだ死なないよ」

――あなたに話せたのも、僕がここにいるのも、全てその人のおかげだと、そう思えるんだ。その人がいなければ、今のあなたの言葉も、きっと聞き流していたに違いないんだ。

 親父は――驚いたように、安心したように、息をついた。

「そうか」

「そいつと約束したんだ。だからごめん、もう少し、家を空けるよ」

「――わかった。行ってこい」

 頷きあって、踵を返した。

 ガレージに行き、荷物をくくり付ける。ヘルメットをかぶり、グローブをはめて、[R]にまたがる。キーを回して、エンジンをかける。

 バイザーを開けて――涙でぼやける目をこすった。

 ほんの少し、話しただけなのに。

 ほんの少し、歩み寄れただけなのに。心が通じただけなのに。

 どうしてこんなに、嬉しいのだろう。

「――行ってきます」

 二週間前とも、ましてや昨日とも違う、ほんの少しだけ新しい気持ちで。

 現実を変えるために――見つけた夢を叶えるために――控えめに、しかし大胆に、僕と[R]はガレージから走り出していった。

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