13 幸せな悪夢


 二人の分も強く生きなくてはね。

 と、人は言う。

 違う。そうじゃない。

 俺が二人の代わりに、死ねば良かったんだ。

 いつもそう思っていた。


 幸せな悪夢の話をしよう。

 ……気がつくと、峠の展望台にいた。兄貴と姉ちゃんが、最後の会話をした、あの場所だ。

「元気か?」

 いつも通りに、隣に座った兄貴が仏頂面で聞いてくる。

「元気だよ」

 いつも通りに、嘘をつく。

 そしていつも通りに、

「なんだ、つまんねぇな。早くこっち来いよ。待ってんだぜ。死ねよ」

 と、悪態をつかれる。

「………………わかってるよ」

「わかってねぇよ。早く死ね」

「わかってるって」

「いや、わかってねぇ。約束しただろ?」

「したさ。すぐにそっちに行く」

「……………………そうじゃねぇよ」

 と、兄貴が今回だけは立ち上がった。いつもと違う行動をとった。

 笑った。

「由美のそばにいるって、約束したんだろ?」

――なにを。

「探すんだろ? あの子のそばにいる資格。だったら――」

 いつの間にか、サーキットに来ていた。ベンチに座って、目の前には宗太がいる。

「――だったら、由美の前でそんな顔してんじゃねぇ」

「……宗太」

「そんなシケた顔してると、由美が思い出しちまうだろ」

――お父さんと、お母さんを?

「二人がいなくなったときの、自分をだよ」

 その口ぶり、偉そうな言い方。

「……お前は本当に」

 僕の兄貴によく似ているな。

「お前の兄貴なんて知らねぇよ」

「…………バカだからよ。すぐ人に死ねって言うんだぜ」

「言わねぇだろ」

「言うんだって」

「それは、お前が勝手にそう思ってるだけだろ。実際、そんなこと言われてねーだろ」

 …………………………。

「バカなのは、お前じゃん」

 ……………………はじめて言い負かされたな。

「僕は可哀想です、って顔してヘコんでんじゃねぇよ」

「…………僕は自分が「可哀想」だなんて思ってねぇし、思われたくもなかったし、この気持ちを誰かにわかって欲しいとも思わなかったよ。ただ静かに死にたかった。でも――」

「優しくして欲しいんだろ?」

「………………死にたくない」

「そんな権利はもうねーしな」

「それなら……生きる権利はあるのかな」

「俺が知るか、バカ」

「……だよな」

「いつまでもそんな甘えたこと言ってんじゃねーよ。誠二」

 と、宗太が、今度は十八の頃の兄貴になっていた。ツナギを着て、ヘルメットを持って、ミニバイクに跨って。

 そうだな、サーキットここには、そっちの方が似合うよ、兄貴。

「早くこっち来いよ。待ってんだぜ」

「兄貴…………」

 兄貴が、コースへ入っていく。

――わかってる。

 こんなの、ただの夢だ。都合の良い願望だ。

 それでも――。

「ほーら」

 と、背中を押される。

「走っておいでよ、一緒に」

 声をかけられる。

「頑張って――誠二くん」

 あいつが僕にくれた、夢のような幸せは、本当だったんだ。

 それだけは。


「――由美」

 つぶやいて、目を覚ました。

 手術室前のベンチだ。眠ってしまっていた。携帯を見ると、二十分ほど経っている。

 時刻は深夜一時十二分。

 由美が運ばれて来てから、もうすぐ四時間が経とうとしていた。

「誠二くん」

 振り向くと、おじいさんが歩いてくるところだった。ホッとした様子で、口を開く。

「いま、先生の話を聞いてきた。手術は終わったよ。命に別状はないらしい」

 思わず立ち上がった。

「本当、ですか……!」

「少しだけ話せる。すぐ眠ってしまうようだから、今のうちに会っておくといい」

「由美が、目を覚ましているんですか……?」

 おじいさんは、頷いた。

「いいんですか……?」

「一緒に来なさい。君が約束してくれたこと、話してあげてほしい。きっと、喜ぶから」

「……はい!」

 おじいさんに連れ立って、手術室の前へ行く。すると、ちょうどおばあさんが出てくるところだった。

 おばあさんは僕をちらりと見たあと、頭を下げた。

「………………由美のこと、よろしくね」

 許された、わけではないだろう、もちろん。由美を想いやって出た言葉だ。勘違いするな。

「……はい」

 頷いて、中に入る。

 看護師さんに案内され、奥のベッドへ。処置は終えているから話せるとは思うが、麻酔から覚めたばかりでぼんやりしているかも、と教えられる。CTスキャンの結果、意外にも、幸運にも、脳や内臓に、深刻なダメージはなかったらしい。ジャケットに内蔵されたエアバッグが、うまく機能したとか、なんとか。

 立ち止まった看護師さんが、カーテンを開けると――そこに由美がいた。

 額にガーゼ、口には酸素マスク、腕には点滴が。身体の所々に血痕のついたままで、由美が、眠っていた。

 目を背けたくなるほど、痛々しい――姿だった。

 同じ傷を背負うには――どれだけのことをすれば良いのだろう。

 きゅう、と。

 胸が締め付けられる。

 感情がせりあがってくる。

 だめだ、耐えろ。ここで泣く資格はない。

「由美……」

 おじいさんが名前を呼ぶと、彼女がゆっくりと目を開いた。おじいさんを見て、そして――僕と目があった。

「………………ぁ」

 マスクの下で、由美が何か話そうと、口を開く。が、声にならない。

「――由美」

 おじいさんが場所を開けてくれて、由美の前の椅子にそっと座る。なんて声をかけたらいいかわからず――

「大丈夫……?」

 そんな、馬鹿なことを聞いてしまった。大丈夫なわけないだろ、誰のせいだと思ってるんだ。

 けれど由美は、

「……いき、てる」

 かすかに、言った。

 涙が、出そうになる。

「……ああ、生きてるよ、よく頑張ったね」

 僕がそう言うと、由美は視線を少し動かした。首を振っているようにも見える。

「誠二、くんが」

 目を細めて、僕を見る。まるで、嬉しそうに。安心したように。

「誠二くん、が……生きてる。……………………よかった」

――僕が。

「なに、言ってんだよ、ばかやろう」

 ああ、もうだめだ。僕はこいつにかなわない。多分、一生かなわない。

「死に、かけたのは、お前なんだぞ。自分の、心配を、だな…………」

 言葉がうまく出ない。口が回らない。由美の顔がよく見えない。僕は溢れ出る涙を拭うので精一杯だった。

「誠二……くん」

 僕を呼ぶ。マスクに阻まれ、くぐもった声でも、それだけはしっかり聞こえる気がする。

 由美は、ひとつ息をついて、間を起き、

「――君は、生きていて、いい」

 と言った。

「死ななくても、いい。死ぬべきじゃ、ない。――あたしは君に、生きていて欲しい」

 由美が、ひとつ、息を吐く。満足したように。

「それだけは、言いたかったんだ…………」

 僕は――思い出した。昨日の夜、由美を呼んだ理由を。伝えたかった言葉を。

「――あ、あ」

 手を差し伸べてくれて。

 見守ってくれて。

 背中を押してくれて。

 助けてくれて。

 救ってくれて。

 僕を、必要としてくれて。

「――ありがとう。……ありがとう、ありがとう。本当に、ありがとう……」

 僕は。

「ずっと、由美のそばにいる。お前が死ぬまで、俺がそばにいる。今度こそ、約束する」

「…………うん」

 微笑んでくれた、そんな気がした。

「一緒に、生きようね」

 由美の手に、そっと触れた。彼女の指がかすかに動いて、反応した。

 手の甲には点滴が刺さっている。人差し指を、優しくつまむようにして、爪を撫でた。固まった血の汚れで、ざらりとした。けれども、由美の指だった。

 由美はまだ、生きている。

 僕はまだ、好きな人と、触れ合えることができる。

 兄貴は、許してくれるだろうか。顔を見ることすら出来なかった、兄貴と姉ちゃんの子供は、許してくれるだろうか。

 許してくれなくてもいい。――開き直るわけでは、ないけれど。でも、僕はずっと、この罪を感じて生きていく。甘えずに、逃げずに、生きて向き合おうと、そう決めた。

 そう、決めたのだ。

 だから――。

 由美のそばにいられる資格を、得なくてはいけないんだ。

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