第8話 ドレスのプレゼント
帰って来たシエナの様子がおかしいことに気付いたマーゴが何があったのか心配して聞いてきたが、泣きながら話の顛末を伝えるしかなかった。
「ドレスが欲しいわ」
泣きながら、シエナは言った。
あのボロドレスを見たら、カーラの言うことが本当だったとばれてしまう。
若い娘が好き好んで継ぎはぎだらけの古いドレスなんか着るわけがない。
「せめて、今日イライザ様にお借りしたくらいのドレスをいつも着ていれば、カーラ嬢の言葉を信じる人も少なかったと思うんだけど。あのドレスでは、どれだけ困っているのかすぐにわかってしまうわ」
学園の噂の広がりはとても速い。
きっとジョージとの婚約は破棄されるだろう。いや、解消だ。
どちらにせよ、父はまずいことになるに違いない。
たくさんのお金をゴア男爵家からもらっているはずだ。だが、カーラの話は本当だ。伯爵家は借金漬けなのだ。結婚しないのなら、お金を返せと言われるに違いない。
マーゴは事情をわかっていた。
彼女は使用人だ。辞めると言う手段が残っている。
「いいえ、お嬢様。私はここにいます。私は使用人ですもの、私から何か取っていくなんてことできませんし、辞めればいいだけです。でも、シエラ様を見捨てて、どこかに行くなんてありませんよ」
結局、シエラは一週間ほど学校を休んでしまった。
そしてわずかな間だというのに、この話はゴア男爵家に知られてしまったらしい。
父の伯爵があわただしく帰ってきた。
父は頭を抱えていた。
「どうして、バレるような真似をしたのだ」
父は吠えるようにシエナに向かって言った。
「お父さま、そんなことを言ったって……」
「そうですとも。シエナ様に何が出来たとおっしゃるのです」
マーゴもビビりながら一緒になって言ってくれた。
父はもう何も見ていないような妙な目つきになって、シエナを見詰めた。そして言った。
「お前が妙なみすぼらしい恰好をするから!」
「ドレス一枚まで全部売り払ってしまわれたではありませんか」
「それならそれで、見つからないようにすればよいものを、なぜ、ダンス会場などに出て行ったのだ」
あれはダンスのレッスン会場だったし、あの時シエナは継ぎはぎだらけのみすぼらしいドレスを着ていったわけではない。
そのことを説明しようとしたが、父は全く聞いてくれなかった。
「こうなったら、もう、どうしようもない。お前も学校をやめて領地に帰るしかない。この家も売らなければいけないだろう」
「お父さま!」
父は何も聞いてくれなかった。仕事に行くからと言い置いて父は家を出て行ってしまった。
「私はどうしたらいいの?」
確かに学費の支払いはゴア家から出ていた。他の婚資の使い途について、シエナは知らなかったが、それだけは知っている。
「学園に行ってもいいのかしら?」
翌日、アンダーソン先生が自宅を訪ねて来てくれた。
「シエナ。学園にはいらっしゃい」
アンダーソン先生はいつもの静かで真面目な様子でシエナに向かって言った。
「噂は広がっているかもしれないけど、それより勉強よ。お友達のアマンダやイライザが心配してくれてるわ」
「でも、先生、実は私の学費がゴア家が出してくれたのです。だからもしかすると、私はもう学園に行ってはいけないのかもしれません」
「ああ、そのことなら……」
学費は一年間一括だそうで、一度払ってしまったら払い戻しは出来ないそうである。
「生徒名義で払われるので、ゴア家が取り戻したくても出来ないわ」
「でも、先生……」
「ねえ、シエナ、今より、悪いことなんか起こりっこないじゃない。あなたはジョージと結婚したかった訳じゃないのでしょう?」
「はい。本当はそうです。ジョージなんか嫌いでした」
「それなら悲しむことなんかないわ。これはチャンスよ。しっかり勉強して、なんとか仕事を見つけなさい。自分でお金を稼げれば自由になれるわ」
「自由……」
「そうよ。お金は自由への足掛かり。自分で稼いだお金は自分で使えるの。お金を稼ぎたければ、勉強するしかないわ。学費を払ってもらったのだからチャンスを生かしましょう」
「お嬢様、先生のおっしゃる通りです。お兄様のパトリック様とお父様は借金から逃れられないかも知れませんが、シエナ様には関係ございますまい」
マーゴも言った。
「そうよ。逆に女性だから助かったと思ってもいいかもしれない。絶対に学園に戻っていらっしゃい。あなたは何も悪いことをしていないじゃないの」
家までわざわざ来てくれるだなんて、なんて親切な先生なんだろう。先生が帰った後、シエナは心からそう思った。だけど、心は折れて、涙が止まらなかった。
その時、外で声がした。誰か来たらしい。
「こんな時になんだろう」
マーゴは、よっこらせと重い腰を上げて出ていった。この家にくる人間なんていないはずだ。
シエナは一人泣き続けていた。
本当に貧乏は嫌だ。
「なんですって?」
応対に出たマーゴが何か叫んでいる。
見ると荷馬車の男たちが、マーゴに話しかけていた。
「確かにここはリーズ伯爵家だけど。でも、こんなもの注文してない。この発注主の人も知らない人なんだけど」
マーゴの困惑したような声がした。
すると男の声が、素っ気なく答えた。
「俺たちはこの家に届けるよう言いつかっただけなんでね」
男たちはドヤドヤと台所へやって来て、大きな荷物を運び入れ、さっさと出ていってしまった。
後には呆然とした様子のマーゴと、訳がわからないシエナが残った。
「なんなのかしら?」
二人は持ち込まれた荷物をこわごわ覗き込んだ。
ハリソン商会という判が押されている。
二人は顔を見合わせた。
ハリソン商会といえば、王都でも一流のドレスメーカー。
「きっとドレスだわ。でも、なぜ?」
「送り先はお嬢様のお名前になってます」
メイ・アレクサンドラ・シエナ・リーズ。間違いようのないフルネームで書かれていた。
ゴワゴワした防水紙を取り除くと、中は金と青のうっとりするようなステキな紙箱だった。
「ドレスの箱だわ!」
シエナは夢中になった。
一つを開けると、しっかりした仕立ての青いドレスが出て来た。
「学園に着て行けるわ」
もう一つの箱には、濃いローズ色のドレスが。これは地味な装飾の外出着で、これも学園行きにピッタリだった。
「でも、どちらもお高いドレスでございますよ、これは」
シエナと違って、リリアスに付いて何回もドレスを仕立てたことのあるマーゴは言った。
「ハリソン商会は決してお安くはございません。こう言ってはなんですが、リリアス様は一度だってハリソン商会にご注文されたことはありませんでした」
ドレスにすっかり見とれていたシエナは我に返った。
「どうしたらいいのかわからないわ」
まさか支払いの当てもないのに、ハリソン商会のような高級ドレスメーカーがドレスを作るわけがない。
「支払い済みなんだと思いますわ。でなければ、付き合いのない当家に送ってくるはずがないと思います」
マーゴが言った。
「送り主の方が、発注して支払ったのだと思います」
それは多分その通りなのだろう。
「でも、着るわけには行かないわ。こんな高いドレス、あとから支払ってくれと言われたら、大変よ」
その時、一枚の紙がハラリと床に落ちた。
ドレスの中に挟まれていたのだろうか。
シエナとマーゴは顔を見合わせた。
シエナが細い指で拾い上げて見ると、変わった筆跡で一言書いてあった。
『シエナ嬢へ
これはあなたへのプレゼントです。
アッシュフォード子爵』
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