第14話 ハーマン侯爵家からの誘い

二人はあっけにとられた。


「これは失礼」


ベイリー氏は、いつもは使っていないに違いない微笑みを深くした。


「リオネール様は、あなた様のお母さまが、ハーマン侯爵家の出身だということをごぞんじでしたか?」


全然知らなかった。


リオの両親は、彼がまだ小さい頃、馬車の事故で死んだと聞かされていた。多分、それは間違っていない。


それから、リーズ伯爵家に引き取られた。


伯爵家にはシエナがいて、不幸ではなかったが、そんな家系図みたいなことは何も教えてもらえなかった。



「ハーマン侯爵?」


モリスは覚えがあったらしい。


「ハーマン侯爵と言えば、もう十年以上も前だと思うが、私が引退したころに騎士団長を退任された方ではありませんか?」


その通りと言わんばかりにベイリー氏はうなずいた。


「モリス殿、あなたは騎士だったそうですね。知ってらしても不思議はありませんね」


「あの、こんなあばら家ですが、どうかお掛けになって」


モリスの妻が、立ち話もなんですからと、ベイリー氏にイスを勧めた。


モリスの家の台所は狭かったし、どう見てもベイリー氏はこの田舎の台所には不釣り合いだったが、三人は、仲良く座ってお茶を飲みながら話をした。


「そのハーマン侯爵です。リオネール・リーズ様のお母上様はハーマン侯爵家の弟君の娘に当たられます」


だから何?


「ご両親の事故のことは誠にお気の毒に存じます。しかし、父方の伯父様に引き取られた以上、そちらの方が近親でございましたので、口出しはしませんでした」


リオは今でも、伯爵が自分を引き取ったのは両親の遺産目当てだったんじゃないかと思っている。

一度も追求したことはなかったが、子ども心に両親の家での暮らしの方が、ずっと裕福だったことは覚えていて、そのお金はどこに行ったのだろうと考え始めていた。それというのも、合格した今、切実にお金が必要になったからだ。


「それで、実はハーマン侯爵にはお子さまがおられません。もちろん結婚されて、後継の方もおられたのですが、小さい頃にふとした風邪から亡くなられてしまったのです。侯爵は、近親に優秀な若者がいればと考えておられました」


リオの顔は表情を表していなかったが、モリスは身を乗り出した。


「それは……?」


「ええ。騎士学校には、元騎士団長としてハーマン侯爵は深い関心を寄せられておりました。入学許可者の名前の中に、あなた様のお名前を見つけた時の興奮ぶりと言ったら、もう……」


ベイリー氏のうっすらした微笑みは、今ははっきりとても嬉しそうな笑いに変わっていた。


「もう、新聞を読んでも、親戚の消息をお伝えしても、とてもつまらなさそうにされていたのですが、起き上がってあなたのところに行きたいとおっしゃられたのには驚きました」


「あの、起き上がってと言いますと……」


リオは用心深く聞いた。


「はい。侯爵様は体調を崩されていて、ここ二年ほど、病床に着いたきりなのです」


ベイリー氏は答えた。


「そして、すぐに私を遣わされました。あなたに、会いに行って来いと」


「それは、また、なぜ?」


リオは用心深く尋ね、ベイリー氏はリオの顔を見た。


「さしあたっては、どうでしょう、入学に必要な費用などを負担させていただけませんか? そして王都に一足早くお越しくださいませんか?」


「どういうことです? 何のために?」


「侯爵に会っていただきたい。侯爵は、あなたを養子にすることを考えています。ただ、あなたと会ったこともない。一度、面会してからとお考えです」


「つまり、試験だね?」


モリスが横から叫んだが、ベイリー氏は別に否定しなかった。


「そうとも言えるでしょう。私どもは、あなたを侯爵家にご招待申し上げたいのです」



リオは招待に応じるにあたって、条件を出した。


「リーズ伯爵に知らせないでほしいのです」


「どうしてですか?」


「リーズ伯爵家は窮迫している。私は私の両親の財産がどうなったのか聞いたことがありません。もう成年も近いのですから当然説明があってもいいと思います」


「リーズ家の財政状態が良くないことは知っています」


ベイリー氏はあっさり答えた。


この分では、何でも調べられることは調べ尽くした上で来たに違いない。


「騎士学校の受験自体、黙って受けています。王都に行くことも黙って行こうと思っていました。多分、私の奨学金なども理由を付けて取り上げに来るかもしれません」


ベイリー氏は、それこそニヤリとした。彼らは伯爵からの横やりを心配していたのである。本人が、黙っておきたいと言うなら、心配はない。


「まあ、あなたが侯爵の気に入れば、何の心配もないと思いますね。ハーマン家は筆頭侯爵家です。リーズ家なんか足元にも及びませんよ。それに、現当主は元騎士団長です。リーズ伯爵とは影響力が違います」



そんなわけで、その日、リオは着の身着のままで、伯爵家を旅立った。


「その封書だけは大事に持ってきてください」


「もちろん」


いまや合格証の入った封筒は、命より大事だった。リオは封筒を抱きしめて真剣にうなずいた。


伯爵家には置手紙だけを残すことにした。出て行きますの一言だけだ。


「俺が届けておくよ」


モリスが真顔で請け負った。


「何も聞かなかった、お前から預かったととぼけておけばいい。伯爵の耳に入るのはずっと後だと思うし、あの伯爵は探したりしないだろう」


「さあ、急ぎましょう」


モリスの家の前には馬車が来ていた。


「必要な服や仕度は隣町で買えばいい。お金なら、いくらでもあります。ホラ」


ベイリー氏はリオの手にキラキラ光る金貨を何枚か押し付けた。


「当面、これで大丈夫でしょう」


リオはハッと我に返ると、それをモリスに渡した。


「モリスさん、ありがとう……本当に」


「リオ、そんなの要らないよ。これから、お金がいるだろう」


ベイリー氏が言った。


「それくらい、なんてことありませんよ。ハーマン侯爵家の跡取りになるのだったら、お金なんか気にしなくていいんですから」


リオが王都に来ていたのには、シエナが想像したよりずっと深いわけがあった。







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