第4話 1日の終わりと、新しい関係の始まり

「ふーっ……」


 僕は一人、湯船に浸かっていた。


 あれからライヤは意味深なセリフを残したまま、僕を連れてテキパキと買い物をこなした。

 荷物を片手で持ちながら手を繋いで歩く……というのは僕らの習慣だったのだけれど、僕は妙に緊張してしまった。

 そんな時間がようやく終わると、「ご飯の前にお風呂ですね」と促され早々に入浴することになった。


「帰る時間に合わせてお湯を沸かしておくなんて……ライヤはほんと、そつがないな」


 ため息をつく。

 昔からそうだ。ライヤは母にくっついてどんどん家事を覚え、僕が物心つく頃には大抵のことを一人でこなしてくれるようになっていた。

 僕はお世話になりっぱなし。

 ライヤは“ドライヤー娘“という製品ではあるけれど、もう生きていくのに無くてはならない存在だ。


 そして、子どもだった頃の僕はそんなライヤに……


「失礼します」

「えっ!?」


 ガチャリとお風呂場の扉が開き、そこからライヤが入ってきた。

 バスタオルを身体に巻いてはいるけれど、生白く美しい肌は隠し切れていない。


「いつも、洗う前に一旦浸かっていますよね。お背中流します」

「えっ、と、うん……」


 差し出されたハンドタオルをあわてて腰に巻き、僕は湯船を出た。

 背中越しに聞こえる彼女の吐息が、やけに響いて聞こえる……。


 しゅこしゅこ、しゅこしゅこ。

 気持ちの良い音を立てながらスポンジが身体に這う。

 他人に身体を洗われているという気恥ずかしさで胸がドキドキする。

 

 誓って言うけれど、さすがにこれは初めてだ。


「ライヤ、その……なんで、急に」

「なんとなく分かったからです。“今“なんだなと」

「どういうこと?」


 思わず聞き返すと、ライヤはつらつらと語り出した。


「子どもの頃、言ってたこと……私ともっと仲良くなりたい、お嫁さんにしたいって言ってくれたこと、私はずっと覚えてました」


 背中を撫でるスポンジに、ぐっぐっと力がこもる。


「流々は大人の目を気にして態度を変えてしまったから……私だけが、それを覚えていると思ってました。でも、流々。あなたもちゃんと、覚えていたんですよね」

「……うん」

「やっと分かって嬉しかったです。だから、あなたと“大人になったら“って話したこと、これから叶えてあげたいと思って」


 子どもの頃の夢……そういえば。


「たっ、確かに言ったかも……ライヤと一緒に、お風呂入りたいとか……」

「そうです。一緒に寝たいとか、旅行に行きたいとか、ちゅーしたいとか。我慢してたこと、全部今からやり直しましょう」


 どくどくと心臓が高鳴る。

 心に抑えつけていたこと、全部……。


「……流々。それとも、やっぱり本当に嫌でしたか?」

「ちっ違うよ!」


 振り返ると、潤んだ表情のライヤと目が合う。


「いつからか、確かに僕はライヤへの気持ちを押し殺して過ごしてたかもしれない。ライヤがお世話してくれるって、ただそれだけの関係に甘えて……でも、本当は……」


「本当は?」


「本当は……ライヤのことが大好きで、たくさんしたいことがあって、だから……」


 彼女は優しく答えを待った。


「結婚、してください……」


「はい」


 その日、彼女は10年ぶりに眩しい笑顔を見せた。



#####



「心拍数上昇……流々、どきどきしすぎです」

「な、何度も言わなくていいって……!」

「しょうがないじゃないですか。分かっちゃうんです、そういう機能ですから」


 その後。

 僕らはいつも通りに食事をして、くつろいで……それから、早速夢の1つを叶えようとしていた。

 添い寝がしたいと先に言い出したのは、ライヤのほうだったけれど。


「ライヤだって……どきどき、してる」

「……何で分かったんですか?」

「僕でもわかるくらい……どくんどくん鳴ってるから」

「……ばか」


 ライヤは背中から抱き締める腕をぎゅっと強めた。

 この子にも、恥ずかしいことってあるんだ。

 長らく見ることのなかった新しい一面を知って、じゅわっと胸に幸福感が広がる。


「むぅ……」


 ライヤはそのまま僕の背に胸を押し付けながら、長い脚を絡ませてくる。パジャマ越しでも感じられる柔らかさが心地いい。

 

「ライヤ……そんなに、積極的だったっけ」

「私だって……我慢してましたから……」


 お腹に回された手がぐいっと動き、僕をひっくり返した。

 あっという間に、僕はライヤと向き合う格好になる。


「今日のうちに……もう1つだけ、叶えさせてください」


 ん、と唇を差し出し、ライヤは目を閉じた。


「……ありがとう」


 今度は僕から腕を回して、ライヤの身体をぎゅっと抱きしめる。

 そうして唇を重ねると、彼女はぎゅうぅっと僕にしがみついてきた。

 ライヤのほうが大きいんだから、そんなにしたらちょっと苦しいって。

 

「んむ………はぅ……ん……」


 だけど、情熱的に口づけを交わしてくるライヤを前に何も考えられなくなった。

 

 まだ何も知らない子どもだった頃、思い描いていた初恋の人との幸せな時間がそこにあった。


 これから僕らがどうなるのかなんて実際のところは分からない。


 でも目の前の彼女と共有するこの気持ちは、何よりも確かで、守りたいものだった。


「ぷはっ……ん……流々」

「うん……ライヤ」


 これからは、そんな新しい関係を始められるんだ。


「ずっと一緒にいよう」

「……当然です♥」


 

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