第147話 恐怖と不信
前半は現在(パステルの誕生日)、後半は回想です。
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「まあ、よく考えたら、ヒューゴ殿下の件は仕方ないですね。過保護なご主人様に言い出すのも、なかなか勇気がいりますものねえ」
「そ、そうなのよ」
私が事前にヒューゴの件を話さずにいた理由について、エレナはどうやら一人で納得してくれたようだ。しきりにうんうんと頷いている。
「さて、お片付けも終わりましたし、ご主人様も落ち着いたみたいですから、お嬢様はどうぞゆっくりされていて下さい。今日の夜はお嬢様の成人お祝いパーティーですからね、使用人一同、腕によりをかけて準備を致しますよ」
「ありがとう、エレナ。楽しみにしてるね」
エレナは朗らかに笑って、部屋を出て行った。
今日は他の使用人も皆出払って、部屋には私一人になる。
私は何だか疲れてしまって、ベッドに横になった。
セオは、今どうしているだろう。
目を閉じてその顔を思い浮かべようとするが、やはりぼんやりと滲んでしまって、うまく思い出せない。
セオに会えたら、全てが戻ってくるような気がする――けれど、彼は今忙しくて、私のためだけに国を抜け出すことなんて到底出来ないはずだ。
それにもしセオがやるべきことを放棄して私に会いにきたとしても、私は嬉しいと思わないだろう。
セオもきっと、それをわかっている。
私は想いを振り払うように、無理矢理ベッドから背中をはがす。
そしてそんなに多くもない私物をまとめようと、戸棚を開いてトランクを取り出した。
***
ファブロ王国に続いて大きく動いたのは、エーデルシュタイン聖王国だ。
結論から言うと、現在のエーデルシュタイン聖王国は、聖王が不在になっている。
夏の盛りのある日、マクシミリアンが聖王を退位したことが発表された。
マクシミリアンは、精霊の加護を受けていないことを、国民の前で自ら発表したのである。
また、加護を授からなかったことを隠蔽した大神官も、神官の座を辞した。
恐らく、大きく関係しているのがフレッドだ。
彼が娘のソフィアから受け取った
また、セオの不在時に世界樹が少し元気をなくしていたという噂も、市民の間で囁かれていたそうだ。
加護のないマクシミリアンは、ハルモニアとアルバート、アイリスの魔力で世界樹を維持しようとしていたが、やはり加護の弱い子供たちだけでは、完璧な状態に維持するのは難しかったようである。
その二つの他にも、様々な要因が絡み合って、ついにその件を隠しきれなくなったのだろう。
さらには、聖王マクシミリアンと王妃ハルモニアとの離縁が成立し、ハルモニアがアルバート王子を連れて、いずこかに姿をくらませたことが発表された。
二人の行方を探すことは禁ずる、との命令も出ていて、二人が穏やかな暮らしを望んでいるのだと、国民に暗に示したのであった。
また、もう一人の実子であるアイリス王女の王籍剥奪も発表された。
これについては詳細は発表されておらず、様々な憶測が飛び交っている。
市民たちの噂によると、王女は不治の病に冒されて、公務にも出られず自室で療養を続けているのではないか、という説が強いようだ。
聖王家のメンツのために敢えて発表しないのかもしれない。
真実を知っている側からすると何とも言えない気持ちだが、まあ、あれもある意味病気みたいなもんだったなぁ、と思わず遠い目をしてしまったのだった。
いつか彼女も罪と向き合い、変われる日が来るのだろうか。
聖王国のトップ二人――聖王と大神官が一気にその座を降りたことで、聖王国は混乱に陥るかと思われたが、暴動が起きたり治安が悪化したりするような大きな騒動には至っていない。
なぜなら、『聖王』でも『大神官』でもなく、暫定政権の首席宰相――『首相』の座に、民の信頼が厚いフレッドがついたからである。
首相、という言葉は聞いたことがなかったのだが、フレッドは聖王の座につくつもりは一切ないようで、いち宰相として国に貢献するというのが良い落とし所だったようだ。
フレッドによると、聖王でも大神官でもなく、能力ある宰相や大臣たちがしっかりと話し合って国を動かしていくべきで、それには聖王家の血筋は不要なのだとか。
今は『議会』というものを立ち上げようと、意見を交わし合っているらしい。
聖王家の政治に関係する権能を徐々に議会に移し、いずれ大神殿と合体させてしまおう、というのがフレッドの意見のようだ。
そもそも精霊と神事に関する権能が、「世界樹に関しては聖王家、それ以外の精霊に関しては大神殿」と分散していたのも非効率的だったのだそうだ。
これから『聖王』と『大神官』、そして『首相』『議会』の地位や権力がどのような扱いになるのか、まだまだ決まっていないことだらけ。
セオもフレッドも、本当に忙しくなるのはこれからだろう。
そして、驚くことに、この『議会』や『神事の一元化』は、元々マクシミリアンが考えていたことだったらしい。
フレッドたちの手が入ったことで、当初マクシミリアンが考えていた形とは少し変わったようだが、原案自体は彼が二十年もの月日を費やして考えていたものだったということだ。
マクシミリアンは、ずっと苛烈な父ジェイコブの言いなりで、嘘をつき続け、相応しい居場所も友人も結婚相手も選べず、自分らしく生きられないことに嫌気がさしていた。
彼はずっと、聖王家に、世界樹に、そして精霊や巫女に――そして何より父ジェイコブに憎しみを抱いて生きてきた。
ジェイコブが崩御してからのマクシミリアンは、帝国や王国を『武力で支配する』のではなく『和平を結び対等な関係を作る』こと、『聖王家をなくす』こと、そして『精霊の力がなくても、どんな生まれの人間でも、差別や区別なく生きられる世界を創る』ことで父ジェイコブに反抗し、聖王家に復讐し、精霊を貶めようと、心を燃やしてきたようだ。
結果的には平和への道筋と重なる立派な考えだったのだが、問題は、マクシミリアンの心の中に強い恐怖と劣等感、そして憎悪が巣食っていたことである。
そしてその負の感情は、「他人を信頼し心の内をさらけだすこと」、「より良い未来のために人と手を取り合うこと」という選択肢を消してしまったのだ。
自由のために平和を渇望する思いと、自由のために他者を排除しようとする思い。
相反する二つの思いに揺られ、孤独な聖王は暗闇の中、ずっともがいていたのだろう。
結果マクシミリアンのやり方と、ジェイコブの方針をそのまま踏襲しようとする周囲の人間のやり方が噛み合わず、何もかも停滞する状態となってしまったのである。
一箇所に集めた巫女を解放せずそのままにしようとしたのは、帝国や王国に裏切られるかもしれない恐怖から。
人は必ず裏切ると考えていたマクシミリアンが、いざという時に優位に立てるように残しておいた、切り札だった。
父ジェイコブが追放した他の王族を呼び戻さなかったのは、彼らの存在によって王位を脅かされた場合、自分の計画が破綻する可能性があったから。
もっと前から彼らを信じて、頼ることが出来ていれば、もう少し違う未来が待っていたかもしれないが――彼は、人を信じることが出来なかった。
ハルモニアや子供たちをかえりみなかったのも、怖かったからだ。
父ジェイコブと自分が壊した、ハルモニアの未来。
自分が関わることで壊してしまうかもしれない、子供たちの未来。
そして何より、自分が深く関わることで、妻の、子供の、復讐対象になってしまうことが怖かった――かつての自分と同じように。
彼は、どこまでも孤独だった。
寄り添ってくれたのは、フローラただ一人だけ。
けれどその彼女も、自分の聖王という立場のせいで無理をさせ、傷つけてしまった。
彼は、もう何もかもが怖かった。
自分を取り巻く何もかもが敵であり、恐怖と不信で心を満たしてしまっていたのだ。
――それがセオとフレッドが手紙で教えてくれた、マクシミリアンの人となりである。
フレッドが自分の意思を継ぎ、自分よりも早くそれを形にしてくれそうだと分かってからは、聖王の座にしがみつくことなく、想像以上にあっさりとその座を降りたのだという。
今は聖王としてではなく、一人の宰相としてフレッドと肩を並べて、至極真面目に業務を整理しているとのことだ。
もう、彼を無理に縛り付けるものはない。
恐怖と不信に囚われた元聖王の心がほぐれる日も、いつかきっと来るだろう。
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次回以降は、全て現在(パステルの誕生日)のシーンとなります。
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