第144話 「約束」


 前半は現在(パステルが目覚めた後、誕生日のシーン)です。

 後半からは、長い眠りから目覚めた時の回想に入ります。

 ここからしばらくの間、このスタイルが続きます。


********


 ノックの音に、私は顔を上げる。


「どうぞ」


「お嬢様、入りますよ」


「エレナ、どうしたの?」


「今朝届いたお手紙の件で、ご主人様が大混乱しておりましてねえ。トマスがなだめている隙に、私がお嬢様から少しお話を伺おうと思いまして」


「ああ……お義父様ったら、引き留める間もなく出ていってしまったから……」


 私は先程の義父の様子を思い浮かべて、苦笑した。

 けれど、冷静で切れ者のトマスが側にいるなら、大丈夫だろう。


「実はあの手紙はね――」


 私はエレナに、以前ヒューゴから聞いた内容を話す。

 色々な事情から、表沙汰に出来ない緩い婚約関係を結んでいたこと。

 当時はその先の状況がわからなかったため、婚約は簡単に白紙に戻せるようになっていたこと。

 エレナは驚きつつも、最後まで遮ることなく聞いてくれた。


「ではお嬢様は、この婚約は白紙に戻して、セオ様をお待ちになるおつもりなのですね?」


「ええ、そのつもりよ。セオも、必ず迎えに来てくれるって」


「左様でございますか。ふぅー、良かった! エレナは安心いたしました」


 エレナは胸に手を当てて大袈裟に息をつき、にっこりと笑った。

 口ではそう言っているが、少しも心配してなかった、という表情をしている。

 私もつられて、笑い声をこぼした。


「それでですね、お嬢様。デビュタント用のお召し物が完成いたしましたので、最終調整を……」


「わかったわ」


 私は立ち上がり、イザベラが運んできたドレスのチェックを始めたのだった。


 セオもメーアもヒューゴもフレッドも、みんなそれぞれ自分の役割を果たそうと頑張っている。

 私は『虹の巫女』であることを除けば、ただの子爵令嬢。みんなの仕事に関わることは出来ない。


 そして、『色』が戻ってこないと、巫女としても何の役にも立てない。

 ――巫女として役に立てなければ、セオの隣にはいられない。


 だからこそ、いま私がすべきことは、心と身体を休めて魔力の回復に努めることだけなのだ。



 デビュタントボールは一生に一度の、一大イベントだ。屋敷のみんなも楽しみにしているだろう。

 私はワクワクを振り撒こうと、意図的に口角を上げながら、ドレスの意匠を確かめていく。


「……お嬢様、お辛かったら、エレナにぶつけて下さっても構わないのですよ」


「えっ?」


 突然耳元で囁くエレナに、私は目を丸くして顔を上げる。

 一転して心配そうな表情のエレナが、私の顔をじいっと見つめていた。


「お嬢様は私どもの前では明るく振る舞っておられますが、エレナにはお見通しですよ。『色』が戻らず、不安で、焦っておられるのですよね」


「……それは……」


「けど、心配なさらずとも、セオ様はお嬢様を迎えに来て下さると思いますよ。たとえお嬢様に『色』が戻ってこなくても」


「エレナ……。そうよね、ありがとう」


 私は眉を下げて、エレナにお礼を言った。

 エレナはしっかり私を見てくれている。


 ――けれど、エレナは気付いていない。

 戻っていないのは、『色』だけではないことを。

 そして、そのことが、何よりも私を不安にさせていることを。


 私は、『天空樹』と向き合ってから数週間後、この家で初めて意識が浮上した時のことを思い出す――



***



 私が数週間という長い眠りから覚めたあと。

 視界を完全に失った私は、記憶も感情も、混濁していた。


 まぶたを開けても、目を動かして辺りを見回しても、一切光が差してこない、恐怖。

 今が何月何日の何時で、自分の寝ている場所がどこで、誰が近くにいるのか、何ひとつわからない、不安。

 何故このような状況になったのか思い出すことも、理解することも叶わない、混乱。

 

(誰か……)


 声を出そうと思っても、ずっと水分を取ってこなかったからか、それとも声帯が衰えてしまったのか、掠れてしまって音にならない。


(お願い、ひとりにしないで)


 ベッドに手をつき、起きあがろうとするが、うまく力が入らない。


 暗闇。静寂。動かない身体。


(いや……お願い、誰か……)


「……っ……う」


「パステル!」


「お嬢様!」


 かろうじて音にすることが出来た、か細いうめき声が聞こえたのだろうか。

 バタバタと足音を響かせながら、すぐに私の元にやって来てくれたのは、男性が一人と、女性が一人。

 見えないので、声による判断だが、その声の持ち主が誰なのかはわからない。


「ああ、良かった……! 目が覚めたんだね」


「お嬢様、お水を……」


「パステル、身体を起こすよ」


 懐かしい声に支えられながら身を起こすと、もう一人が水を私の口元に差し出してくれた。

 喉を潤したら、少しだけ楽になる。


「っ、はぁ……」


 けれど、まだうまく声が出ない。

 やはり声帯も弱っているようだ。


「パステル……目が……?」


「目の焦点が合いませんね……お嬢様、見えますか?」


「……ぇ、ない」


「ああ、おいたわしや……」


「魔力がまだ、戻り切っていないんだ」


 二人の声は、心配そうだ。


「先生に連絡しないと」


「ええ、そうですね。それから、少しでも栄養を取ってもらわないと。お嬢様、果実水を持ってきますね」


「……っ、……まって……」


「大丈夫だよ。パステルが落ち着くまで、側にいるから」


 また恐ろしい暗闇と静寂の中に、置いていかれる。

 そう思ったら、「待って」と声をかけていた。


 側にいたひとが、優しい声で囁いて、私の手を取る。

 きゅっとこの手を包むその温度を、私はよく知っていた。


「……あ……」


「目覚めてくれて、良かった」


 言葉とは裏腹にどこか不安げなその声と同時に、私の手に、柔らかい感触が落ちる。

 脳裏にぼんやりと浮かんだのは、はっきりしない淡い水色。

 そして、ある名前だった。


「セ、オ……」


「……! パステル……!」


 今度は、心底嬉しそうな、感極まったような声だ。

 その名前が合っていたであろうことに安心したところで、抗いがたい眠気が襲ってくる。

 私はまたしても微睡まどろみの中に落ちていったのだった。



 再び私が目を覚ますと、セオの気配はなくなっていた。

 側にいた使用人エレナ――彼女は自分のことをエレナと呼ぶので、すぐに名前がわかった――の話によると、セオは忙しい身で、名残惜しそうにしながら帰ってしまったという。


「また明日、お会いになれますよ」


 エレナはそう言ってくれた。

 私の体調のことや、どういう経緯でこうなったのかなどは、私への負担を考えてまだ話さないということに決まったようだ。



 セオは、翌日も、翌々日も、短い時間だが私のところを訪ねてきてくれた。

 しかし、何日か経っても、私の視力は一向に回復しない。



「パステル……僕、明日、聖王都に戻らないといけないんだ。聖王都に入ったら、情勢が落ち着くまで外に出られないと思う」


 ある日、セオは心底残念そうに、そう告げた。

 重なる手から伝わる温度も、幾分低いような気がする。


「本当は、パステルの目が良くなるまで側にいたいんだけど……今後のために、やらなきゃいけないことがたくさんあるんだ」


「……うん」


 いまだに聖王国の事情をはっきりとは思い出せない私にも、セオが本来忙しい人なのであろうことはわかる。

 それなのに毎日、ろくに話も出来ない私のもとを訪れて、「ひとりじゃない」と伝えるように、優しく手を握って安心させてくれるのだ。

 セオを引き止めてはいけないことも、なのにこの温かい手が離れていってしまうのを寂しく思っていることも――私がセオに特別な想いを抱いていることも、今の私にはなんとなくわかる。


「……時々、手紙を送るよ。少しでも見えるようになったら、返事を書いてもらいたいんだ……駄目かな?」


「……必ず、お返事、書くね」


「うん……待ってる。僕、絶対にパステルを迎えに来る。約束する。だから……泣かないで」


「え……?」


 気付けば、何故か私の頬を涙が伝っていた。

 セオはそれを指でぬぐい、私の頬に優しく口づけを落とす。


「パステル……好きだよ」


 切なげな声色で囁かれたその言葉に、私の頭の中には、柔らかい水色と、美しい金色の光が浮かんできた。


「私も……好き」


 自然と、そんな言葉が口を割って、こぼれ落ちる。

 感情が追いついてこないけれど、私の目も口も、私の心なんかより、セオのことをずっとよく記憶しているみたいだ。


 次の瞬間、私の頭がぐっと引き寄せられ、柔らかい感触が唇に重なった。

 ぽうっと頭が熱くなり、私はその熱に身を委ねる。

 甘えるように、ねだるように、触れるだけのキスが二度、三度重なり――名残惜しそうに離れていく。


 今までよりもはっきりと、私は自分の内にある、焦がれるような想いを自覚したのだった。



 そうして――私の瞳には、わずかな光が戻り来た。


 奇しくもそれは、セオが聖王都へ出立した、次の日だった。

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