第119話 「氷漬けの棺桶」


 行方不明になっていたノエルタウンの女領主、マチルダが指し示す杖の先には。

 小さな棺桶が、氷漬けで安置されていたのだった。


「この棺桶にはな、フローラと聖王の子が眠っている。心の臓が止まって生まれてきた子でな、医師が手を尽くしても息を吹き返さなかったのさ。

 そして、フローラ自身も二度と子を望めない身体になってしまった。フローラは諦めることが出来ずに、その子をこうやって氷漬けで保存することにしたんだ」


 確かにアイリスも、フローラとマクシミリアンの子が流れてしまったことを話していた。

 この氷漬けの棺桶に、その子が眠っているのか。


「フローラはそれから情報屋を開業した。子の生命を吹き返すか、自らの身体を治せる者を求めてな。だが、そんな都合のいい精霊がいるなんて情報も、ましてやその加護を持った者の情報も、すぐには入ってこない。

 フローラはその情報を探しながら、部下を集め、金を集め、聖王のために動き回り、そしてアイリスに取り入って手駒にした」


「それでフローラは、王国の魔女に会いたがっているのですね……。アイリス王女は、やはりフローラの手駒として動いているのですか」


「アイリス本人には、フローラにいいように使われているという実感はないだろう。アイリスは自分の父母よりもフローラと共に過ごした期間が長くて、性格が捻じ曲がってしまったようだな。

 全く、アイリスといいフローラといい、自分勝手な奴らが王家を牛耳っているのは我慢ならん。そのせいで何百、何千という人間が迷惑をこうむっているというのに」


 アイリスのあの性格は、フローラの影響が大きいようだ。


「それで、だ。フローラの会いたがっている魔女の能力は、一体どんな物なのだ? まさか、本当に傷を癒す能力があるのか?」


「いえ、彼女の力は傷を治すものではありません。因果を操る能力で――あ」


「なんだ」


「……ひとつ、思いついたことがあります。マチルダ様、この家から逃げ出すおつもりはありませんか?」


「……逃げられるなら、さっさと逃げているさ。だが、さっきも言ったように、この地域は陸の孤島になっている。私の力では脱出不可能だ。

 それに――気付いたろう? この家から私が逃げ出さないように、アイリスの操る番犬――地獄の猟犬ヘルハウンドが見張っているのさ」


地獄の猟犬ヘルハウンド……さっき、外にいた、あれですね」


「そうだ。あんたが来た時は運良く眠っていたようだったがな。この家の扉が開くと、どれだけ深く眠っていてもすぐさま飛び起きるのさ。私の氷は一度に出せる量が少ないから、炎を吐く魔物とは相性が悪くてな」


「炎……それなら、水があれば大丈夫。それから、外での戦いだったら、地の魔法で壁を作って閉じ込めることも可能だわ。あとは隙をついて風魔法で空に逃げてしまえば……」


「……なあ、あんた。一つ訊くが、そのために何人の術者が必要になるか分かってるか?」


「――術者は、私一人で大丈夫です。ただし、もう数日間だけ待って下さい」


「数日……? いや、そうか。あんたは『虹の巫女』だったな。――いいだろう、なら今日はひとまず休め。話はそれからだ」


 マチルダはぶっきらぼうに言い放つと、毛布を取り出してソファーに投げ、杖で指し示した。

 私がお礼を言うと、マチルダはわずかに目を細め、隣の部屋に入ってしまったのだった。


 夜ももうかなり更けている。

 私はソファーに寝転がると、すぐさま、眠りに落ちていった。



 翌朝。

 パンの焼けるいい匂いで、私は目を覚ます。

 眠い目を擦りながら重たい身体を起こすと、続けてキッチンから、じゅう、と卵の焼ける音が聞こえてくる。


「あ……マチルダ様」


「ああ、起きたのか。ちょっと待ってろ」


「お手伝いしましょうか」


「いや、いい。余計な世話だ」


 マチルダはしばらくキッチンで調理を続けると、右手で杖をつきながら、左手で器用に皿を二枚持ち、テーブルに運ぶ。

 皿の上にはレタスにベーコン、目玉焼き。

 ふっくらとしたロールパンは、カゴに盛られてほかほかと湯気を立てている。

 カトラリーとミルクピッチャーをテーブルに置くと、マチルダは私に座るよう促した。


「さて。食事が済んだら、あんたの能力と計画を教えてもらうよ」


「はい。――いただきます」


 私は食事をありがたくいただく。

 素朴であたたかい味に、眠ってもほぐれなかった心の凝りが、少しずつほどけていくような気がした。



「それで、あんたが現在使える能力は五つ。風の魔法は今すぐには使えない。風の魔法が使えるようになったら、この氷漬けの棺桶を持ってファブロ王国の王城へ向かう――そういうことで良いんだな?」


「はい」


「……残念だが、この計画には大きな穴が二つある。まず一つ。空に逃げたとしても、昼間はアイリスの鷲獅子グリフォンが雲の上を旋回している。見つかる可能性が高い」


鷲獅子グリフォン……では夜まで待っては? 光を消して飛べば、暗黒龍ダークドラゴンにも見つからないと思うのですが」


「いや、そこがもう一つの穴だ。毎日夕刻に、フローラの手の者がここを訪れる。

 地獄の猟犬ヘルハウンドと一度相対している以上、あんたの存在も今日の夕刻には知られてしまう。夜まで待つことは出来ない」


「そんな……!」


 そうなってしまうと、もう打つ手がない。

 風の魔力――緑色は、いまだ私の視界に戻ってきていない。

 夕方までに魔力が回復するとは、到底思えなかった。


「……どうしたら……」


「安心おし。他の作戦を考えるためにあんたの能力を聞いたんだ。私に任せな」


 そう言って、マチルダは口端を持ち上げ、私の前で初めて笑ったのだった。


「いいか、まず六大精霊っていうのは、他の精霊と違ってだな――」


 マチルダは嬉々として魔法について、精霊について話し始めた。


 ……魔法オタクなのだろうか。


 話し始めると止まらなくなった彼女は、しかし緻密な作戦も練ってくれて、私たちは脱出の算段をつけたのだった。


「……ふう、こんなところか」


「マチルダ様、魔法についてお詳しいのですね。何とかなりそうな気がしてきました」


「何とかなりそう、じゃなくて、何とかするんだよ。魔法について詳しいのは当然だ、聖王都の学園で教師をしていたからな。

 親戚……ノエルズ分家の馬鹿者が、色々やらかした上に卒業前に駆け落ちなんぞしたせいで、ノエルタウンに呼び戻されてしまったがな」


 ――マチルダのその言葉に、また私の中のがビクッと震えたような気がした。


「さて。では心が決まり次第、行くぞ」


「はい。よろしくお願いします」


 私がはっきりと返答し、最初の魔法の準備を済ませると、マチルダはひとつ頷いてから、玄関扉を大きく開け放ったのだった。

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