第117話 「お友達」


「たたた、大変よ! 毒薬、もう使っちゃったかしら!」


「――毒薬?」


 欲しかった情報のひとつが得られそうな気配に、私は身を乗り出した。

 アイリスは、青くなって慌てている。


「わたくし、フローラおば様が情報を集めやすいように、お城に潜入するのを手伝ったのよ。それで、使用人のお仕着せを融通する代わりに、『虹の巫女』を連れてきてくれるように頼んだの。

 それでね、おば様は魔女の癒しの力が本物なのか確かめるために、毒を盛るつもりなのよ」


「毒を盛るって――誰に、どんな毒を」


「ヴァイオレット王妃が毒茸トードストゥールの小瓶を隠していたのを、偶然見つけたの。

 それで、ほら……パステルから話を聞くまで、わたくし、セオや大おじ様のことを勘違いしていたのよ。わたくし、ずっとあの疫病神がわたくしのことを追いかけて、わたくしを連れ戻すために王都まで来たと思っていたの。

 わたくしの邪魔ばかりするから、だからね――フローラおば様に言ったのよ。『魔女の力を確かめたいなら、あの疫病神たちに毒を盛って下さらない? そうすればわたくしも溜飲が下がるわ』って」


「そ、それで……?」


「フローラおば様も喜んで受け取ってくれたわ。『癒しの力が本物だったら、聖王国の使者が毒で倒れれば、王家の威信をかけて魔女を確実に連れて来るだろう』って。

 毒は致死量ほども残ってなかったから、心や身体が弱っていない限り、ちょっと苦しんで寝込むぐらいで済むと思うのだけど……。

 いやだわ、パステル。わたくし、あなたの婚約者を苦しませることになっちゃったかも……! ねえ、それでもわたくしとお友達でいて下さる!?」


「……お友達……」


 アイリスは、セオたちが毒で苦しむことに対して焦っているのではなかったようだ。

 友達になれそうだった――いや、アイリスの中ではもう友達なのだろう――私に嫌われないかどうかの方が、大切なようだ。


 ――やはり、彼女とはどうあっても相容れそうにない。


 しかし、それでも私は無理矢理に笑顔を作る。

 こめかみの辺りがピクピク動いてしまっているし、かなり引きつった笑顔になっていそうだが、ここまで来てアイリスの機嫌を損ねる訳にもいかない。


「……だ、大丈夫です。お姉様とはお友達ですよ」


「はぁぁ、良かったわ! 親友に嫌われちゃったら、わたくし、辛いですもの」


 いつの間にか親友に昇格していた。

 私は逸る気持ちを抑えながら、アイリスにひとつ提案をしてみる。


「あの、でも……セオのことが少し心配なのです。一度お城に戻りませんか?」


「そうよね、心配よね。わたくしも、ヒューゴが倒れてしまった時、片時も離れたくなかったですもの、その気持ちはよく分かるわ――あ、そうだわ、まだ話していなかったわね! わたくしが愛する人はね、ヒューゴという人なの。ファブロ王国の王子で、クールでとっても格好良くて――」


 そのままアイリスの話題は、ヒューゴのどんな所が素敵か、どういう話をしたのか、趣味は何だのどんな仕草が格好良いだの、恋バナに移り変わっていってしまったのだった。


 ――どうやらまだまだ、帰れないようだ。


 だが、場所が冷たい牢屋から普通の居室に変わったことだけは幸いである。

 椅子に座って、アイリスの言葉に相槌を打っていれば、長い長い夜は、いつしか更けていってしまったのだった。


 ようやくアイリスの話がひとしきり終わり、会話が途切れた一瞬を見計らって、私からアイリスに声をかけた。


「……あの、アイリスお姉様、そろそろ帰らないと……」


「あら、もうこんな時間だったのね! あっという間だったわね。わたくし、とっても楽しかったわ」


「この場所って、お城から離れていますよね? どうやって帰るんですか?」


「わたくしのペットが乗せていってくれるわ。暗黒龍ダークドラゴンちゃんがここでお留守番をしてくれるし、送り迎えは鷲獅子グリフォンちゃんがしてくれるのよ」


「だ、暗黒龍ダークドラゴン鷲獅子グリフォンが、ペット、ですか……?」


「ええ、そうよ。わたくし、魔物さんたちと意思の疎通が出来るのよ。わたくし、精霊から加護をもらわなかった代わりに、魔物さんから加護をもらったみたいね」


「魔物とだけ、意思疎通が出来るのですか?」


「そう。お母様とは真逆ね。精霊とか小さな妖精たちとは話が出来ないの。お母様のそばにいた白犬とも黒猫とも、全く話が出来なかったのよね」


「そ、そうですか……」


「パステルをここまで連れてきてくれたのも、鷲獅子グリフォンちゃんなのよ。普段は雲よりずっと高い所にいるんだけど、呼んだらすぐに来てくれるわ。けど今の時間だと、鷲獅子グリフォンちゃんは巣穴に帰って寝ちゃってるわね」


「は、はぁ」


「ああ……でもせっかく出来た大親友だもの、まだ帰ってもらいたくないわ。そうだわ、それよりパジャマパーティーしましょうよ! きっと楽しいわ!」


「パ、パジャマパーティー? いえ、あの、私……そう、眠くて! ごめんなさい、今日はちょっと……また今度でもいいですか?」


「そっか、そうよね。やっぱりパステルにはこれから一生、ここにいてもらおうかしら。そしたらパジャマパーティーは明日でもいいものね! じゃあ、お部屋に案内するわね」


「……一生?」


「そうよ、大親友がいて、あとはヒューゴがここに来てくれれば言うことないわね! あは、パステル、良かったわね。一生わたくしがここで飼ってあげるわ。あはははは」


 アイリスは狂気と狂喜をその顔に貼り付けて、高らかに声を上げて笑う。

 ――どうあっても、私はアイリスにここで飼い殺しにされる運命のようだ。


 何だか頭が痛くなりながらも、ようやく私は、一人で過ごせる時間をもぎ取ったのだった。



 アイリスに案内された部屋は最初に捕まっていた牢屋とは違い、最低限の家具もあるし、窓もある。


 だが、窓を開けても、何の建物も見当たらない。

 それどころか、木々も草花さえも、生えていないようだ。

 この建物は、どこか人の寄り付かない荒れ地に建てられているらしい。


 窓から顔を出して上を覗けば、月は真っ黒な雲に覆われ、その光が地上に届くことはない。

 それでも空はどこまでも繋がっていて、風はここにも吹いてくる。


「――風さん、教えて。セオは……みんなは、無事なの? 私……私……」


 風は、ただ冷たく頬を撫でてゆく。

 風の撫でていった頬に触れ、私は静かに目を閉じた。


「セオ……」


 目を閉じると浮かんでくるのは、美しい思い出ばかり。


 ロイド子爵家の庭で、セオが空から舞い降りてきた時。

 手を重ねて、空を飛んだ時。

 虹色の髪を、私を、綺麗だって言ってくれた時。

 好きだと――結婚してほしいと、言ってくれた時。

 ぎゅっと抱きしめてくれた時。

 初めて口付けを交わした時――


『――パステル』


 甘く囁く、澄んだ声も。

 陽光に煌めく、金色の瞳も。

 風に揺らめく、ふわりと柔らかな水色の髪も。

 優しく繊細なその心も、仕草も、何もかも。


 避けられていたとしても、セオの気持ちが分からなくても、それでもやっぱり、私はセオのことが――


「――好きなの。大好きなの、失いたくないの。この気持ちを知ってしまったら、もう……離れるなんて出来ないよ」


 私は両手で、顔を覆う。

 閉じた瞼から、雫がつう、と伝ってゆく。


「――セオに、会いたい」


 ぽつりと零れて溢れ出した言葉は、ただ闇に溶けていくだけだ。


「――そっか、そうだわ」


 それでも、風が草原を渡るよりも静かに。

 夜を照らす月明かりよりもさやかに。


 自分の心を素直に受け入れれば、すうっと心は凪いでいく。


 セオの気持ちがどう変化しようとも、状況がどう転がろうとも、私がセオを想うこの気持ちまで変える必要は、ないのだ。


 とにかく今は、セオに会って、無事を確かめたい。


「……帰らなくちゃ。セオのもとに」


 私は気持ちを奮い立たせる。


 このままここにいたら、アイリスの過激な行動がエスカレートして、帰れなくなるかもしれない。

 風の力が戻るまで、外に逃げて、どこかに身を隠して……みんなの無事を確かめなくては。


 幸い、雲が月も星も全て覆い隠している。

 外は真っ暗闇――逃げるのには最適だ。

 暗黒龍ダークドラゴンは、光に反応する。

 耳が聞こえない老龍は、強い光か、魔力を込めたアイリスの命令がなければ、私を襲ってくることはないだろう。


 私は意を決して、窓のふちに手を伸ばしたのだった。

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