第122話 「僕は僕に出来ることを」★セオ視点
今回から三話、セオ視点です。
時間はちょっと戻って、パステルが攫われてしまう直前です。
********
夢を見ていた。
眠っている僕に、パステルが泣きながら声をかけている夢。
すぐにでも笑って「おはよう」って言って、抱きしめてあげたいのに、僕の心が許さない。
僕の体も、動かない。
パステルは、泣きながら僕に口付けをする。
長く悲しい口付け――なぜかとても苦くて、少しだけ涙の味がした。
◇◆◇
ふっと意識が覚醒する。
何か、夢を見ていたような気がする――苦くて悲しい夢を。
けれど思い出そうとしても、指の間からこぼれ落ちる砂のように、夢は少しずつ霞んで消えていってしまう。
「――はぁ」
何度目のため息だろう。
母上の手紙を読んでから、僕の心は乱れっぱなしだ。
――この旅が終わったら、僕はパステルと離れなくてはならない。
そうしたらパステルは、僕のことは忘れて、別の場所で、別の人と……。
僕はそれがどうしても受け入れられなくて、これ以上自分自身が傷付くのが辛くて、パステルを避けるような真似をしてしまった。
そして、僕の行動はパステルを深く傷付けた。
これじゃあ駄目だ。
分かってはいるが、どうしても今までと同じように接することが出来ない。
パステルの顔を見たいのに、声が聞きたいのに、パステルと顔を合わせるのが怖くてウジウジしている。
僕は、臆病者だ。
正午の鐘が鳴る。
みんな、食事の席に集まっている頃だろうか。
僕は――なんだか胃のあたりがぐるぐるふわふわして、食事なんて取れそうにない。
鐘の音が止まってすぐ、一人の部屋にノックの音が響く。
……パステル、だろうか?
いや、あれ程傷付けておいて、そんなに都合良く彼女が僕の所になど来てくれるものか。
僕は結局返事をすることも出来ず、扉の前に立ち尽くす。
扉の外から聞こえてきたのは、パステルの声ではなかった。
ほっとしたような、がっかりしたような、複雑な気持ちになりながら扉を開く。
部屋を訪れたメーア様からもたらされたのは、予想外の知らせだった。
「セオ。パステルからの預かり物よ」
「……パステルから?」
「ええ。悪いけど、今すぐに開けてちょうだい」
「……今、ですか?」
「そうよ。見ないでいてあげるから」
そう言ってメーア様は、後ろを向く。
なんだか、少し焦っているような、ピリピリしているような感じがする。
何かあったのだろうか?
僕は袋をすぐに開けた。
パステルらしく、可愛らしいラッピングが施されているが……包んだ後に一度開封したのだろうか?
少しだけ包装が乱れていて、「らしくない」感じがした。
袋の中には、刺繍の施された白いハンカチが一枚。
丁寧に、僕のイニシャルが刺繍してある――以前、パステルは糸の色が分からないため、刺繍や裁縫は
そうだとしたら、王都を訪れてからの数週間で刺繍を覚えて、一生懸命このハンカチを完成させてくれたのだろう。
心の底から、愛しさが込み上げてくる。
今すぐ抱きしめてお礼を言いたいのに、それが出来ない自分にもどかしさと憤りを感じた。
ハンカチの他には、メッセージカードが一枚と、さらさらと急いで書き記したようなメモが一枚。
メッセージカードには、誕生日を祝う言葉が書かれていた。
問題は、メモの方だ。
パステルが、そしてメーア様がすぐに見せたかったのは、こちらのメモの方だろう。
メモには、たったの二行。
『私の心はあなたと共に』そして『私の部屋の花瓶を調べて。隙を見てすぐに』――かたや抽象的な『待ち』の言葉、かたや具体的な『即時』の指示。
この両極端とも思える、しかしパステルらしい文章に、僕は何か良くないことが起きていることを確信したのだった。
後半の指示……パステルが本当に伝えたかったのはこちらの方だろう。それも、急いで、内密に。
なのに、前半の言葉を書いたのは――僕を励まし、奮い立たせるため。ただそれだけのための言葉だ。
パステルは、何か急ぎの問題を抱えているらしい。
さらには、自分だって傷付いているはずなのになお、僕を励ましてくれている。
――つくづく、僕には勿体無いな、と思う。
僕がうじうじしていたら、本当にヒューゴ殿下に奪われてしまうかもしれない。
そうなる方が正しいのかもしれないが、僕にはそんなこと、受け入れられそうにない。
「メーア様、パステルは今どうしていますか?」
僕が問いかけると、メーア様は僕の方を振り返る。
メーア様は、目を泳がせ、少し苦しそうに告げた。
「……もう、この城にはいないわ」
「……どういうことです」
「詳しいことは後。パステルにも、あなたにも、それぞれするべき事があるの。セオ、パステルのためにも、しっかりしなさい」
「するべき事……」
僕は、メーア様に向かって、ひとつ頷いた。
パステルのことは心配だが、手紙の指示に従うのが先のようだ。
「メーア様、パステルの部屋の花瓶を調べたいのですが」
パステルが贈ってくれた刺繍入りのハンカチを、内ポケットに大切にしまいながら、僕はそう告げた。
僕はメーア様と一緒に、パステルの部屋を訪ねた。
メーア様は今も侍女に扮して行動しているので、自ら部屋を開けて僕を先に通してくれる。
本人不在のゲストルームには、パステルの残り香がかすかに感じられて、僕の心はかき乱された。
恋しい気持ちも、心配な気持ちも、後悔する気持ちも、全て振り払うように僕は頬を叩き、部屋の隅に飾られている花瓶へと向かう。
花瓶の花を抜き取ると、底に何か沈んでいる――僕はそれを取り出し、花を元に戻した。
「これは……鍵?」
「どこの鍵かしら」
メーア様は首を傾げているが、パステルが外部の鍵を持ってきていた様子もなかったし、部屋の中に答えがあるだろう。
となると、この鍵は。
「――文机だ」
僕はすぐに答えに思い当たり、文机の引き出しに鍵を差し込む。
鍵はすんなり回り、僕は引き出しを開ける。
そこに入っていたのは、薄く輝く青色の小瓶だった。
「――
この薬は、魔の森にあるお祖父様のコテージに置いてきたはずだ。
パステルは、この薬を取りに行ったのか?
一体いつの間に?
それに、この薬と同じ棚には、
――僕は突然、苦い後味のする夢のことを思い出した。
解毒薬……メーア様なら何か知っているだろうか。
「メーア様。パステルから、何か瓶のような物を渡されていませんか?」
「……どうして分かったの?」
「やっぱり」
僕はメーア様に返答せず、
引き出しの中には、薬だけではなく、手紙も一通入っていた。
僕は焦りを感じながらも、その手紙に目を通す。
そこに書いてあったことは、僕の心にただ寄り添ってくれる、温かい言葉と――僕の忘れていた、母上の遺したひと言。
それはまさしく、沈んでいた僕の心にうっすらと差し込んだ、希望の光。
一度は諦めかけた、未来への可能性が再び見つかった瞬間だった。
やっぱり、僕を強くしてくれるのはパステルの言葉なんだ。
僕は顔を上げ、しっかりとメーア様の目を見る。
外に聞こえないような小さな声で、しかしはっきりと、僕はメーア様に尋ねた。
「パステルがメーア様に渡した瓶は、
「……その通りよ」
「それで……何が起こっているんですか? パステルは今、どこで何をしているんですか?」
「……それを聞いても、いきなり城を飛び出したりしないって約束してくれる?」
「はい。僕は僕に出来ることを果たします」
僕が力強く告げると、メーア様は安心したように目を細めて、事情を話してくれたのだった。
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