第121話 「夜空の散歩」


「お待たせ。迎えに来た」


 優しく甘い笑顔を浮かべて、セオは、私に手を差し伸べた。

 私は、その手に自らの手を重ねる。

 ふわり、と柔らかな風が私を包み込む。


「――ほんもの?」


「幻に見える?」


 セオは、もう片方の手を取ると、自分の頬に触れさせた。

 そこにあったのは、確かな温度。

 風に揺れる柔らかな髪が、私の手の甲をくすぐる。

 その澄んだ瞳は、月明かりを反射して、きらきらと煌めいていた。


「……セオだ」


「うん」


 親指で優しく頬をなぞると、セオは気持ちよさそうに目を細める。

 その表情に、一度止まった涙が、また溢れてくる。


「無事だった……迎えに来てくれた」


「……うん」


「良かった……本当に、良かった」


 セオも、私の頬を手のひらで包むと、親指で涙を拭ってくれる。

 手を離して反対側の頬も包みこむと、愛おしむように額に口付けを落とした。


「パステルのおかげだよ。また、パステルに助けてもらっちゃったね。……それから」


 セオは、両の手を離して、苦しげな表情をする。


「セオ……?」


「パステルを避けるような真似をして……本当にごめん。何の説明もしないで……辛かったよね」


 私は、唇を噛んで、控えめに頷く。


「まだ……上手く説明出来る自信がないんだ。けど、僕がパステルを想う気持ちが変わったわけじゃない」


 目と目が、しっかりと合う。

 その瞳の奥には不安が見え隠れするが、それでも、セオは真っ直ぐに私の目を覗き込む。


「パステル。僕はずっと、これまでもこれからも……何があっても、遠くにいても、ずっと君のことを愛してる」


 何があっても? 遠くにいても――?

 私が尋ねようとした言葉は、音になる前に、セオが私の唇に当てた人差し指に遮られてしまった。


「さあ、帰ろう。みんな、待ってるよ」


「うん……。あの、セオ――」


 首を静かに横に振るセオは、私の言葉を形にすることを許してくれない。


「……わかった。セオの心が決まるまで、何も聞かないわ」


「――ありがとう」


「さあ、掴まって」


「あ、ちょっと待って。帰るのは明日の朝でもいい? あのね、ノエルタウンの領主様がいらっしゃって――」


「じゃあ……今は、夜空の散歩。話は後で、ね」


 セオは甘く微笑んで私の背中に手を添えると、もう片方の腕を膝の裏に回す。

 私は、微笑み返してセオに掴まる。

 セオは満足そうに頷いて私を横抱きにし、ふわりと窓の外へと飛び出していった。



 静かな夜だった。


 景色がよく見えるように、光る風のバリアは使わず、ゆっくり、ゆっくりと空を舞う。

 ワンピースの裾が風にはためき、パタパタと小さな音が踊っている。

 頬を打つ風はひんやりするが、身を切るほどの寒さは感じない。


 大きな月が、闇夜を照らす。

 眼下に広がる街を眺めながら、一面に瞬く星の海を、私たちはゆっくりと泳いでいく。


 私の視界はモノクロームなのに、砂漠の夜は真っ暗なのに。

 今朝より、昨日より、世界はずっとずっと煌めいていて、鮮やかだ。


 セオの腕の中が、こんなにも暖かく心地良かったことに、私は今更ながら気がついた。



「ねえ、セオ。どうして私がこのオアシスにいるって、わかったの?」


「……炎の鳥が、教えてくれたんだ」


 セオは、綺麗なものを思い返すように、優しく目を細めた。

 魔物たちと戦った時に、火の精霊の力を借りて生み出した小鳥のことだろうか。


 微笑みをたたえる美しい顔は、あたたかな優しさを映しているが、どこか疲れが滲んでいる。

 セオもたくさん頑張ってくれたのだろう。


「……あのね、本当は、昨日言いたかったんだけど」


「ん?」


「――お誕生日、おめでとう」


「ん……ありがとう」


 セオは、嬉しそうに頬を寄せた。

 わずかに触れる私の額とセオの頬が、確かな熱を交わす。


「ふふ。一日遅れだけど、お祝いできてよかったわ」


「――ありがとう、パステル。プレゼント、すごく嬉しかったよ。ずっと、大切にする」


 切なそうに、寂しそうにお礼を言うセオに、言い知れない不安がよぎる。

 私は、縋り付くように、言葉を紡いでいく。


「……刺繍、ほとんどやったことなくて、簡単なものしか出来なかったの。来年はもっとちゃんとした物を渡せるように、頑張るね」


「嬉しい……来年も、くれるの?」


「うん。来年も、再来年も、その先も。ずっとだよ」


「そうなったら――本当に嬉しい」


 セオが私を抱く腕の力が、強くなる。

 けれど――その瞳の奥の不安と寂しさは、消える気配がない。


 セオが私に隠している悩みは、何なのだろう。

 一体どうしたら解決してくれるのだろうか。


「――僕、パステルの書いてくれたメモ、すぐに読んだ。それから、パステルの部屋に残されてた手紙も」


 私は、メーアに預けたセオへの誕生日プレゼントに、メモを入れてきた。


 メモには、『私の心はあなたと共に』と書き記した。

 それと、隙を見てすぐにでも花瓶の中を調べてほしいと。


 花瓶に隠したのは、文机の鍵。


 文机の中にも、セオに宛てた手紙を残していた。

 時間がなかったので、こちらも簡潔な内容だ。


『ソフィア様の最期の想いを、よく思い出して。一人で悩まないで、フレッドさんと話してみた方がいいよ』と。


 ソフィアは、手紙の内容を撤回したがっていた。

 ソフィアの手紙に何が書いてあったのか――私には知る由もないが、セオの悩みがこれで軽くなるのならと思って、そう記したのだ。


「僕――母上が最期に望んだこと、忘れてた。そうだよね、母上がお祖父様宛の手紙を書いた時とは、状況が変わっているんだよね」


「フレッドさんとは、お話し出来た?」


「――まだ。毒が見つかった件や、不審者が侵入した騒ぎ、それにパステルが誘拐された事件で、それどころじゃなかったんだ」


「そっか」


「それと、最後に書かれていたこと――」


 私は手紙の最後に、こう記していた。

『私はセオの決めたことを尊重する。いくらでも待つから、気持ちが落ち着いたら、話してほしい』と。


「……もう少し、待ってほしい。まだ、僕も、受け入れられずにいるんだ。言葉にすると本当になっちゃいそうで――怖いんだ」


「……わかった。いつまででも、待つよ」


「――ありがとう」


 セオの心がまだ決まっていなくても、今この時は、セオと一緒にいる。

 先のことはわからない。

 けれど、私を抱くセオの腕の優しさも、温度も、落ち着く香りも、とくとくと打つ胸の鼓動も。

 全てが、今ここにある。


 生きていてくれた。

 ここまで迎えに来てくれた。

 私と一緒に、いてくれる。


 ――今の私にとっては、充分すぎるほどだった。




 二人きりの夜空の散歩を終えて、私たちはバルコニーへと戻る。

 セオは私をそっと下ろした。


「夜空のお散歩、楽しかったよ。ありがとう」


「――僕も楽しかった。明日の朝……改めて迎えに来る」


 セオは、口元に柔らかい弧を描くと、私の手を取り、指先に甘い口付けを落とす。


「泊まるところは……?」


「大丈夫。僕にも連れがいるから、街の外に泊まるよ」


「……そっか」


「じゃあ、また明日。お休み」


「お休み」


 離れていく指先を寂しく思いながらも、私の心は安堵に満ちていた。


 部屋に戻ってベッドに潜り込む。

 セオが口付けた指先を、自分の口元にそっと当てると、幸せが止めどなく溢れてくる――


 私はそのまま、いつの間にか眠りに落ちていたのだった。


********


 次回から三話、セオ視点です。

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