第112話 「君が心を決めないのなら」
セオの走り去っていった方へ向かうと、城の中庭に出た。
ここにもセオはいないようだ。
しかし、ちらりと視界の端で何かが動いたような気がして、ふと頭上を見上げる。
すると、屋根の上に、探していた人の姿を見つけたのだった。
「セオっ!」
私は、大きな声でその名を呼びかける。
セオは弾かれたようにこちらを見た。
「セオ、降りてきて……お話ししましょ?」
私は、セオに向かって大きく腕を広げる。
遠くてその表情はよく分からないが、セオは屋根の上で立ち上がると、大きく首を横に振った。
セオは風の魔法でふわりと空へ浮かぶと、そのままどこかへ飛んでいってしまったのだった。
「セオ……どうしちゃったの?」
私の呟きは風に溶けて、遠くの空へと消えてゆく。
先程メーアが持っていた手紙は、中身を覗き見ることは出来なかったが――あの封筒は、そう、ソフィアがフレッドに宛てて書いた手紙のようだった。
フレッドが隠そうとした手紙に、一体何が書かれていたのだろうか。
その後も、セオは私と顔を合わせようとしなかった。
部屋を訪ねても、扉を開けてくれない。
食事の席にも、現れなかった。
何か知っているかと思い、メーアやフレッドに尋ねても、気まずそうにはぐらかされるだけで、何も答えてくれない。
――セオが私を避けている。
それだけで、色付いたはずの私の世界は、再び灰色に染まってしまったかのように思えた。
ほとんど喉を通らない食事の時間が過ぎ、夜の
――今夜は、なんだか暗いな。
頬を撫でる風の冷たさも、そよぐ木の葉の擦れる音も。
遠く輝く月の明かりも、瞬く星の煌めきも、普段と何も変わらないというのに。
「パステル嬢」
中庭で風に当たっていた私は、背後から近付いてきた気配に気が付かなかった。
月明かりに浮かび上がったのは、私を心配そうに見つめる、ガーネットの瞳を持つ怜悧な
「ヒューゴ殿下……」
「……君のような美しい令嬢にこんな表情をさせるとは。セオ殿も罪な男だな」
私は、何も答えずにただ俯く。
目頭が、徐々に熱くなってくる。
「私だったら――好いた女性に寂しい想いなどさせない。何があろうとも」
顔を上げた私の頬を、涙が一筋伝っていく。
ヒューゴは優しく微笑み、人差し指で涙を優しく掬い取った。
――違う、そうじゃないの。
私は、何も言えずに、ふるふると頭を横に振る。
「……困らせてしまったな。すまない」
ヒューゴは眉尻を下げて笑うと、そのままくるりと背を向けた。
「君たちは恩人だ。君がすぐさま城の火を消してくれなかったら、もっと大ごとになっていた。君たちが落ち着くまで、いつまででも城に滞在してくれて構わない」
ヒューゴはそう言い残すと、最後に屋根の方を見上げて、はっきりと言った。
「……何も言わずに逃げるのは、弱者のすることだ。君が心を決めないのならば、私が姫君を奪ってしまうぞ」
屋根に
「――頑張れよ」
最後にぼそりと呟いて、ヒューゴは城の中に戻って行ったのだった。
私はしばらくそのまま立ち尽くしていたが、闇は応えてはくれない。
冷たい夜風に冷え切ってしまった身体を
翌朝。
私は、部屋から出ることが出来なかった。
身体が、どうしても動かないのだ。
何故私を避けているのか聞きたかったが、それ以上に、セオと顔を合わせるのが怖かった。
昼も近い時刻になって、私の部屋に控えめなノックの音が響く。
急速に心臓が動き出す。
恐怖と不安と少しの期待で、手足に力が入らない。
今にも胸が張り裂けそうで、呼吸も浅くなっていく。
「パステル、入ってもいいかしら?」
扉の外から聞こえてきたのは、メーアの声だった。
急激に早くなった鼓動は速度を落とし、肺に空気がなんとか入ってきた。
「……どうぞ」
ベッドの上に身を起こし、掠れ声で何とか答える。
静かに扉が開いて、メーアが部屋に入ってきた。
「……パステル、大丈夫……じゃないわね」
「……」
私は、何も答えず押し黙る。
「あのね、パステル。セオも、すっごく悩んでるわ。自分のすべき事と、自分の気持ちに折り合いが付けられないのね」
「……セオは……どうして、私を避けているんですか? 私、何かしてしまったのでしょうか……?」
「いいえ、あなたが悪い訳じゃないわ。どちらかというと、セオ自身の問題ね。でも、一つだけ言っておくわ」
私は顔を上げる。
「――セオは、あなたのことを本当に大切に想ってる。だからこそ、こうして悩んでいるのよ。あなたを愛しているからこそ、今はあなたに会いたくないのね」
「……わからない、です」
「そうよね。……でも、それ以上のことは、今は言えないわ。セオにはセオの考えがある。けれど、彼の気持ちを疑わないであげて。辛いかもしれないけど、信じて待ってあげて欲しい」
「……」
「私たちも、出来る限りのことはする。あともう一手なのよ。どうか、どうか信じてちょうだい」
「……はい」
「じゃあ……昼食、持ってきてもらうようにするから、ちゃんと食べてね。あなたが元気出さないと、セオも余計落ち込むからね」
「ありがとうございます。……あの、メーア様、ひとつお願いしてもいいですか?」
「何かしら?」
私は、ロイド子爵家から持ってきていた小さな包みを取り出し、メーアに渡した。
セオの誕生日に渡そうと思っていた、刺繍入りのハンカチである。
まさに今日が、セオの誕生日だったのだ。
「これ……セオに、渡してくれませんか。……お部屋に置いといてくれるだけでも、構いません」
「……あなたが直接渡すべき物なんじゃないの?」
「……今の私には、無理です。ごめんなさい、お手間を取らせてしまって」
「全くだわ。仲直りしたら、私のワガママに付き合わせてやるんだから」
「はい、もちろんです。……ありがとうございます」
メーアはわざとらしくため息をつくと、心配そうな表情で、扉を閉めたのだった。
そして、正午の鐘が鳴った後。
事件は、突然起こった。
――この時、私が一人で行動したのは幸いだったのだろうか、災いだったのだろうか。
朝からずっと部屋に篭っていると、流石に外の空気を吸いたくなってくるものだ。
私は、こっそりと部屋から出て、中庭のベンチで休んでいた。
風はそよぎ、お日様の光がぽかぽかと心地よい。
花の蕾も膨らみかけている。
けれど、私の心は全くほぐれる気配がない。
カツ、カツ、と近付いてくる足音にも、私は全く気が付かなかった。
「――虹の巫女」
平坦な、感情のこもらない声だ。
声を掛けられたと認識した途端、口元を布で覆われる。
私の意識は一瞬で闇に落ちてしまったのだった。
次に目覚めた時、私は、暗く冷たい石の牢に繋がれていた。
――以前、セオが囚えられていたのと、同じ場所に。
〜第六章 終〜
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