第109話 「因果応報」
そして、翌日。
まず最初に目を覚ましたのは、カイだった。
ノラの話によると、いつも通りの時間に普通に起きて、普通に食事を取って、普通にトレーニングし始めたらしい。
魔力切れではなく魔法を破られた場合は、精神が消耗して何の気力も湧かない場合が多いらしいのだが。
ノラは「まあ、
カイに遅れること数時間、ヒューゴも無事目を覚ました。
ヒューゴはカイと違ってかなり消耗しており、起き上がるのがやっとといった様子らしい。
隣で眠る国王の姿を見て驚いていたそうだ。
こんな時でもアイリスは構わず突入しようとしていたようである。
ヒューゴは隙をみて、ノラの認識阻害と、フレッド、カイの手を借りて、施錠の出来る王太子の私室へと移動したのだった。
「いやー、しかしびっくりしましたよ。俺の盾が破られたの、アリサ以来でした。皆無事で、本当に良かったっす」
カイは本当にいつも通りだ。
「まったく、本当に心配したにゃー。ヒューゴも目覚めてよかったにゃ、魔女にゃんに感謝にゃ」
「ああ。魔女殿、本当にありがとう」
ヒューゴは、ベッドに半身だけ起こして、魔女に軽く頭を下げた。
「ところで、父はどうなったんだ? 私の隣のベッドで寝ていたようだったが」
「ヒューゴの
「自分の悪意と? 君の力は、一体……?」
「うーん、見てもらう、早いな」
魔女はそう言うと、ローブのポケットから小さな人形を取り出した。
王都で流行っている、着せ替えのできる女の子の人形だ。
魔女は人形を、ヒューゴの横にあるテーブルの上に立たせた。
「虹のねえね、この人形、軽く押して、倒す。軽くね」
「え? うん、わかった」
私が人形の胸を軽く押すと、人形はこてん、と後ろに倒れた。
「これでいい?」
「うん。じゃあ、人形に、魔法、かける」
魔女は倒れている人形に手を
すると――
「きゃあ!?」
「パステル!?」
私は、突然胸を誰かに押されたように感じて、後ろに倒れ込んでしまった。
近くにいたセオが慌てて支えてくれる。
尻餅をついてしまったが、セオのおかげで強く体を打ちつけることはなかった。
「パステル、痛くない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。急に胸のあたりを誰かに押されて……。支えてくれてありがとう、セオ」
「――これが魔女殿の力か」
心配そうに声をかけてくれるセオに手を借り、お礼を言って立ち上がると、ヒューゴが納得したように唸る。
ヒューゴの目線を追うと、転んでいたはずの人形は元通りテーブルの上に立っていた。
「……受けた力を、相手に跳ね返す能力?」
セオが問う。
魔女は少しの間考えるようなそぶりを見せるが、かぶりを振った。
「大体合ってる、でも、少し違う。あたい、大精霊の神子の一人。因果、司る」
「大精霊の神子? 因果……?」
セオもフレッドも、聞いたことがなかったのだろう。揃って首を傾げている。
魔女は、
「原因あって、結果ある。あたいの目、因果、見る。原因、遡って見つけること、出来る」
つまり、何かが起こった時に、『その結果に至った原因』にあたる過去を見ることが出来る、ということだろうか。
「原因分かって、結果分からない時。その時も、何も干渉しなければどうなるか、いつそうなるか。未来の可能性のひとつが、見える」
「だからヴァイオレット王妃が目覚める時期が分かったのじゃな」
フレッドの言葉に、魔女は頷く。
「あたい、能力使う前に、必ず結果見る。良くない結果見えたら、あたいの魔法で
「因果応報……もしかして、街で人が刺された時も?」
私は、カイの家の近くで出会った騒動を思い出して尋ねた。
飲食店で働くウェイターが、食い逃げ犯を追いかけて揉み合いになり、刺されてしまった事件だ。
その時魔女は力を使ってウェイターを癒し、その後ウェイターを刺した犯人が大怪我を負って、路地で倒れているのが発見されたのだった。
「刺した犯人、悪い事した。刺された人、そのままだと死ぬとこだった。でも、刺した犯人、傷に耐える体力あった。
犯人に力を返したら、誰も死なないの、見えた。だから、返した。あの時は、お礼、言われたけど……犯人、怪我した。あんまり、嬉しくなかった」
「……その力、隠しておくべきだな。悪用されかねないぞ」
「師匠も、そう言ってた。だから、ずっと、地下で暮らしてた。でも、あたい、もう充分大きくなった。だから平気」
「それでも、人間の世界では君はまだ子供だ。これから先、噂が大きくなればより危険になると思うぞ。
……君さえ良ければ、城で保護させてくれないか。外出の際には騎士も付けよう。給金も払うし、いつでも師匠に会いに行けるように取り計らうぞ」
「うーん……今はまだ、いい」
「……そうか。返事は急がないから、考えておいてくれ」
魔女は、頷いた。
「それで、父はどうなのだ? 目覚める見込みはあるのか?」
「大丈夫。必ず、目覚める。ヒューゴの
「――そうか。……魔女殿、感謝する」
ヒューゴは心底ほっとしたように、笑った。
以前、ヒューゴは父が憎いと言っていた。
幼い頃から仕事を押しつけられ、母を奪われて。
昨日に至っては「息子などいない」と言われ、傷つけられ、悪夢を見せられ、それでも。
それでも、ヒューゴは父親が大丈夫だと聞いて、笑ったのだった。
きっと、とても優しい人なのだろう――人が傷付くのが辛いと思うような、当たり前の、しかし人の上に立つ人間が失ってしまいがちな感性を持った、そんな人だ。
「ヒューゴ殿下は……お優しいですね」
「ん? 私が、優しい? それは買い被りだぞ、パステル嬢」
「いえ、お優しいと思います。十年間、ずっと国王陛下を心配なさっていたのでしょう? ……お辛かったですね」
「……国を守るためだ」
私が眉を下げて笑むと、ヒューゴはどこか自嘲的な、しかし優しい笑みを返した。
ヒューゴを見つめていると、セオが突然私の一歩前に出て、ヒューゴ殿下との間に入る。
「それよりヒューゴ殿下、国王陛下からのお手紙は読んだのですか?」
「――手紙はこれから開封するところだ。まあ、何が書いてあるか、大体想像はつくが」
「では、ゆっくり読まれた方がいいのでは? 僕たちは一度失礼します」
セオは返答も待たずにそう言って、私の手を取り出口へと向かう。
「え? セオ?」
「ヒューゴ殿下。体調が良くなり次第、また火の神殿に案内して下さい。お大事に」
部屋の出入り口で立ち止まってそう告げると、セオは一礼して、私の手を引いて出て行った。
「――ふ」
扉を閉める前に、ヒューゴが、耐えられないとばかりに笑みをこぼすのが聞こえたのだった。
「セオ? どうしたの?」
「――ごめん」
急ぎ足で廊下を進んでいたセオは、突然立ち止まった。
手は、繋いだまま。俯いている顔は、今にも泣き出しそうだ。
「え? 何が? セオ、大丈夫?」
「僕、自分で思ってたより、心が狭いみたい。――パステル」
顔を上げたセオの瞳は、不安に揺れている。
言葉を紡ごうとして、口を開くが、声にはならず再び口を閉じる。
「セオ……?」
「――なんでもない」
セオは再び目を逸らして、歩き出そうとした。
私は、その手を引いて、セオを止める。
「なんでもなくない。――ねえ、セオ」
「ん……」
「心配しなくても私、セオしか見てないよ」
「……!」
セオの瞳が、驚きに揺れる。
それと同時に、じわじわと喜色が浮かんでくる。
「セオ、大好きよ」
私がその言葉を言い切る前に、セオは力強く、私を抱きしめた。
私もその背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返す。
「パステル……ありがとう。僕も――」
好き。
耳元でそう囁き、美しい顔に甘い微笑みが浮かんだかと思うと――唇がそっと合わせられたのだった。
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